第44話 人の業
吐き気が収まったのは胃の中にあるものを残さずぶちまけてからだ。
それでも未だに嘔気が収まらない身体を動かし立ち上がる。
この手で撃ち殺した男が吊るされている処刑台を見れば集った男達が声高に互いを罵り合っていた。
男の生存時間に金を賭けていた者が不正だと叫んでいる、胴元はお前達が殺したのだろうと叫んでいる。
誰も男の死について考えていない、自分の出した掛け金の行方が最重要なのだ。
「ノヴァ様、引き揚げましょう」
「いや、今日終わらせる」
サリアの言葉はノヴァを体調から判断したものであり、正しい物である。
それに従ってしまえば楽になれる、いざとなればサリアがノヴァを背負って拠点まで連れ帰ってくれるだろう。
だがそれは出来ない、それをしてしまえばもう二度と自力で立ち上がれないような予感があった。
なにより、此処で逃げ帰るようでは自ら殺した男の死を貶めてしまう、そんな事は出来ない。
「……道案内を頼む、此処にはもう二度と来たくない、今日で全て終わらせる」
「分かりました。ですが私が危険と判断した場合は何があろうと連れて帰ります」
サリアを先頭にしてノヴァ達は目的地の病院に向かう。
街の中にある建物の屋上は物が少なく障害物になりそうなものは殆どなかった。
ノヴァは人工筋肉を使用した強化スーツで、サリア達はハイブリット型の身体が生み出す膂力で立ち止まる事無く駆けて行く。
時折ノヴァは駆けて行く建物の下を見たが何も変わらない、街で今迄見た景色が何処にでもあった。
明るい通りには無法者が蔓延り、暗い路地裏には息を潜めて生きる浮浪者が多くいた。
悪徳を煮詰めたような街、希望も何もない、絶望と悪意が満ち満ちた風景が何処までも広がっているだけだ
ノヴァは下を見るのを辞めた、ただひたすら先導するサリアの背だけを見ていた。
そして中心部から離れた場所にある建物、目的地である病院を一望できる場所に到達した。
後は病院に潜入し目的の医療アーカイブを探し出して持ち帰れば全てが終わる、帰る事が出来る。
そんな考えが沸き上がって来たノヴァだが隠れて病院を観察する最中に不可解な点が幾つも見つかった。
「警備がある?無法者が此処に警備を置く理由は何だ?」
ノヴァの視線の先にある病院は幾つもの建物が連絡通路で繋がったかなり大きな建物である。
その病院の正面玄関、入口の一つには警備のつもりなのか何人もの無法者がいた。
それだけではない、建物の何カ所には外から見ても分かる電灯の明かりが付いており電気が通っている事が分かる。
それがノヴァには異常に見えた、人を人と思わないような人でなし共が病院の施設を運用できるのか。
それともノヴァが無法者を過小評価してしまっているのか、彼らの中には維持管理が可能な技術者がいるのか。
目に映る全てが異常に見える、だが芽生えた疑念のお陰で沈み込んでいたノヴァは持ち直した。
何より無法者が警備までしている建物に何があるのか、このまま放置するつもりはない。
「サリア達は外で監視をしてくれ。後いざとなったら助けに来てくれ」
「分かりました」
ノヴァはサリア達と別れ単独行動を開始する。
サリア達は身体は正面切っての戦いならミュータントが相手でも互角以上に戦う事は出来る。
だが潜入や隠密と言った行動には最適化されておらず、この分野においては今もノヴァがアンドロイド達を差し置いて最も優れている。
「此処の匂いも酷い」
強化スーツの脚力で塀を乗り越え無音で建物内に侵入する、そして入った瞬間にノヴァの嗅覚は幾つもの匂いを捉えた。
薬品の匂い、血の匂い、何かが腐った匂い、幾つもの匂いが混ざり少しばかり吐き気を覚えるが我慢してノヴァは進む。
どうやら入り口を重点的に警備を置いているよう病院中の警備は手薄である、巡回しているのか何人もの無法者を見たが誰もが気を抜いていて警備がおざなりである。
その代わりに監視カメラと言った機械的な警戒装置は幾つもある、まるで巡回の人員を信用していないような配置ぶりであり警備はむしろ中の方が厳重である。
「何だ此処は……」
余りにも歪な警備とそれに使われる技術、ノヴァの疑念は更に膨らんでいくが最優先目的が医療アーカイブの入手である事は忘れていない。
病院内の端末を探し出して、其処を入口にして内部システムに侵入する。
どうやら電子的な侵入も警戒していたようで幾つものプロテクトが掛けられているがノヴァにしてみれば容易く解除できる代物でしかない。
病院内の見取り図を入手、目的の医療アーカイブへの保管庫を確認、監視カメラを掌握、ここ一時間の記録をループして映し出すように設定、赤外線センサーを用いた警戒装置は即座に解除、端末上では正常に稼働中と表示されるようシステムを書き換えていく。
そうしてノヴァはハッキング用の端末を駆使して病院内の警戒システムを掌握、後に残ったのは巡回しているやる気のない警備員だけである。
いっその事殺してやろうかと考えたが隠密行動である以上余計な行動は無駄であり、敵に余計な情報を与える様な事はしたくない。
ノヴァは掌握した監視カメラを使いながら警備員に見つからないように進んで行き、それから十分も経たずに目的地である医療アーカイブの保管庫に到達した。
施錠された扉を解錠して中に入れば大型の装置が静かに稼働していた。
その機械を分析すると如何やら中に医療アーカイブのデータを収めたストレージが幾つもあるようだ。
一つのストレージには分割したデータが収められており機械に接続された全てのストレージを統合する事で医療アーカイブを再現している様だ。
そうであれば機械を正常な手順で機能停止させてからストレージを全て抜き出す必要がある。
「アーカイブを見付けたが、この配線は何処に繋がっているんだ?」
だがノヴァはその作業に直ぐに取り掛かる事が出来なかった。
何故なら本来であればない筈の配線が機械に繋がれていて、それが別の部屋に続いているのだ
もし病院側のシステムから見付けた配線図に間違いが無ければ、この配線は後から付け足された物である。
そしてノヴァは配線が続いている先にあるであろう部屋に心当たりがあった、其処は端末を操作して病院のシステムを掌握過程で見つけたシステムから物理的に隔離されている領域、それがある部屋である。
掌握過程でノヴァの端末から判明したのは隔離領域に送られる膨大な電力使用記録と物資搬入記録のみだ。
それ以上の情報は隔離されているためそもそも載っていない、だからこそ不用意に装置の機能を止める事が出来ない。
この追加された配線が繋がっている領域、其処の装置がアーカイブの機能停止に合わせて警報を出すかもしれない。
「行くしかないか……」
システムからしてアーカイブ側から操作は出来ない様になっている。
やろうと思えばできるが万が一を考えてノヴァは隔離領域から直接操作する方を選択した。
急造で造られた配線に従ってノヴァは病院の奥に進んで行く、そして配線は非常階段、その地下に続いていた。
大型の病院である為非常階段の作りも大きい、中央の吹き抜けから下を見れば薄明りで何とか下が見える程度だ。
不気味、ただその一言に尽きた。
それでもノヴァは配線を辿って地下に降りていく、一段一段音を立てない様に、僅かな音も聞き漏らさない様に、そうして病院の最下層に到達して漸く配線は下から水平方向へ向きを変えた。
「まだ続くのか……」
ノヴァにも疲労が溜まっている、だがここまで来たからには隔離領域をどうにかしなければならない。
息を整えたノヴァは非常階段から出る、そして其処には大きな地下空間が広がっていた。
空間の広さからして幾つもある病棟は地下で繋がっているようであり病棟の数だけ大型貨物エレベーターがあった。
だがノヴァの目を引いたのはそれではない、幾つもの医療カプセルと思わしき装置が等間隔で幾つも並んでいるのだ。
「医療用のカプセル?いや、それにしては大き過ぎる」
直ぐ近くにあった医療カプセルをノヴァは分析する。
それでノヴァは分かった、コレは人間用に作られたものではないと。
何よりこれらを運用するには病院の維持管理など目ではない高度な技術が必要である。
「奴等が運用できる技術ではない、第一これ程の施設を運用できる電力は何処から来ている」
隠密行動である事を忘れてノヴァは叫び出したい衝動に駆られる。
だがこの空間に何が潜んでいるか分からない、息を潜めノヴァは配線を辿っていく。
そしてアーカイブを収めた装置よりも大型の電子装置が稼働しているのを発見した。
直ぐにノヴァは装置に接続して隔離領域の掌握に取り掛かる。
病院側のシステムとは比較にならない強度を持ったプロテクト、それを苦労しながらもノヴァは解除し地下空間に広がる設備の正体を探る。
「ダムの水力発電、奴等ダムまで支配下に置いているのか」
内部システムを閲覧する事で分かったのは膨大な消費電力とそれを支える水力発電の存在。
此処から離れた場所に建造されているダムから得られた電力の大半を使って漸く維持できる代物である。
それ以外にも物資搬入記録などの多くの情報があったが端末を操作する過程で一つのファイルがノヴァの目を留めた。
「経過観察記録?」
ファイルを選択する、中には膨大な数の資料とそれに付随する映像データが紐づけられていた。
その中でノヴァは『失敗作00067』と書かれた映像を選択し再生した。
「人が眠っている」
其処にはノヴァが見た大き過ぎる医療ポットの中に眠ったように浮いている人がいた。
身体中に無数のチューブが繋がれており、その医療ポッドの周りには白衣を着た男達がいた。
そして男に繋がったチューブから何かが男に入り込む、その直後眠っていた筈の男は激しい痙攣と共にポッドの中で暴れ出す。
何度も何度も手の骨が折れるような音を響かせながら医療ポッドを男は殴るがポッドは壊れることは無く、その数秒後に男の身体が膨れ上がった。
皮膚が裂け、筋肉が腫脹し、牙が生え──だが急激な変化に耐えられなかったのか男の身体がポッドの中で弾けた。
中の溶液が真っ赤に染まり、それ以降の映像は無かった。
「人体実験?いや、その段階にはない、此処は何なんだ」
端末を見る、『失敗作00067』以外にも同様の記録はあった。
そして流し読みをする中でファイルの題名は『失敗作』から『成功体』に変わっていた。
「生物兵器……製造過程、記録、事故記録、素材の安定供給、母体の有効活用、素材の段階的な強化……」
人がいた、子供も、大人も、男も、女もいた。
彼らの姿が変わっていく、人でないモノに、泣き叫んでいる、助けを乞うている。
それらを無視して実験は続けられていく、その結果が膨大な情報となって蓄積されていく。
「うえぇぇ……」
ノヴァは吐いた、もう何も吐く物がないのに関わらず胃は締め上げられる、胃液と涙が流れていく。
床に這いつくばるしか出来なかった、医療アーカイブをどうするとかは頭から消えてしまった。
此処に来るんじゃなかった──その思いしかノヴァの心にはもうなかった。
這いつくばるノヴァはまだ気付いていない、人でないモノ達が静かに忍び寄っている事に、涎を垂らして悪意の結晶が迫っている事に。
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