第41話 演じて下さい

 保護した子供、彼女が口にした内容はノヴァとアンドロイド達の想定範囲外の事であった。

 何度ノヴァが否定しようとも彼女は頑なにノヴァをパパと呼び続けた、しまいにはノヴァ自身も記憶にないがもしかしたら──といった支離滅裂な思考にまで飛んで行きそうになった。

 だが其処で隣の部屋に待機していたサリアがノヴァを強制的に病室から連れ出す。


「ママ?」


「ママ!?」


「落ち着けサリア、落ち着くんだ!」


 だが思わぬ矛先がサリアに突き刺さる、それはノヴァの護衛として常に保たれていた鉄仮面を引き剥がす。

 言葉にすればたった二文字でしかないその言葉にサリア程の高性能な身体を持つアンドロイドが動揺を引き起こしたのは言葉を発した子供が原因であった。

 サリアの視覚から集められる脈拍や呼吸、それにコードから繋がった計測機器のバイタルデータから嘘を見破るのは簡単である。

 

 それが無かった、データに間違いが無ければ彼女は本気でノヴァとサリアを自分の両親だと思っているのである。


「私がママ、ノヴァ様がパパ……、つまり私とノヴァ様が夫婦として──」


「落ち着け!いや、ホントに落ち着いて!君も何か言ってく──」


「Zzzz」


 病室を混沌の渦に叩き落した元凶は話し疲れたのか開いていた瞼を閉じて健やかに寝息を立てていた。

 余りの身勝手さにノヴァは文句を言いたくなってしまったが健やかに安心しているように眠る彼女の顔を見ては怒気は萎んでいくだけだった。

 妙に動きがぎこちないサリアを連れて病室から出ると代わりに様々な検査装置を持ったアンドロイドが病室に代わりに入っていく。

 そうして更なる精密検査、特に脳に関して重点的に行った検査結果からアンドロイド達は一つの結論を出す。


「記憶障害、今迄の出来事をすべて忘れてしまった全生活史健忘で間違いないでしょう。原因は低体温症による脳へのダメージ、それ以外では栄養失調に身体機能の低下、虐待によるストレスも関係しているかもしれません。それ以上は現状では何とも言えません」


 集められた検査データから最も考えられる症状が記憶障害、流石にノヴァでも記憶障害といった脳神経系に作用する薬までは持ち合わせていない。

 そのような状況で出来る有効的な治療は無く、残されたのは継続して看護を続ける事だけである。

 幸いにも記憶障害を除けば致命的な傷を負っている事もないので健康体に快復する望みはある、それだけが良い知らせであった。


「原因が分かっただけでも良かった、改めて検査をしてくれてありがとう」


「頭を上げて下さい、医療が私の本来の仕事なのです。ノヴァ様のお陰で漸く本来の役目を果たせるのですから御礼を言うのであれば私の方なのですから」


 急遽此処に配属されたのにもかかわらず迅速な診断、治療を行ってくれたアンドロイドにノヴァは頭を下げる。

 それを受けたアンドロイドは機械的な頭部の頭を掻く素振りを見せる、だがアンドロイドの話は終わっていなかった。


「それと彼女の事ですが、言っている事を否定しないで上げて下さい。今はまだ彼女が信じているように振舞うべきであると私は考えます」


「それは俺が父親として、サリアが母親として振る舞う事か?」


「そうです、まだ幼い子供ですから否定したとしても頑なになって認めないでしょう。そればかりか大きなストレスとなって他の症状を引き起こし兼ねません」


 倫理的な観点から見れば認められない行動、治療計画である。

 それでも適切な治療・リハビリ環境が整っていない現状ではこれが最善である事をノヴァは理解している。

 何より弱り切った子供を突き放す、そんな行動をとれるノヴァではない。


「そうか、取り合えず容態が落ち着くまで演じてみよう。サリアもいいな」


「問題ありませんが彼女は何と呼べばいいのですか」


「……頭がこんがらがって言われるまで忘れていた。本当にどうしよう」


 意外にも反対する事なくノヴァに従ったサリアであるが、彼女の言ったように名前に問題があった。

 最初の会話でも名前を聞いてみたが彼女は何の反応も返さずノヴァを見つめるだけだった。

 記憶障害と分かった現状では名前を自己申告する事はハッキリ言って不可能である、そうであれば今後の事を考えてノヴァ達が一時的な名前を彼女に付けたほうが何かと都合がいい。

 そうなると一番頭を悩ませるのがノヴァである、自らのネーミングセンスの無さを自覚しているからこそ名付けには慎重になりすぎてしまう。

 何せサリア、マリナ、デイヴの名前を三日も悩んで考え抜いたものなのだ、本人たちから不満を聞いていないが内心ではドキドキした物である。


 そんなノヴァが子供に名前を付けるのだ、一時的な名前でしかないが下手な物は付けられない。

 だが特にコレと言った名前は当然のことながら思い浮かぶ事無く、ノヴァは特に当ても無く部屋の窓から外を見る。

 

 窓の外には廃墟と化した港町が広がり、それを雲一つない夜空が星と月の明かりで照らされていた。

 その中でも特に夜空に浮かぶ月の明かりは強い、満月からは月光が夜の闇に優しく降り注いでいた。


「……ルナリアと呼ぼう、長い名前は覚えにくいだろうし」


 夜空に輝く月を見て安直に思いついた名前、記憶が戻り次第呼ばれることは無くなる名前であるから深くは考えなかった。

 だが彼女の灰色の髪を見れば月の光に似てなくもない、思い付きの名前であるがいいのではないかとノヴァは思った。


「分かりました。それではルナリアの看病で一旦離れます、目が覚めたら呼びにまいります」


「ああ、頼む」


 ルナリアの看病の為に部屋から出ていくサリアをノヴァは見送る。

 サリアに看病を任せれば余程の事がない限り問題はないだろう、ノヴァはそう考えた。


「それで家族の振り以外にも必要な事はあるか?」


「そうですね……、今の私達は各自の電脳に保管されていた医療アーカイブを基に治療を行っていますがデータ不足が考えられます。なので医療アーカイブの復元をお願いしたいのです」


「ネットワーク自体は如何にかできるがアーカイブについて当てはないぞ?」


「それに関しては心当たりがあります。地域ごとの基幹病院には戦時中に定められた医療法によってネットワーク、データベースが破損した場合でも迅速に復旧できるようにバックアップを確保するように定められていました。その中には医療関係のアーカイブも同時に保存するよう医療法で定められました」


 専門知識のアーカイブを複数、それも基幹病院ごとに保存を義務付けるとは連邦はそれだけ帝国との戦争被害は大規模になると考えていたのだろう。

 しかし復興まで覚束なくなるほどの壊滅的な被害は計算できなかったのか、それとも考えたくなかったのかはノヴァには分からない。


「ストレージの形式は複数ありますが記録保存可能期間は100年を超える様に設計された物です。戦前の記録ですが此処からであれば工業地帯に地域基幹病院がありました。そこの病院の地下に厳重に保管されている筈です」


「分かった、時期を見てから回収に向かう」


 アンドロイドの言う通りであれば膨大な量のデータを秘めたストレージが利用可能な状態で保存されている事になる。

 それは子供の治療だけでなく、ノヴァが何らかの怪我や病気になった時に役立つものでありデータベースの復旧についてはノヴァも賛成である。


 会話を通して取り敢えず当面の間の行動指針は得られた。

 後は子供の回復状況に合わせてその都度行動を起こしていけばいいだろう。


「ノヴァ様、私も可能な限りのサポートを行います」


「分かった、頼りにさせてもらう」


 医療アンドロイドに返事を返しながらノヴァは部屋を出る。

 保護した子供にいい様に振り回されて疲れたノヴァはそのまま自室に帰って寝てしまおうと考える、たが一応は父親らしいこともすべきではないのかと考える。

 記憶障害によってノヴァをパパと呼ぶ程不安定な子である、何かが切っ掛けになって記憶が戻る可能性があるかもと考えてノヴァは病室を訪れる。

 

 病室に入れば寝ているルナリアの傍に置いた椅子に座ったサリアがいた。

 どうやら寝ているようで瞳は閉じられているが悪夢にでも魘されてるのか顔は苦痛に歪んでいるように見える。

 そんなルナリアの片手をサリアが優しく握っている。


「此処に来た時からこの表情です。バイタルサインからは異常は検知されませんがどうしましょうか?」


 悪夢を見ているのなら起こすべきだろうが身体の痛みによる可能性もある。

 少しだけ考えたノヴァはサリアと同じようにもう片方の空いている手を握ってみる。


「パパ?」


 ルナリアが口を開く、起こしたかと思って顔を見れば目は閉じたまま。

 恐らく寝言だろう、そう考えつつもルナリアの手を握ったノヴァは語り掛ける。


「ああ、此処に居るから安心して寝なさい、怖いものは此処にはないから」


 寝ているルナリアには届かないだろうと思いながら語り掛けた、だがノヴァの予想を裏切って苦痛に歪んでいたルナリアの表情が安らかなものへと変わった。


「パパ」


 そう言ってノヴァの手を強く握るルナリアの目は閉じたままだ。


 終わりが見えている、彼女が信じている家族は本物ではないけれど、それでもノヴァは安心して寝ているルナリアを見て心が痛んだ。

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