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 さすがに山登りは堪えたのか、少年は額にびっしりと汗をかいて、やっとの思いと言った具合で旅館の前までたどり着いた。

 

 その旅館には、見る者に時代を1つ2つ遡らせるようなそんな趣があった。単純に古いと言い換えてもいいかもしれないが、それだけでは済まない雰囲気がそこにはあった。


「いらっしゃいませ。ご宿泊ですね。」


 中に入ると、まるで自分がここに来るのが分かっていたかのように、番頭と思しき男が玄関でひれ伏して待っていた。


「いや、宿泊じゃない。僕はここに探し物に来たんだ。」

「記憶、でございますね。聞き及んでおります。」


 番頭は頭を伏したまま少し頭を傾けて、後ろを窺うような仕草を見せた。その先には竹林の中で少年が追いかけたあの小さな赤いちゃんちゃんこ姿があった。しかし少年の視線に気づくと、すぐにまた姿を消してしまった。


「ささ。遠慮せず。ささ。どうぞ。」


 促され、少年はほとんど破れかけの草鞋を無造作に脱ぐと、先に立って歩く番頭についていった。


 床鳴りの音がぎしぎしと静かな館内にこだまする。

 ほの暗い館内はひんやりとして、たまに吹き込む風が少年には涼しく感じられた。


 途中、幾つかの部屋の襖が開いていたので、少年は歩きながらチラ、チラッと中の様子を覗き込んだ。

 

 そこには派手な旅芸人の格好をしたのや、遊女の艶めかしい白い首筋、生真面目そうな書生などが見えた。

 そのどれもが、部屋の隅に置いてある書斎机に向かって、ただ黙って座っていた。


 少年は、彼らのこの、まるで気配の窺えないうすら寒い雰囲気に嫌悪感を抱いた。いや、それは彼らだけに限った話ではなかった。番頭も、さきほどのちゃんちゃんこの娘(?)も、この旅館でさえも。もっと言えば少年が出会った、目にしたもの全てに、そういう何か生命の熱とでも言うべきものがなかったのではないか?


 そして少年は省みる。

 自分はどうなのだ?ただ漫然と、本能の赴くままに記憶探しをしている自分は?彼らとほとんど変わりないのではないか?


 少年の顔は強張り、汗の引いた額には今度は脂汗が滲んでいた。

 

「こちらの部屋でございます。」

 番頭はそんな少年の様子などお構いなしに、ある部屋の襖を開いた。

 

 それは他の部屋同様に質素な造りのものだった。部屋の真ん中に煎餅布団が敷かれていて、奥の隅に書斎机がひとつあるだけだった。

 

 少年は部屋の中に足を踏み入れると、そのまま真っすぐに書斎机に向かってあぐらをかいて座り、両腕をだらんと机の上に置いた。まるで、この机は昔から自分のものだったんだと言わんばかりの横柄な、それでいて自然な仕草である。


「では、ごゆっくりとおくつろぎ下さいますよう。」

 少年が振り向くと、すでに番頭の姿はなかった。


 少年は小さく舌打ちして、少し苛立たしそうに畳を拳で叩いた。


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