第43話 眼を開け

 ノヴァはまだ見ぬ街に住む人達に期待していた。


 ノヴァの乗った車両が向かう先は沿岸部ある工業地帯に築かれたコミュニティ、この過酷な世界で生き街を営むほどの力を持ったコミュニティとはどれ程のものなのか。

 事前調査である航空写真から分かる事は人工的な明かりの量と広さから推測したコミュニティの規模だけ、其処に住む住人の政治思想・人種・経済活動等は何も分かっていない。

 もし彼らの住むコミュニティが閉鎖的であり排他的であればノヴァ達は歓迎されないだろう、そればかりがあらぬ疑いを掛けられるかもしれない。

 無論可能性の話であり、非常に友好的なコミュニティの可能性もある。

 そんな風に潮風に吹かれながら進む車両の中でノヴァは様々可能性を考えていた。

 

 ノヴァは見知らぬ街へ行くことに浮足立っていた。

 

 今迄他所の街どころか村さえ見た事も無く、行商人ポールからの情報としてのみ他のコミュニティの存在を確認していただけのノヴァ。

 もし生存に必要不可欠な食料が不足すれば何としても村などのコミュニティを探して加入したかもしれない、だがそんな危険な状態に陥る事もなく今迄ノヴァは生きてこれた。

 そして本拠地に定めた安定した生活を送れるようになってからは他のコミュニティを尋ねる理由も皆無になり気にもしなくなった。

 

 ノヴァは本人さえ気付かない内に夢の様な物を抱いていた。


 これほどの規模の大きな街を維持するには相応の経済活動・食料自給の目途が立っているのは間違いない。

 この街に住む人は何を食べ、どんな仕事をしているのか、どんな人が住んでいるのか、どんな特徴があるのか、また見ぬ街にノヴァの期待は高まる。

 テレビ画面に出力されていたミニチュアのような街ではない、今を、この世界を生きる人々が積み重ねて来た結晶なのだ。


 ノヴァの乗った車両を海岸から吹く潮風が撫でる、街に近づくにしたがって暗闇に包まれた世界の一角が仄かに明るくなっていく。

 光の正体は街を照らす明かり、過去の繁栄に比べれば星明りを掻き消すほどの光量もない弱弱しい光だ。

 それでも明かりの下には多くの人々がいるのだろう、そんな事を考えながら車両は街から少しばかり離れた所に止まりノヴァ達は車両から下りた。

 街を照らす光を頼りにノヴァ達は街に近付く、潜入用に揃えた装備の性能によって無音に近い音しか出さないノヴァ達を見付ける事はミュータントであっても困難である。

 

 そしてノヴァ達は街を囲う防壁も視界に収めた、それなりに高く一定の間隔で見張り台と思われる高台もありしっかりとミュータントに対しての防備を固めてある。

 碌な装備も無ければ乗り越える事は困難であり、大抵の人は正式な入口を使って中に入るのが常識である。

 だがノヴァ達は懐から潜入用の装備であるワイヤーガンを使い容易く防壁を乗り越える。

 

 そしてノヴァはこの世界に来て初めて街を見た。

 其処には多くの人がいた、喧騒があった、賑わいがあった──だがどれもがノヴァの思い描いていた物とは違った。


「何だこの匂いは……」


 今迄嗅いできた事のない匂いを感じる。

 何かが焼けた匂い、果物が腐ったような匂い、ミュータントの死骸が放つ内臓が腐敗した匂い、ノヴァにとっては不快としか感じない匂いが街には充満していた。


 それだけではない、見える範囲にある建物の幾つが焼け落ちている。

 廃墟と化したような建物が修繕も撤去もされずに幾つも連なっている、そしてその廃墟の中には人らしき存在も見て取れる。

 其処にあるのは誤魔化し様も無い貧困街、スラムを形成していた。


 言葉が出なかった、思い描いていた光景は何一つない、だがまだ防壁内の一番外側でしかないのだ。

 中心に行けば変わっているかもしれない、何らかの事情があるのかも知れない。

 そう考えたノヴァは一言も発すことも無く中心部を、人通りの多い通りを目指して建物の上を駆ける。

 

 スラムを見た、多くの人が襤褸を纏い俯きその場に死んだように地面に座り込んでいる──建物を走るノヴァ達を捉えた視線があった、だが暗く淀んだ目には生気を感じる事は出来なかった。

 

 喧騒が聞こえた、それは自慢の商品を宣伝する声だ──そして商品は物ではなく人だ、老若男女問わず売られている、年齢が若いほど高価に、老人に至っては十把一絡げに売られていた。

 

 銃声が聞こえた、一人の男を取り囲むように複数の男が銃を片手に取り囲んでいる、その一つから煙が昇っていた──そして取り囲んだ男達は嗤いながら弾丸を片脚に喰らい満足に動けなくなった男に何発もの銃弾を撃ち込む、泣き叫ぶ命乞いを無視して。


 中心に近付くにつれて喧騒は強まっていく、それに従いノヴァの顔色は蒼くなっていく。


 そして焼け落ちてもいない高層の建物の屋上、街の中心部を簡単に見下ろせる場所にノヴァ達は辿り着いた。

 其処からであれば誰にも見つかる事無く中心部を見下ろせた、だがノヴァの身を案じるアンドロイド達はその先へ進むことを引き留めた──其処にあるものがノヴァにとって有害な物でしかなかったからだ。


「……どいてくれ、サリア」


「出来ません、今のノヴァ様には見せられません」


 それだけでノヴァは理解した、この先にあるのが碌でもないものであると。

 正確な情報収集を行うのであれば見なければいけない、だがサリア達が引き留めた──見なくてもいい理由を作ってくれた。


「分かった、此処から離れて早く医療アーカイブの入手に向か──」


「助けてくれ!死にたくない!」


 だがアンドロイド達の行動は遅かった、街の中心部から発せられた悲鳴を聞いてしまったノヴァは振り返り悲鳴の元を見てしまった。


 其処は処刑台だった、今まさに一人の男が絞首刑台に連行されている所だった。

 それだけなら、まだ何とか理解を示せたかもしれない。

 街の行政機関が行き届き無法を起こしたものを見せしめに殺す事で治安を維持し犯罪を抑制している、そんな見方が出来たかもしれない。


 だがそうではなかった、中心部には幾つもの首つり死体があった。

 男も女も子供も老人もいた、遺体はそのまま放置され腐り、鳥が腐肉をついばんでいた。

 そんな異常な風景にあって処刑に集った人々は喝采を放っている、異常を異常と認識していない悍ましい風景が広がっていた。


「うぷっ……」


 吐き気が込み上げる、胃の中に納まっていた食べ物が胃液と共にせり上がってくる。

 それをノヴァは口を両手で塞いで吐くのを我慢した、だが現実として目の前で起こっている処刑が止まることは無い。

 絞首刑台に連れていかれる男は襤褸を纏った男だ、布で隠されていない顔や腕には数えきれないほどの青痣があり、乾いた血が腕や顔にこびり付いている。

 虐待を受けている、そうとしか言えないような酷い姿だった。

 その姿を見て処刑に集った観客たちは嗤った、面白い見世物であるかの様に──いや、事実として男の処刑は見世物なのだろう、その死に様を見る為に多くの人が集ったのだ。


「さあ野郎ども、今までさんざん手を焼かされてきたネズミ共の一匹だ!

 さて、コイツの数多くの罪を犯してきた、その罪状は数え切れないほどあるが主な罪4つ読み上げる!

 一つ、街の支配者であるゾルゲ様への上納金を滞納した事!

 二つ、課されたノルマを熟すことなく10日も無駄飯を喰らった事!

 三つ、身の程を弁えずに奴隷仲間を庇った事!

 最後に、この街を支配するゾルゲ様へ愚かしくも反抗を企てるドブネズミ共に手を貸した事だ!

 こんな愚かで馬鹿な男はどうすればいいのか、お前達分かるか!」


「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」


 処刑を取り仕切る男の声が拡声器を伝って大きく広がっていく。

 その男の呼びかけを受けた人々は揃えて叫ぶ、殺せ、殺せと。

 処刑場に武器を携え暴力の気配を色濃く纏った無法者の集団が声を荒げて連行された男の破滅を声高に叫ぶ。

 

「そして今でも反抗的な考えを持っているカス共も理解できるか、お前達の抵抗なんて無駄だと、無意味だと、理解したか!」


 拡声器で男が告げる言葉は誰に向けた物なのかノヴァには分からない。

 だが視線の先いる連行された男は泣き叫ぶのを辞めていた、そして首に縄を掛けながらも自らの処刑に集った無法者に対してありったけの憎しみを込めた呪詛を放つ。


「黙れクズ共!お前達がしてきた悪行はいつ──」


 だが呪詛は最後まで言い終える事はなかった。

 足元にある床が割れて男は吊るされた、一瞬の出来事であり男は何も出来なかった。


「あ、悪い手が滑った。それと俺達が見たいのはお前達が無様に泣き叫ぶ姿なんだよ、ってもう聞こえてないか」


 だが男は死んでいなかった、直ぐに死ねなかった。

 縄の長さが足りずに脊椎骨が骨折する事もなく延髄の損傷によって身体機能が停止することが無かった。

 縄によって首に走る動脈が完全に遮断される事なく脳死する事も無かった。

 ただひたすら意識が失われるまで窒息による多大な苦痛を味わう事しか出来ない。


 そんな首を吊るされた男の苦痛に歪む顔を集った無法者達は嗤いながら見ていた。

 死ぬまでの時間に金を掛けている者もいた、心にもない声援を送る者もいた。


 もう見ていられなかったノヴァは視線を外そうとし──吊るされた男と目が合ったような気がした。

 そんな筈はない、建物の屋上で夜の暗闇に包まれたノヴァ達を男が見る事は出来ない。

 だがノヴァの視線を男は捉えていた、そして窒息による苦痛に苛まれながらも口を動かした。

 声など出る筈もない、出たとしても屋上まで聞こえる事はあり得ない。

 だが男が何を言ったか、何を願ったのかノヴァは分かってしまった。


「ノヴァ様!」


 サリアが止める間もなく抜いた拳銃を発砲する。

 潜入用にカスタマイズした拳銃は亜音速弾の銃弾を小さな音で撃ち出し、大型のサプレッサーは銃声を可能な限り抑える。

 処刑の喧騒に完全に掻き消された銃声、そして放たれた銃弾は吊るされた男の頭蓋を正確に撃ち抜いた。

 即死である、脳髄を破壊された身体は抵抗する力を失った、窒息によるいつ終わるとも知れない耐えがたき苦痛から男は解放された。


「う、うぇぇぇ……」


 ノヴァは吐いた、ノヴァには男が殺してくれと叫んだように見えた、ノヴァには銃弾が頭蓋を貫き死ぬまでの刹那の瞬間男が笑ったように見えた。

 

 ゲームでは寂れた農村から発展した街といった数々の集落があった。

 だがゲームの都合により現実世界で考えれば到底街とは言えな小さな規模の集落しかノヴァは見たことが無い。

 其処には多くのNPCがいた、与えられた役割を熟すだけの単純なプログラムで造られたキャラクターであった。


 この街はゲームでは無く現実であった、此処は悪徳によって栄えた街、無法者が支配する街、ノヴァが思い描いていた街ではなかった。


 治まる気配のない吐き気で胃液を巻き散らしながらノヴァは願った、吊るされていた彼が安らかに死ねた事を。

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