第65話 傘に入らせてください
「……今更だがここまでする必要はあるのか?」
「ありますよ、此処でしっかりと立場の上下を見せつけて交渉で主導権を握っておかないと交渉が面倒になるのです。安く買い叩かれるのを防ぎつつ確実な支援を行うのであればこれは避けては通れません。何より今回は砲艦外交の一種でもありますからデッカイ衝撃を与える事が重要なのです」
「崩壊前でも組織のトップ同士による会談はそう易々と行えませんが、実現すれば大きな意味を持ちます。その場で取り決めた約束事には拘束力が発生し、それを破るのであれば面子の問題に発展します。この程度の腹芸も理解出来ないようであれば現地の統治機構の程度が知れますから直接支配に切り替える方がいいでしょう」
「……セカンド、サード。そろそろノヴァ様には移動をしてもらいたいのだが──」
「まだ720秒も残っていますから問題ありません。此処は手を抜けないのでギリギリまでメイクさせて下さい」
「ノヴァ様、会談の流れは頭に入っていますか?此方が想定した12パターンは全て暗記しなくてもいいですが大まかな流れは覚えて下さいよ、ではケース8であった場合の注意点ですが──」
「助けてデイヴ、助けて……」
「……搭乗時間には遅れないようにして下さいね」
「待って行かないでくれ!デイヴ、デイヴーー!!」
「ノヴァ様!ケース9の場合はある程度のアドリブですが──」
「マリナ、動かさないで!メイクが崩れる!」
「うにゃぁああ!?!?」
◆
イアン・グラハム・マクティアはウェイクフィールドを統治しているマクティア家の長男であり現当主である。
父であった前当主はレイダーとクリーチャーで構成された軍勢との戦闘で殺害された。
父が率いていた自警団も大損害を負って壊滅、防衛戦力が崩壊したウェイクフィールドはレイダー達に占拠される事になった。
混乱の中でイアンは残された家族である母親、妹と腹心達を伴って命辛々に逃走し地下に潜伏する事になった。
そして生き残った自警団達とレジスタンスを結成し街の奪還を目指して水面下で活動を開始した。
しかし街の奪還は困難を極めた、レイダー達との戦闘によって多くの武器を失い、また戦闘経験のある年長者の多くが帰らぬ人となったからだ。
そして人を殺害する事に特化した生体兵器であるクリーチャーとの戦闘もまた多くの被害者を出す原因となった。
正面からの戦っては勝てないと結論付けたウェイクフィールドのレジスタンス達はゲリラ活動に主軸を置いてレイダーと戦う事に活動を変更した。
街の地下に張り巡らされた下水道に息を潜める、そして街全体でレイダーの戦力を削る小さな戦いを積み上げていく。
最初こそレジスタンスが有利であったがレイダー達も殺されるばかりではなく、有り余る残虐性によってレジスタンスを追い詰めていった。
レジスタンスの仲間を捕らえて公開処刑は序の口、拷問で情報を吐かせる、地下にクリーチャーを放つ、捕らえた仲間の体内に爆弾を仕込んで送り返す、残虐極まる報復を行いレジスタンスは追い詰められていった。
身も心も削るような戦いが続きレジスタンスの仲間達は一人また一人と斃れていく、その光景を見送り続けたイアンの心が疲弊し折れるまで時間は掛からなかった。
だがその心が折れる直前で敵であるレイダーとクリーチャーの軍勢は壊滅した、それは前触れもない、唐突な出来事であり、現実味がない光景だった。
画面の中で暴力が吹き荒れる、街を支配していた暴力が更なる暴力により蹂躙されていく。
自分達を圧倒し家族を殺し仲間達を殺していた敵が、レイダー、クリーチャーが無残に引き裂かれ汚い血肉を巻き散らしていく。
まるで出来の悪い夢を見ているような光景、疲れ切った脳と心が見せた幻ではないのかとイアンは疑った。
だが夢幻の類と思っていたモノは現実だった。
決起会の会場に餌として連れ去られた仲間達がレジスタンスの隠れ家に逃げ込んできた。
そして生き延びる事が出来た仲間達の口から届いた言葉、それを半信半疑で疑いながら決起会場に向かえば其処にはモニター画面と同じ光景が広がっていた。
辺り一面に広がり其処から零れ落ちた血で造られた赤黒い海、生臭い血と臓物の匂いが混ざり合った悪臭、会場に踏み入った自分達の息遣いしか聞こえない程の静寂。
会場を埋め尽くす程いた憎い敵であったモノの残骸が散らばる其処はまるでこの世の終わりのような光景であった。
「おいおいどうなってんだよ……」
「ギブリ、ナッシュ生きていたら返事しろ!」
「ヤバいぞ、俺達これからどうすんだよ」
だが仇はまだ残っていた。
決起会に参加せず街の巡回に残っていた者達が会場に集まって来たのだ。
そして彼等が同じように会場の様子を探りに来たイアン達と鉢合わせするのは必然だった。
「お前らは…!」
会場に広がる惨劇を前にして明らかに顔を青くしていたレイダーがイアン達に気付き声をあげる──その直前にイアンが構えた拳銃から撃ち出された弾丸がレイダーの喉を撃ち抜いた。
軽い銃声と共に血の泡を吹きながら斃れるレイダー、レイダーと仲間達が呆気に取られる中でイアンは叫ぶ。
「生き残りだ、皆殺しにしろ!」
イアンの叫び声で先に動いたのはレジスタンスだった。
用心のために持ってきた数少ない武器を生き残ったレイダー達に向かって放つ。
事態を呑み込めていなかったレイダーに多くの銃弾が撃ち込まれ、ようやく事態を理解したレイダー達だが逃げ出す事は許されず直ぐに死んだ仲間達に続いた。
其処から先は街に潜んでいたレジスタンスを総動員しての残党狩りが始まり、立場を入れ替えて行われた報復は苛烈を極めた。
降伏を許さず、逃走を許さず、一人も残さず、レジスタンス達と街の住人達はレイダーへ今迄受けた仕打ちを返していく。
街が終われば次は街の重要な水源であるダムに立て籠もる残党だけとなり、そちらも色々あったが戦意を滾らせたレジスタンスによって壊滅させる事が出来た。
こうしてウェイクフィールドは街を恐怖の底に陥れたレイダーをレジスタンス達は殲滅し街は解放された。
ウェイクフィールドの住人の多くは傷つきながらも平和を取り戻した、今後は街を復興させ恐怖に怯えることが無い明日を喜んで迎えるだろう。
──そう単純に物事が運べばどれ程良かったものか。
荒らされながらも何とか原型を留めているマクティア家の執務室で当主であるイアンはいた。
レイダーの棒若無人な振る舞いによって一部破損しているが、まだ使用に耐える執務机の上には何とか持ち出せた現存し、壊れる寸前のタブレット型の端末が置かれている。
「まずウェイクフィールドへの支援を有難うございます。ですが申し訳ありませんが急ぎ追加で送ってほしい物資があるのですが──」
『畏まらなくてもいいですよ、我々とマクティア家の交流は長いのですから遠慮は無用です。それに此処には私とリサしかいませんから』
変色し一部画面が割れている端末の画面にはイアンより幾分か年下の少年が映っている。
この少年こそがハルスフォードにおいて長年の交流を続けて来たモーティマ家当主代理ロッド・モーティマであった。
「分かった、飾らずに言わせてもらうがハルスフォードからの支援をもっと増やせないのか?送られて来た物資では1ヶ月どころか1週間も持たない。食糧、医薬品、銃に弾薬、足りている物なんて一つもない、この街はありとあらゆる物が不足している。このままでは長くは持たない……」
『言いたい事は分かります、ですが此方も統制も保つだけで精一杯なのです。今回送った物資も何とか用意した物で……』
「それを打開するためにゾルゲのサイボーグボディを引き渡したのです!あれはハルスフォードで起こった事件の動かぬ証拠であり、モーティマ家の嫌疑を晴らす一手になる筈だっただろう!其方にしても我々は安定した食料供給に欠かせない大事なパートナーでしょう!」
マクティア家は食塩や食料品をハルスフォードのモーティマ家に売却、その対価としてハルスフォードで製造された武器弾薬を購入していた。
交易は始めこそ小規模であったが現在では大規模なものになり、ウェイクフィールドを優に超える人口を持つハルスフォードの食料供給を支える重要な交易となっている。
そんな街の胃袋を支える重要な協力者であるマクティア家を見捨てるような行動をモーティマ家がとる筈がない──それが平時での話であれば。
『すみません、会合で訴えたのですが中立派は動きませんでした。急進派は一時混乱しましたが立て直しを行い今でも変わらずに此方にあの手この手で妨害を仕掛けてきます。その対応に追われ此方も自由に動けないのです、本当にすみません……』
「ハルスフォードとウェイクフィールドの関係は長い、それでもこれ以上の支援は望めないのですか」
『……マクティア家との関係が大切である事は十分承知しています。ですが私はモーティマ家を、配下達を見捨てて迄支援する事は出来ません』
当主代理である少年が短い沈黙の後に出した言葉がイアンへの答えだった。
それを聞くしか出来ないイアンの心は不思議と荒れる事は無かった。
「貴重な物資を貰っておきながら熱くなりました、すみません」
『いいえ、大丈夫です』
「また何時かお会いしましょう」
『ええ、また何時か』
そう言って端末に映る少年の姿は消えた、別れは実にあっさりとしたものであった。
色を失い真っ黒になった端末には何も映っていない、それをイアンは黙って見続けていた。
「お兄様」
自分を呼ぶ声が聞こえて漸くイアンは画面から顔を挙げる。
其処には妹であるカーラが泣きそうな表情で立っていた。
先程迄の不穏な会話の意味を理解しているのだろう、経験足りない妹は感情を隠す事が実に下手であった。
「済まない、期待していたハルスフォードからの支援は望めない。それでそっちの現状はどうだ」
「……悪い知らせしかありませんが、聞きますか?」
「ああ、聞かせてくれ」
今にも泣きだしそうな顔で妹が告げる街の現状はイアンの予想と変わりは無かった。
食料が、医療物資が、武器が、弾薬が、何もかもが不足しているのを改めて告げられるだけだ。
「探せるところは全て探しました。……けど手の打ちようがもう無いよ」
「そうか」
街の中でレイダーが隠していた物資は全て回収。
足りない分は街の外で生き残っていたレイダーの小集団を住民のストレス発散も兼ねた作戦で殲滅し所持していた物資も回収した。
それでも街の住人を活かすには足りなかった。
元は全てウェイクフィールドの物であったとしてもレイダーが無計画に浪費した事で物資は大きく減っていた。
その事が判明した直後からイアンは何とか現状を打開しようと奔走したが駄目だった。
そして最後の頼みの綱であったハルスフォードからの支援も望めなくなった。
救いの手は何処にもない、それを理解してしまった誰もが口を開けず、執務室には静寂が満ちた。
「なぁ、アンドロイドに助けを求めるのはどうだ」
だがそんな静寂を破ったのはカーラの護衛を任せているロバートの一声だ。
そして彼が口にしたアンドロイドは結果から見ればウェイクフィールド解放の一番の功労者である。
その彼等の力を借りるのはどうかとロバートは提案したのだ。
「会話は叶うかもしれないが、支援を引き出せるのか?それ以前に彼等は何処にいるんだ?」
しかし、イアンにとって諸手を挙げて取り組めるものではない。
何より件のアンドロイド達に関する情報が皆無なのだ。
どうやって彼等に合うのか、どうやって彼等から支援を引き出すのか全く見当がつかないのだ。
「奴等がレイダー共を蹂躙する時に街から入って来た方角は分かっている。それを手掛かりに進んで行けば何かが見付かるかもしれない。動かせる車がある今しか行動は出来ないぞ」
「仮に彼等を見付けたとしてどうやって交渉する、何を差し出すつもりなんだ」
「それは……」
「お兄様、私が同行します。そして彼等を見つけ次第すぐに交渉に取りかかります」
言い淀むロバートに代わってカーラが答える。
だがそれはイアンの質問に答えているように見えて全く答えていない。
場所も方法も対価も何も明らかにせずやる気だけを見せて居るにしか過ぎないのだ。
だがそんな事を指摘するほどの余裕はイアンには既に無く、そして街に残された時間もあと僅かであった。
「手段は問わない、出せるものは全て出す、これで何とか支援を引き出してくれ」
イアンは直筆で書いた1枚の紙を妹に渡す。
其処には支援の対価としてウェイクフィールドが持つありとあらゆるものが代価となると書かれた書類だ。
その文面が持つ意味を理解したカーラが何かを言い出す前にイアンが口を開く。
「私達には対価となるような物は何も無いのだ。ならば残されたのは街に在るモノを差し出すくらいしか出来ない」
「……はい、そうです、その通りです」
カーラは兄に対して何も言い返す事が出来なかった。
そして受け取った書類に皴が入らない様に優しく持ちロバートを伴って執務室から出ていく。
それを見送ったイアンはため息を付く、そして残された最後の仕事を始める。
「何人見捨てれば生き残れるのか……、嫌になる」
これ以上の支援が望めないのであれば物資の消費量を減らすしかない。
その為に街の継続に欠かせない人物を残し、それ以外の住民には死んでもらうしかない。
それがウェイクフィールドを治めて来たマクティア家の当主が行う最後の仕事だ。
「死んだら俺は地獄に行くだろうな。本当に嫌だが仕方がないよな」
イアンは乾いた笑い声を出しながら紙に名前を書き出していく。
年齢、性別、特技、持病の有無、紙に書かれた名前には知らない人もいれば知っている者もいる。
それがイアンにとって何よりも辛いものであった。
交渉に出ていったカーラは翌日には帰って来た。
帰って来た姿を見てイアンは失敗したのだと直ぐに考えた、だがそれにしてはカーラ達の様子は何処かおかしかった。
そして出て行った時には寂しかった筈の車の荷台には少ないが物資があった。
もしや話が通じる相手だったのか!イアンが久し振りの胸の高鳴りを覚えた直後にソレはやって来た。
「これはどういう事かな?」
「お、お兄様……」
直ぐに交渉の詳細を知りたかったイアンは震えるカーラを何とか問いただそうとしたが出来なかった。
何故なら巨大な航空機である双発の大型輸送ヘリコプターがこれ見よがしにウェイクフィールドの上空を旋回している。
爆音を轟かせ、今までの抱えていた億劫な感情を全て吹き飛ばす暴風が街に吹き荒れているのだから。
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