轢過2回目

 営業所に戻った時、山田から「次回はどうするか」と聞かれたが、さすがに茫然自失状態で頭は回らず、ただ首を横に振るのが精一杯だった。


 築三十年の二階建てアパートの階段をのぼる。カンカンと一段のぼるごとに金属音が響く。階段の手すりを握った掌には、トラックのハンドル越しに響いた車に生物の身体がぶつかった衝撃が蘇る。


 俺は、人を轢いてしまった。しかも大型トラックで。助かる確率は限りなく低いだろう。血の海。あの時、とっさに踏んだはずのブレーキは何故か効かなかった。


 アパートの駐車場では学校が終わったばかりの小学生たちが集まって縄跳びやゲーム機で遊んでいる。俺はそんな夕日に照らされる子供たちを横目に震える手で鍵を開けて、自宅へと入った。


 内側から鍵を閉め、チェーンをかける。そうしてから、やっと封筒から二十万円を取り出した。久しぶりのまとまった金だった。


 先月の家賃を滞納しているので、まずはそれを支払おう。電気代とガス代も止められないうちに滞納分を支払わないと。ああ、それよりも先に携帯代……。二十万円の使い道は右から左にあっという間に決まってしまった。


 俺は一万円札を三枚取り出して財布に入れ、残りを封筒に戻して靴箱の上に置いた。とりあえず、まともな飯でも食って、酒とタバコを買おう。靴を脱ぐこともなく、玄関からまた家を出る。


 お気に入りの中華屋で腹を満たして、近所のコンビニで滞納していた携帯電話料金を支払うついでに酒とタバコを買い、もう一度、自宅に帰る頃には不思議と手の震えは止まっていた。



◆◆◆



 タクシーの中で山田が語った話は、荒唐無稽そのものだった。


 我々のいる世界は無数に存在する多元的な世界の一つであり、他にも世界が存在していること。そして、その別の世界の一つから我々人類に接触があったこと。


「ロズウェル事件って覚えてます? 墜落したUFOに乗ってた宇宙人を米軍が回収したっていう。まぁ、あれの別次元世界版って感じですね。たまたま、あちらとこちらのチャンネルが合ってしまったんでしょう」


 昔流行った男女の二人組の捜査官が怪事件を捜査する海外ドラマをぼんやりと思い出す。ただ、交通事故を起こしてしまったショックで、山田に何か返答しようとしても口が上手く動かなかった。


「それで、あちらの世界はいま生命活動エネルギー……いわゆる『魂』が不足しているそうで、逆にこちら側は人間余っているでしょう? それで、高度な科学技術情報の提供を受ける見返りに、こちらは人間の魂を向こうへ輸出しているんですよ」


 ペラペラと、こいつは何を言っているんだろう。


「まぁ、輸出って言っても物理的に人間自体は運べませんからね、お互いにやりとりできるのはゼロイチの情報データや生命エネルギーのような質量をもたないもの……ほら、素粒子って聞いたことありませんか?」


 俺は自分の掌に視線を落とす。長距離トラック運転手をしていた時代に、地方の山で鹿を轢いたことがあった。その衝撃に似ていた。何か芯のある物体の周りをゴムで覆ったような……そんなものにぶつかった感触。


「……と、いうわけで弊社の大型トラックは、先方の世界の技術を応用して開発された移動型素粒子転送装置を荷台に積んでまして、対象者に衝突することで、対象者の『魂』をというわけです」


 俺はようやく山田を見る。山田も俺の視線に気がついたのか、こちらを向いた。


「じゃあ、これは『人を轢き殺す仕事』ってことなのか?」


 山田は俺の発言に満足したように、人の好さそうな笑顔を返した。



◆◆◆



 テレビの前に置いてあるローテーブルにコンビニのビニール袋を置き、封筒に謝礼金と一緒に入っていた山田の名刺を取り出す。先ほど滞納していた料金を支払ったばかりなのに、スマートフォンはもう使用できるようになっていた。


 三回ほどの呼び出し音を経て、山田は電話に出た。


「はい。山田でございます。いつもお世話になっております」


 山田の定型句に俺も定型句で返したあと、すぐに本題に移った。


「仕事を継続して引き受けたいと思う。ただ、まとまった金ができた時点で辞めたい」


 いまある借金をすべて身綺麗にして、ある程度の貯蓄をして、まともな仕事に再就職をする。それまでの間は、この仕事をしよう。あまりにも割りがいい。


 中華屋で回鍋肉定食を食べながら、決めたことを反芻する。


「はい。もちろんですよ。退職時に念のため守秘義務契約はさせていただきますが、自主退職を無理にお引止めしたりはいたしません。それに一度辞められても、スポットでまたお仕事される方もいらっしゃいますしね」



 翌日また営業所へ行き、俺は雇用契約書にサインをした。書類から顔をあげて山田に「今日も仕事はあるのか?」と尋ねると、山田はとても嬉しそうに「もちろんですよ」と顔を綻ばせた。

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