転生殺人トラック

笹 慎

轢過1回目

 衝撃とともにエアーバッグが作動する。慣性の法則によって前のめりになった身体はエアーバッグによって、今度は座席シートへと押し返された。


 最初に頭に浮かんだのは「やってしまった」だった。しぼみ始めたエアーバッグの隙間から、フロントガラスに血が飛び散っているのが見えた。



――俺は、人を轢いてしまった。



◆◆◆



 事の始まりは、開店前のパチンコ屋に並んでいたら、顔見知りの常連客から割の良いバイトの話をもちかけられたことだ。


 出来高制で、即日現金払い・一案件につき二十万円。


「闇バイト?」


 そう不安になって聞いたが、「違う」と首を振られた。


「大型免許が必要だからさ。紹介できる人、限られてるんだよね」


 なるほど。腰を壊して辞めてしまったが、俺は確かに大手運送企業でトラック運転手をしていたので、大型免許を持っている。


「ヘルニアやってるから、長距離とか重いもん運ぶの無理なんだけど」


 またしても、「大丈夫」と首を横に振られる。実働一案件、三十分程度らしい。


 一体全体、なんの仕事なのだろう。カードローンの返済金は、毎月最低金額のみである。とりあえず、金に困っていた俺は説明を聞きに行くことにした。


 ちなみに、その日のパチンコは負けた。



◇◇◇



 アルバイトの説明会会場は小さなミーティングルームだった。メガネをかけた真面目そうな担当者から仕事内容が書かれたマニュアルを渡される。


 部屋には俺のほかに三人の応募者がいた。俺と同い年くらいの一人と、俺よりも一回り以上は年上であろう二人。応募者は、俺も含め全員くたびれたオッサン四人だった。


「本日はお集まりいただきまして、ありがとうございます。私は当地域のエリアマネージャーをしております山田と申します」


 山田と名乗る担当者はそう言って、軽くお辞儀をしてから応募者たちへマニュアルの十三ページを開くように、と続けた。


 十三ページには、お店とトラックとタクシーのイラストと矢印が描かれている。


「業務内容につきましては、案件ごとに指定された場所まで大型トラックで走行していただくのみとなります。

 指定場所はこの営業所から概ね二十キロ圏内となり、トラックはその場で乗り捨てていただき、帰路につきましてはタクシー券をお渡しいたしますので、タクシーにて営業所までお戻りください。

 その後、謝礼金をお受け取りいただいて終了です」


 なぜ、そんな簡単な仕事がこんなに高額の報酬なのか、そもそも大型トラックでわざわざ走行するのかもよくわからない。違法な物の運び屋なのかもしれない。チラリと周りを見ると、他の三人も訝しんでいるようだった。


「こちら厚生労働省からの補助金にて運営されております委託事業となりまして、特例法に基づき謝礼金は非課税扱いのため確定申告等不要でございます。

 また、業務中に発生した如何なる事故等につきましても、運転手の方は刑事民事共に免責となりますのでご安心ください」


 応募者の疑念を先んじて否定したかったのか、山田は穏やかな口調でそう続けた。


 まだ不信感はぬぐえないが、丁寧ながら一般市民にはよく理解できない独特な言い回しからして、山田が公務員またはそれに近しい職種の人間なのは間違いなさそうである。親方日の丸な事業なのは確からしい。


「ただ、かなりとなりますので、まずはこの後トライアル体験をしていただきまして、続けられそうな方だけ正式契約とさせていただければと存じます。

 もちろん、トライアルの場合でも業務を完遂していただければ満額謝礼金をお支払いさせていただきますし、途中ご辞退の場合でも半額をお支払いさせていただきます」


 その後、トライアルでは大型免許の確認だけで特に免許証のコピーは取らないと言われ、「途中でやめても十万円もらえるし」と俺は参加を決める。


 結局、集まった四人のうち一人だけ説明会のみで辞退し、残った俺を含む三人は山田に連れられてトラックの置いてある倉庫へと移動した。


 初回は補佐として助手席にスタッフが乗車してくれる。俺は山田が担当してくれることになった。助手席に座った山田はカーナビを操作する。


「目的地とルートは設定済です。ナビの開始ボタンを押すことで、始業打刻となりますので忘れずにお願いします。

 また、復路で使用するタクシー券が運転席のサンバイザーにちゃんと挟まっているか確認してください。無い場合は、必ず出発前にスタッフにお声がけくださいね」


 タクシーは目的地近くで「送迎」で手配済らしい。業務内容は未ださっぱりわからないが、あまり頭を使わずにできるようで安心する。


 そうして、久しぶりの大型トラックの運転に少し緊張しながら、俺はアクセルを踏み込んだ。



◆◆◆



 交通事故を起こしてしまい動転している俺をよそに、助手席の山田はいつの間にか外していたメガネを胸ポケットから取り出し、悠然とかけ直した。そして、俺に柔和な笑顔を向けてくる。


「特殊な衝撃吸収技術を用いているトラックですので、むち打ちなどの可能性はほぼございませんが、念のためお身体の加減はどうでしょうか?」


 こいつは何を言っているんだ? 俺は、人を轢いて……。俺のことよりも救急車と警察に電話を……。ポケットにしまったスマホを探して、上着をまさぐる。そこで携帯料金を滞納して止められているのを思い出した。


「あ~大丈夫ですよ。警察などの手続きは私どもで行いますので。はい。では、タクシー券を忘れずに持って、トラックを降りてくださいね」


 困惑で俺が動けないでいると、山田はシートベルトを外し、身を乗り出して運転席のサンバイザーからタクシー券を取り出した。それから、助手席のドアを開けて車を降りる。


 彼はそのままトラックの前を通り(彼は何かを跨いでいたが考えたくない)、運転席のドアを開けてくれた。


「帰りのタクシーで説明しますから」


 そう言われ、山田に促されるままトラックを降りる。なるべくトラックの前方は見ないようにしたが、足元を見るとアスファルトの凸凹を伝って網の目状に血が流れてきていた。

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