第40話 君は誰?

 一人の子供がベッドに寝かされている。

 骨と皮だけしかないような栄養失調に陥りかけた身体、栄養状態の悪さによる発育不全によって正確な年齢を推察する事は出来ない。

 肩口まで伸びた髪は真っ白に近い灰色に染まっており海水の影響もあるだろうが長年手入れをされていないからか毛先から根元まで傷んでいる。

 全身に打撲痕と思われる青痣があり、骨が折れている可能性も考えられる。

 そんな瀕死に近い状態の子供がノヴァの目の前にいた。


「この子が海岸に漂着していた子供か」


「はい、巡回部隊が発見、危険な状態であった為任務を中断して拠点に運んできました」


 巡回部隊は遠征部隊のアンドロイドから編成した部隊である。

 主な仕事は港町に築いた拠点周辺を巡回し近付いて来るミュータントを発見し小規模であれば部隊で駆除を行う事である。

 大規模なミュータントの群れは到着から数日の内にノヴァを筆頭とした大部隊の運用によって粗方排除済みであり残っているの小規模な群しか残っていない。

 そして残った小規模な群れの脅威は低く、その程度であれば態々排除する必要も無かった。


 巡回ルートは拠点を囲むように行われ、その過程で沿岸部も監視する必要があった。

 何時もであれば何処からか来た流木やゴミが海岸に打ち上げられるだけで終わる筈であったが、その日は流木に掴まった何かが海岸線に打ち上げられていた。

 部隊のアンドロイドが銃を構えて警戒しながら近付くと正体は人間、それも身体の大きさから子供であると判明。

 そして余りの容態の悪さに迅速な処置が必要と判断したアンドロイド達は任務を中断し子供を拠点に連れ帰って来た。


「推定年齢10歳前後の女児。栄養失調による衰弱、加えて長時間海水に浸かり続けた事で低体温症を起こしています。発見が遅ければ手遅れになっていたでしょう」


「そうか、此処にある設備で対応できるか?」


「可能です、ですが予断を許さない状況ですので専門的な治療を行える医療特化アンドロイドと設備、道具を此方に持ってくるほうがいいでしょう」


 身体を清潔にし、ノヴァ用に持ち込んでいた非常時用の点滴や衣類などを使用する事で目前の危機は脱したと言えるだろう。

 だが子供の健康状態は変わらずに悪い、症状を快復に持っていくためには本格的な治療を継続的に施す必要がある。

 それが可能なアンドロイドは此処にはおらず、本拠点から人員と設備を送ってもらう必要があった。

 

「分かった、デイヴに人員と設備を送ってもらうように連絡をしてくれ」


「分かりました。……連絡完了、日暮れまでには此方に着くとの事です」


「さすがだな、なら今できる事をしようか」


 治療の目途がたった以上、後は専門家に任せるべきだろう。

 そうなると気になってくるのは海岸に漂着した子供が何処から来たのか。


「潮の流れもあるが恐らく向こうにある工業地帯から来たのか……」


「推測の段階ですが可能性は高いでしょう。あそこから更に遠い場所からの漂流であれば此処に流れ着くことも無く海洋性ミュータントに捕食されるか低体温症で死んでしまいます。ですが全て憶測なので子供が目覚めてから聞き取りを行ったほうが確実と考えます」


「そうだな、今はこの子の治療に集中しよう。サリア、俺は病床とバイタルサイン計測装置を作ってくるが何かあれば呼んでくれ、子供が危篤状態になったら許可を取らずに必要と思われる処置をしてくれ」


「分かりました」


 そうしてノヴァが拠点内の設備で病床と計測装置を作っていると新たな人員が拠点に入った。

 デイヴが編成した医療特化のアンドロイド達でありアンドロイド達とノヴァが急いで設備を設置する事で日付が変わる前に子供の検査を終える事が出来た。

 

 だが検査結果はノヴァの想定していた物とは全く違った。


「ノヴァ様、保護した子供には多数の虐待の痕跡がありました」


「……本当か」


 検査室の隣にある部屋でノヴァは検査を行ったアンドロイドからの報告を聞いた。

 だが検査結果は子供の健康状態だけでなく保護した子供が置かれていた過酷な状況も明らかにした。


「間違いありません、漂流中に負った打撲痕とは別に古い打撲痕が全身にありました。念の為に精密検査したところ恒常的な虐待による内出血が確認されました」


「そうか、それ以外には何か分かったか?」


「幸いと言っていいのか分かりませんが骨折は無く内臓にも損傷は見られません。ただ栄養失調による衰弱が一番の問題なので今後の治療計画としては安静と食事療法が必要になります」


 検査から判明した子供の健康状態から適切な治療計画を考案するのは流石医療特化型のアンドロイドと言えるだろう。

 だが検査の過程で判明した事実、子供が日常的に虐待を受けていた事が判明した今ノヴァは考えていた行動を変更しなければならない。


「衰弱が激しいので此処での療養を推奨しますが、体力がある程度回復して移動に耐えられるようになった段階で本拠地に移送しますか?」


「……目を覚ましてから彼女に聞いてみよう、帰るべき家があれば遠ざかるのは心理的にも大きな負担になる。此処では計画を練る事に留めて彼女の考えを聞いてから行動を起こそう」


 何らかの不幸な事故で漂流してしまったのなら快復を待ってから故郷まで連れていく事を当初のノヴァは考えていた。

 その際にアンドロイドに恐怖を持つような子であればサリアやノヴァが交代で面倒を見る必要があるかもしれない、そこまで考えていたのだ。

 だが虐待を、それを恒常的に受けていたとなれば前提が変わってしまう。

 

 虐待から逃げ出した過程で漂流して此処に流れ着いたのか、それとも虐待の一環として海へ流されたのか。

 前者であれば自発的な行動であり、後者であれば死ぬ事を願われて捨てられたのか。

 

 彼女に虐待を行っていたのは家族なのか、それとも血縁関係も何もない第三者なのか。

 彼女を疎んで虐待に及んだのか、もしかしたら攫われて虐待を受けていたのかもしれない。


 子供への虐待は平和な日本であっても存在した、だがそれは映像越しに見る遠い世界の出来事のように捉えていた。

 だが今ノヴァの目の前には虐待を受けた子供がいた、そして此処は平和な世界ではなくミュータントといった危険が溢れている過酷な世界である。

 このような状況においてノヴァが取るべき選択とは何なのか──


「ダメだ、推測だけで考えると気が滅入る……」


 アンドロイドからの報告を聞いたノヴァは部屋から出て外の空気を吸いに出る。

 拠点から見える嘗ての港町は荒れ果て、されど何も変わらない波浪と潮風がノヴァの頭に堆積した考えを攫って行く。

 だが攫って行った端からまた新たな考えが湧き出てきてしまい外に出た所で悩みは解消されはしなかった。


「クソが……」


 ただノヴァは聞く者が誰もいない悪態を小さく呻くだけだ。

 何が正解なのか、何をするべきが分からない問題に対してノヴァが今できる事はそれしかなかった。

 

 そして検査をしてから翌日、保護された子供が目を覚ました。

 看病していたアンドロイドからの報告を聞いたノヴァは突貫で造られた病室に入る。

 其処には腕に点滴を刺し、バイタルサインを測定するために身体中にコードを繋げた子供がいた。

 保護した初日と比べて顔色は改善してはいるが身体は瘦せ細ったままである。

 それでも今迄閉じられていた目は開かれており、病室に入って来たノヴァをしっかりと捉えていた。 


「おはよう。気分は如何かな」


 ノヴァは落ち着いた声で子供に話しかける。

 子供がアンドロイドに恐怖を感じる可能性も考えて部屋の中にはノヴァしかいない。

 代わりに病室のすぐ隣の部屋にはサリアをはじめとしたアンドロイド達が待機しており何か問題があれば直ぐにでも駆けつける事が出来る体制になっている。


「…………」


『反応はありませんが話し続けて下さい。威圧感を与えないよう目を見てジェスチャーを交えながら目線を合わせて…………』


「声は聞こえるかな、自分の名前は言える?何処に住んで居たのか思い出せる?」


 声掛けに対して反応を示さない子供にノヴァは不安になる。

 だが耳元に着けているイヤホンから医療アンドロイドから絶えず送られてくる指示のお陰で会話が止まることは無い。

 天気の話、外の話、海の話、ノヴァは考え付く限りの話題を子供に語り掛けたが芳しい反応は得られなかった。

 ノヴァのイヤホンからも一旦会話を切り上げるべきだと隣室のアンドロイド達は結論を出し会話は一時中断する事になった。


「ゴメンね、まだ体調が悪いようだから一旦出直すよ。しっかり寝て身体を治すんだよ」


 そう言ってノヴァは子供の外れかけた布団を掛けなおしてから部屋を出ようする。

 そして布団に手を掛けたノヴァを見て初めて子供が口を開いた。


「……パパ?」


「うん?」


 子供を見れば目はしっかりとノヴァを見ていた。

 言い間違いの様子は無く、そうであるならノヴァの見た目に近い人が子供の父親である可能性がある。

 

「いいや、俺は君のパパじゃないんだ。俺の名前はノヴァ、君のお父さんの名前を教えてくれるかな」


 子供の誤解を解きながらノヴァはもう一度尋ねる、すると子供は再び口を開いた。

 

「ノヴァ」


「……俺の事?」


「うん、パパ」


『ノヴァ様、一旦会話を切り上げて下さい。もう一度精密検査を行います』


 隣室では何かがせわしなく動いている音が漏れ聞こえるがノヴァの視線は子供に釘付けである。

 目が覚めた子供とのファーストコンタクト、怖がらせないよう、怯えさせないよう必死になって練りに練った対応策は全てが無駄になった、ノヴァが全く想定していない事態が起きてしまったのだ。


「…………どうしよう」


 ノヴァは混沌と化した現状に内心頭を抱えるしかなかった。

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