第50話 崇高な理由

「人類は未だに生存しているがその版図は今も縮小を続けている!」


 スタジアムの貴賓席、其処に一人立つ白衣を着た男が叫ぶ。

 死者の気配が満ちたスタジアムにおいて男の言葉は高らかに響いた。


「資源不足、食料不足、安全だと思っていた生活圏に突如として湧き出る凶暴なミュータント、この世界で生きる事は困難であり誰もが等しく幸福を享受できる訳ではない。生存者たちは各自にコミュニティを作り力を合わせるが其処には確固とした格差がある。富める者は更に富み、貧しき者は貧困から抜け出す事は出来ない。僅かに残された過去の叡智を食い潰して存続しているのだ!それで後何年生きられる、世界が変わってしまった日、『大崩壊』と呼ばれる日を経て今日まで百年は持った。だが次の百年は、それ以前に十年後、五年後に我々は生存できているのか!」


 朗々と男は謳う、其処に込められた思いの重さはノヴァには分からない。

 だが男なりにこの世界を生きる人類、その未来について考えている事は伝わった。

 そして男の視線が虚空から会場に立つノヴァに向けられる。


「アンドロイド達を率いる貴方、彼等は実に素晴らしい。貴方が身に着けた装備、アンドロイド達の装備も初めて見る物ばかりです。私の記憶が確かならどれもが大崩壊前の連邦軍が運用していた物でもなく、さりとて帝国軍が運用していた物でもありません。ならば貴方達が身に纏う物は大崩壊後に作られた物……貴方が設計し作成した物ですね」


 男は確信を抱いている、ノヴァに掛けられた言葉から感じるのだ。

 だがノヴァは返事を返さなかった、ただ僅かに表情が変わっただけ、ただ黙って貴賓席に立つ男を睨み続けるだけだ。

 しかし男にとってはそれで十分だった、僅かな表情の変化と黙秘、それが男の推測が当たっている事を証明してくれた。


「私の名前はサイモン・フィッシャーと言います。どうです私と手を組みませんか、私と貴方の知識と技術が合わさればより大きな事を成し遂げられます。現状の不出来なクリーチャーではない、完璧且つ安定して生産されるクリーチャーを以って人類の版図を広げましょう、人類の繁栄を共にこの手で取り戻しませんか」


 男はノヴァに語り掛ける、同志になろうと、共に人類を救おうと。

 その言葉を語り掛けられたノヴァは閉じていた口を開き──


「断る、お前の如何なる勧誘にもこちらは応じない」


 しかし賛同することは無く明確な拒絶の言葉を男に返す。

 そしてノヴァの言葉を聞いた男は賛同を得られなかったのが信じられないとばかりに呆気に取られた。


「……幾ら何でも決断が早すぎます、どうかもう一度よく考えてはくれませんか?このお話は貴方にとって悪いものではない──」


「もう一度告げる、お前の如何なる勧誘にもこちらは応じない」


 取り付く島も無かった、それ程の明確な拒絶であり男は頭を悩ませてしまった。

 薄々感じていたが如何やらゾルゲの様な俗物でもなく、人類を救う事に自己陶酔するような理想主義者でもない。

 彼が持つ能力と精神構造が釣り合っていない、なんとも理解し難い人物である。


「此処迄取り付く島が無いのは初めてです。せめて理由を教えてくれませんか」


「理由も何もお前の行ってきた所業が、人をクリーチャーへと変えるお前が嫌いなんだよ。それに偽名を名乗るような奴と関わる気は無い。最後に……お前見た目通りの年齢でもないだろう、どうやって今日まで生きて来た」


 理由、クリーチャーを作り出す過程が認められないと言うのは男にも理解は出来る、人によっては見るのも悍ましいモノであるだろう。

 自らが名乗った名前が偽名と言われるのも理解出来る、この世界においては偽名は珍しいものではなく名乗る名前さえ何らかの保証が無ければ信用に値しない情報なのだから。

 だがまさか見た目そのものを疑われるとは予想外であった。


「胡散臭いと言われるのは覚悟していましたが……なぜ気付いたのですか?」


 目立った顔ではない筈だ、若すぎず老け過ぎず、集団に紛れれば直ぐに見失うような平凡な男の姿をしている筈である。

 だがそれこそが異常だとノヴァの目には映った。その考えに至った原因が何であるか男には皆目見当もつかない。


「貴様の研究資料に使われた言語は連邦の物ではない、帝国の物だ。それだけなら帝国からやって来たマッドサイエンティストで終わりだろう。だがな、研究内容の書き方が完成され過ぎているんだよ、その見た目からは決して書けない非常に高い完成度のものだった」


 ノヴァが地下施設から持ち出したクリーチャーに関する記録。

 そこには変化過程におけるクリーチャーの詳細な変化が、失敗・成功時に関する事細かな考察が大量に書き込まれていた。

 それは一朝一夕で身に着けられるものではない、数多くの経験と長い時間でしか培われないものだ、決して初老を迎えてもいない男が書き上げられる代物ではない。


「今度は此方が質問する番だ、お前は何者だ」


 ノヴァが男を睨みつける、それだけではなく観客席にいるアンドロイド達も各々の銃器を男に向けて構える。

 嘘偽りは認めない、僅かでもその素振りを見せたらノヴァは男を即座に殺害をするつもりだ。

 そして一転して窮地に立たされた男は狼狽え、次の瞬間には殺されるかもしれない恐怖に顔を歪ませる──事もなかった。


「ああ、す、すみませんね、少し、ばかり待って下さい」


 男は泣いていた、両目からはらはらと涙を流しては白衣の裾で顔を拭っている。

 だがそれは殺される恐怖に圧し潰されて泣いているのではない。

 ノヴァもまた男の予想外の行動に困惑し何も出来なかった。

 そうして短くも無い時間が経って落ち着いたのか男は涙で赤くなった顔をノヴァに向けた。


「ええ、もう長い時間、本当に長い時間が経ってましてね、書いた論文やレポートを久しぶりに褒められて、内容を語り合えるほどの教養を持った方と話すのは久しぶりで嬉しくて嬉しくて。すみませんが名前を教えて貰っても」


「……ノヴァだ」


「Mr.ノヴァ、偽名を名乗り失礼しました。私の本当の名前はエドゥアルド・チュレポフと言います」


 白衣の男は姿勢を正し改めて本当の名前を名乗る。


「エドゥアルド……だと」


 そしてノヴァにはその名前に心当たりがあった、だからこそ信じられなかった。


「崩壊前の帝国におけるバイオテクノロジー権威、そして対連邦戦において数多くの生物兵器を開発したエドゥアルド・チュレポフを名乗るのか」


 エドゥアルド・チュレポフ、崩壊前の帝国におけるバイオテクノロジー権威。

 ノヴァが本拠地を構えた町の図書館、厳重に保管されていた科学誌、論文に彼の名前はひっきりなしに現れていた。

 敵国といえども彼が発見し開発した多くの知見や技術は帝国連邦問わず多くの人を救い、バイオテクノロジーを大きく発展させたのだ。

 不治の病の治療、失った四肢の再生、不可能と思われていた臓器の複製……、当時最先端の科学技術を誇り、牽引する人であった。


「ええ、ええそうです!ああ、その肩書で呼ばれるとは、やはり今日の出会いは奇跡です、ええ、そうですとも!」


 ノヴァの示した反応に殊更エドゥアルドは顔を喜ばせた。

 その反応からして白衣の男は自身をエドゥアルド・チュレポフと認識している。

 だがそれはあり得ない事である、大崩壊時の時点でエドゥアルド・チュレポフは齢67歳であったのだ。

 仮に生きていた場合は二百歳を優に超えている、どれ程延命措置を施そうとも人間の寿命を超えている、生きている筈がないのだ。


「若返りか自身のクローンか、それとも他人の身体に自らの脳を移植したか、いや、記憶を引き継がせているのか」

 

 だが相手はエドゥアルド・チュレポフ、崩壊前の帝国におけるバイオテクノロジー権威なのだ。

 法律、生命倫理、方法の是非を問わなければ無視すれば如何にかできるだろう、それだけの知識と技術を持ち合わせた人間なのだ。


「鋭い指摘です!ですが、ですがこればかりは答える事は出来ません!」


 遠く離れたノヴァの推測を聞いていたのだろう。

 思い付きが多分に含まれた憶測交じりの考えであっても聞けて嬉しかったのかエドゥアルドの顔には笑顔が絶えない。


「Mr.ノヴァ、最初に私が言った安っぽい理想、人類の生活圏の拡張なんて物は忘れて下さい。アレは私の本心ではありません、ええ、私が今迄生きてきた理由は嘗ての栄光を、あんな過去の繁栄など全く興味は無いのです。私の願いはただ一つ、在来種の人類とは異なる種、この世界に完全に適応し進化した人類の創造なのです」


 自らをエドゥアルド・チュレポフと認識している男は語る。

 在来種には見切りをつけ新たな人類を創造することを、残された過去の遺産を食い潰して醜く生きる現人類を救う事は不可能である事を、救うに値しない事を。

 狂人の一言であると切って捨てるだろうそれ、だがそれをノヴァの視線の先にいる男は実現しようとしているのだ。 


「ですからMr.ノヴァ、私と手を組みましょう。新たなる人類種を創造し新しい歴史を共に作りましょう!」


 もし男が本当にエドゥアルドであれば今迄生きてきた中で人類に見切りをつける何かがあったのだろう。


「断る」


 だがノヴァは知らない、知ろうとも思わない。

 別に人類に絶望したというスケールの大きな話ではない、そこまでこの世界を知ったわけでもなければ身近に信頼できる少なくない人がいるのだ。

 何より人をクリーチャーに変える所業を認められない、そんな安っぽい正義心がノヴァにはまだあるのだ。


「……どうしてもだめですか」


「諄い、お前が幾ら崇高な理由を語ろうが俺が賛同することは無いと知れ」


 ノヴァからの明確な拒絶、それを聞いた男の顔から笑顔が消える。

 それまでの笑顔が嘘のように消え、只々悲しい顔をする。


「残念です、実に残念です。ですが貴方の考えは良く分かりました」


 男もノヴァという男を理解した、そして手を携える事は出来ない事も。

 悲しい、只々悲しい、直ぐには理解されずとも歩み合えるのではないかと考えていた。

 得難い人だ、力を合わせれば理想に大きく前進しただろう、だがそれが叶う事は無い、その可能性は…零なのだ。


「ならば貴方の身体、そして脳を頂きます」


 命令は無かった、だが男の言葉を聞いたアンドロイド達は何のためらいも無く発砲した。

 たった一人の男に向かって放たれた銃弾、身体を消し飛ばすのに十分過ぎる程の弾丸が遮る物がない空間を進み、着弾──だが男は倒れなかった。

 弾丸は男の手前で止まっていた、其処にある何かに衝突し運動エネルギーを使い切ったかの様に止まっている。


「素晴らしいでしょう、私が作り出した傑作の一つ、67号です」


 男の発した言葉、それが言い終わると同時に男の周りの空間が歪む。

 それは半透明の身体を持つ液体、それが蛇のように蜷局を巻きながら男の周囲を囲い銃弾を止めていた。

 それだけではない、空中で動きを止めていた銃弾が煙を上げて融ける、強力な酸性の液体が滲み出て銃弾を融かす。


「新しい人類の創造に当たり私は幾つもの実験を行いました。強力な身体を持てるように、高い知能を持てるように、過酷な環境に対応できるように。そうした実験は簡単には成功しません、寧ろ失敗する事の方が多いです。ですがその過程で特異な能力を持った子が生まれる事もありましてね、彼は環境適応に優れていますので護衛として重宝しているのです」 


 67号と呼ばれる特異なクリーチャー、それが目も耳も無い顔を会場に向ける。

 その異様な姿にアンドロイド達は再び発砲する、だが銃弾は身体に僅かに突き刺さるだけであり致命傷には程遠い。


「55号、Mr.ノヴァを捕獲しなさい」


 その言葉が聞こえた瞬間、ノヴァの目の前に突如砂埃が立ち上がった。

 直ぐにノヴァは砂埃から距離をとった、其処に何がいるのかその正体を探ろうとヘルメットのセンサーを集中させる。

 そして人型のシルエットを持ったクリーチャーが拳を振りかぶっているのを見た。

 防御は間に合わなかった、ゾルゲと同等のパワーを持ち合わせ、しかもスピードは上回っている拳を避け損ねた。

 強化外骨格の装甲が異音を響かせる、それは装甲が拉げ割れる音であった。

 

 轟音と共にノヴァは会場の端まで吹き飛ばされた、其処で止まることは無く会場を囲う壁に衝突し突き抜けた。

 

「恐れないでください、貴方は掛け替えのない器なのです。貴方は私になる、私達と共に在れる様になるだけです。受け入れて下さいMr.ノヴァ」


 男の命令を受けたクリーチャーが進む、ノヴァの身柄を確保する為に。

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