街ー2

「え? あそこの駄菓子屋って妖がやってたの?」

瑞穂は里ノ重の工房を出たあと、粉舐め婆の菓子屋へ向かっていた。


「陽のあるうちは人間の子供向けに店を開けて、日が暮れると妖の店になるんだ」

粉舐め婆の店は、里ノ重の工房がある場所から西に三本通りを行ったところにある。

陽はすでに山の向こうに沈んで夜の帳が降り始めていた。

ブリキの看板を掲げた自転車屋の隣に、年季の入った二階建ての町家がひっそりと佇んでいる。それが粉舐め婆が営む菓子屋だった。店の表にはもう戸板がはめ込まれていて中の様子は見えない。


瑞穂は店の前を素通りし、自転車屋と菓子屋の間の細い道を奥へと進んだ。店の側面に取り付けられている躙り口から店の中へ入る。楓とゴンも後に続いた。


躙り口の先は狭く薄暗い土間が続いていて、その通路を壁伝いに進んでいくと一本の蝋燭が灯されている角を曲がった先に、所々板が反り返って寸法が歪んでしまっている木製の扉があった。瑞穂が握り玉式のドアノブを引くと、扉はきぎいっと悲痛な叫び声のような音を立てて開いた。


土間よりは幾分明るい店内に入ると、壁にぶら下がっていた大きな風船のような菓子に頭を打ち付けながらさらに店の奥へと進む。


「いらっしゃいませ」


薄暗く怪しげな店内の雰囲気に似つかわしくない美しい声が出迎えてくれた。

天井からぶら下がった切り餅の束の間から顔をのぞかせたのは、頭の上に三角の耳をはやしたおかっぱの美少年だった。


「粉舐め婆は今店にいるかな?」

おかっぱの美少年は、ちょっとお待ちください、と言って階段を駆け上がって行った。

その少年の背中をゴンは嫌悪するように見つめる。

「また新しいのが増えたのか」

懲りねーよな、あの婆さんも。とゴンは溜息交じりに悪態をついた。


粉舐め婆が作る菓子は安くて旨いことで有名だったが、それと同じくらい男好きな婆さんとしても名を馳せていた。特に美しい少年を見れば自分の店で雇わずにはおれないという性分なのである。


「私が子供の頃に来たときと全然違うわ」

楓は店内を物珍し気に見て回っていた。「冷やし雨」や「土蜘蛛がつくる綿菓子」など店内には妖向けの商品が並んでいる。

この店は、店内が前後半分に隔てられていて、前面部分が人間用の店、後ろが妖専用の店になっており、店の後ろ側は窓がなく時々思い出したように置かれた蠟燭の灯りで照らされた菓子がぼんやりと妖しげに並んでいた。


瑞穂たちは店内に雑多に並んだ菓子を眺めながら粉舐め婆を待っていたが、少年が二階に姿を消してから半時ほど経っても彼女は店に降りてこなかった。

先ほどまでは、なにやら二階から物音が聞こえていたのだが、それも聞こえなくなり薄暗い店内はしんと静まり返っていた。

柱に取り付けられた鳩時計が午後八時を報せる――。


「うちの店で働く気になったのかい?」

急に背後からしわがれ声が聞こえ、ぞわりと鳥肌が立った。

振り返ってみれば、どこから現れたのか皺くちゃの大きな顔の婆さんが、取って食いそうな勢いでゴンを覗き込んでいた。

その光景は、知り合いでなければ反射的に逃げ出したくなるほど鬼気迫るものだった。

「ああいや、ごめん。粉ばあ。もう新しい仕事見つけちゃったんだ」

ゴンはそっと粉舐め婆の肩を押しやりながら、悲しげな微笑みを浮かべた。

先ほどまで悪態をついていた者とは思えない豹変ぶりである。

「もう。お前にはじらされっぱなしだね。わたしゃ水飴のように溶けちまいそうだよ」


楓は二人のやり取りを聞きながら意地の悪い微笑みをゴンに向けていた。

ゴンはそんな楓をちらと睨みつけ、すぐまた粉舐め婆に視線を戻して言った。

「今日は俺たち粉ばあに聞きたいことがあって来たんだ。話、聞いてくれるか?」

粉舐め婆は皺くちゃの顔にしては異様なほど綺麗な歯を見せて笑った。



粉舐め婆は後ろに控えていた美少年たちに指示して椅子を運ばせた。狭い店内に置かれた椅子に各々腰を下ろす。

「何が聞きたいんだい? 何でも言ってごらんな」

「刀根沼の神とその神使についてなんだけど」

嬉しそうな笑みを携えていた粉舐め婆の皺くちゃの顔から、ふっと光が消えた。

「どうしてあいつらのことが知りたいんだ」

口を開きかけたゴンを制して瑞穂が刀根沼の神から聞いたことを粉舐め婆に伝えた。

粉舐め婆は、大根ほどの太さの麩菓子をぶちりぶちりと千切りながら瑞穂の話を聞いていた。

「監督署の奴ら、大した調査もせずに刀根沼の神を処分しやがった。あいつはな、神使を魔物にさせちまうような奴じゃないんだよ。絶対、誰かにはめられたんだ」

粉舐め婆は悲し気な目をしていた。

「刀根沼の神は、誰かから恨みをかっていたのか?」

「さあね。そこまではわたしも知らないよ。でも刀根沼の神は、そりゃあもう梅の精を溺愛しとった。周りの奴らがうらやむほどにな」

「なら梅の精に嫉妬した誰かの仕業。というのもありえるな」

「誰の仕業か知らんが、自分の沼を祟っちまうくらいだ。刀根沼の神はそりゃあ辛かったろうよ。可哀そうになあ」

粉舐め婆は汚い前掛けで涙を拭った。そういえば、刀根沼の神もそこそこ見てくれのいい男だった。


「ほんとに可哀そうなのは天狗のおっちゃんじゃない。完全にとばっちりよ」

「なんだい小娘。わたしゃ、そんなオヤジのことなんか知ったこっちゃないよ。天狗なんかどうせ無駄に鼻を伸ばした、いやらしい奴だろ」

潔いまでの偏見である。

でもこんな偏見の塊のような婆さんが、ほっぺの落っこちるような美味い菓子を作るのだから不思議なものだ。


瑞穂はその後もゴンの腕に絡みついて離れようとしない粉舐め婆をなんとか宥め、帰路についた。


「結局、刀根沼の神のことはよく分かんなかったな」

ゴンは提灯小僧の車に揺られながら、しきりに自分の両腕をさすっていた。粉舐め婆に腕を絡まれてから寒気が取れないらしい。

楓はまた呪いをかけられたんじゃないかと嘲笑混じりに皮肉る。

「だが、神使が第三者の手で魔物に変えられた線は濃厚になった」

ゴンはそうかあ? と顔をしかめて首を傾げる。

「あんだけ色眼鏡で見てる婆さんのいうことなんか、信用できねーよ」

確かに粉舐め婆なら、たとえ神使を虐待していたとしても刀根沼の神の肩を持ちそうな気はする。

しかし彼女の目にも、刀根沼の神と神使は仲睦まじく映っていたのだ。

なぜ二人は引き裂かれなければならなかったのか。

楓の言う通り、一番の被害者は天狗かもしれないが、そもそも刀根沼の神をそこまで追い詰めた、その原因をつくったものを、瑞穂ははっきりさせたかった。

そうして初めて、本当の意味で反言術を成功したと言える気がするのだ。


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