上里が二年前に結婚を済ませていて妻子がいること、その妻とは別に婚約者同然の女性がいたこと、ずっと彼女と同棲していたこと、ツアーなどの合間を縫って、妻子の待つ家と元婚約者の家を往復していたこと、配偶者を持ったあともさらに複数人と交際をくり返していたということが、続報として週刊誌に載った。その記事が出た日は午後から音楽番組の収録が入っており、踏み入れたテレビ局のあちこちが上里の話題で騒然としていた。


「待って、婚約者がいたのに別の人と結婚したの?」「奥さんいるのに婚約者ともつづいてて、そのうえセフレもいるの?」「性欲こわ」「そのうえでまた別の女襲うとかやばくない?」「どんだけ女好きなの」「神経疑うわー」「what happensフェスの出演とか音楽番組とか、いろいろ決まってたの全部白紙だって」「まー、そりゃそうなるよね」リハーサル前の空き時間、音楽番組のスタッフがささやき合っているのを耳にする。


「でもほかのメンバーは可哀想だよねえ」


「けど曲って全部上里さんが作ってたんでしょ、上里さんがいないと成り立たないよね」


 what happensは若者を中心に、けれど幅広い世代のファンを獲得している人気バンドだった。さまざまな音楽番組やフェスに引っ張りだこで、ボーカルの上里が手がける曲はコアな音楽ファンからの支持も高かった。


「でもさあ、上里さん何回か会ったことあるけど、そんなタイプに見えなかったくない?」


「まあ、いつもにこにこしてて、ピュアーって感じの人だったもんね。エロいことなんてなにも知りません、みたいな」


「それがじっさいはこんな」


「いま思うとあれは外面だったんだな」


「見かけで判断しちゃ駄目だね」


 どこへ行っても上里の話で持ちきりだった。控室にこもろうとしても、柴の所属するグループのメンバーも口々に噂している。「what happensやばくない?」「上里っていまどうしてんのかな」「干されるだろうなー」柴は無言でドアを閉め、部屋を出た。


 時間のぎりぎりまで非常階段の陰で過ごし、スタジオに入るとスタッフが上里を非難したのと同じ唇で「真柴さん今日も恰好いいですねー」と笑った。どのように答えるべきなのか、柴は正解がわからない。柴は以前そのスタッフが上里の作る楽曲を褒め、「私、上里さんみたいな人がタイプだなあ」とはにかんでいた、その声を憶えていた。彼女はいまでもそう言うのだろうか。一瞬訊ねかけ、けれどもし柴の望む答えでなければ自分がなにをするかわからないと感じて、柴は口を噤んだ。



     ◎



 柴は都会でバイトをかけ持ちし、レッスンのない時間の大半はバイトに費やした。学生の上里とはスケジュールが合うはずもなかったが、柴より融通の利く上里(と本人が柴にそう言った)が柴に合わせて部屋に来ることが多かった。


 上京後、柴は家賃の安い郊外の古アパートを借りた。柴のアパートには空調がなく、夏は砂漠のように暑く冬は雪国のように寒かった。上里はオートロックのついた小綺麗なマンションでひとり暮らしをしており、自宅のほうが快適であるに違いないのに柴の部屋によく入り浸った。


 休みがあれば――というよりはできるだけ時間を捻出して――十代のころはたびたびライブに出かけた。上里は大学で出会った人間と新たにバンドを組んでいたので、そのライブを見にライブハウスに赴いたり、上里に誘われてマイナーなロックバンドの演奏を覗いたりした。


 柴と上里が千歳と知り合ったのもそのころだった。ライブハウスで眩暈を起こして倒れかけた千歳を柴が助けたのが最初だった。千歳は柴と上里よりひとつ年上の大学生だった。音楽の趣味が一致したことで意気投合し、そのうちに、上里のバンドのライブを柴と千歳で見に行くようになった。それは、二十歳になる年の冬のころ、上里の組んでいるバンドが大手レーベルからCDをリリースすることになったと聞かされる、その直前までつづいた。


 少しあとのタイミングで、柴の所属することになるアイドルグループのデビューも決まった。柴も、上里も多忙を極めるようになった。——柴はそう思っているが、本当のところは柴にはわからない。上里は忙しいはずだと思っていたけれど、たまに会えばいたって変わりなく、顔を合わせていなかった時間のラグなど感じさせない陽気さで、近況を語りつつ、こちらの近況も聞きだした。ライブへ行くことは——上里のバンドが爆発的に売れたことも相まって——そう気軽にできることでもなくなったが、いつしか、上里の部屋に赴けば、中から上里とともに千歳が柴を出迎えるようになった。


 それから少しして、上里から報告があった。


「千歳とつき合うことになったんだ」


 柴は、交際報告をしてきた上里の嬉しそうな声を、いまでも思いだせた。それまで、上里と恋愛の話をすることはほとんどなかったが、柴の知る限りでは、上里には、長く、決まった交際相手がいなかった。


 少しだけ気恥ずかしそうに、けれど幸せを手にしたように笑っていた。その声音を、柴は、昨日のことのように鮮やかに再生できる。


 あの幸福から、なにがどうして、性的暴行と不倫報道に至ったのかを、柴は知らない。



 ある夜、酒に酔って上里の部屋でまどろんでしまったとき、柴は上里と千歳が親密そうに声を交わすのを眠気で切れかかった聴覚で淡く捉えた。ふたりはテレビを見ているようだった。


「あれ、きれい」


「あーいうのが欲しいの?」


「え、違うよ、きれいだなって、ただ、それだけ」


 なにを見てのやりとりだったのか、目を開けることまではできなかった柴にはいまや知る術もない。事前に聞いていた情報がなくても、ふたりがそれまでの、友人にとどまる関係でなくなったことだけはほとんど眠っている身体でも感じとれた。自分はもしかしたら、もうここに来るべきではないのかもしれない。そう思った。身体にやわらかな毛布のようなものがかけられたところで、その夜の柴の記憶は途切れている。



     ◎


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