まほろばー2
翌朝、屋敷の広間には、瑞之真の父と家臣たちが集まり朝議が開かれていた。
ついこの間元服を済ませたばかりの瑞之真もその中に加わる。
「昨年納められた年貢は一昨年に比べ一割ほど増えております。しかし今年は、屋敷の西側の塀の修繕や、西国との小競り合いによって出費がかさむと思われる。よって今年は、さらに年貢を増やす方針である」
異論はありませぬかな、と家老の加藤茂吉が集まった家臣たちに呼びかけた。
みな一様に首を縦に振り、誰も茂吉に異を唱える者などいない。
「一つよろしいでしょうか」
皆が茂吉の意見に賛同するなか、瑞之真は一人手を挙げた。茂吉はまさか自分の提案に意見するものがいるとは思っていなかったのだろう、不愉快そうな顔になる。
瑞之真は茂吉に構わず続ける。
「確かに、年貢を増やすことも時には大切ですが、まずは安定した年貢を得られる仕組みを作ることが先決だと存じます。もし今、干ばつや洪水などが起きれば、昨年の半分も年貢は見込めません。それではこの国は豊かになるどころか、みなそろってお陀仏です」
「ほう、さすが若。勉強熱心というお噂はまことのようだ」
して、若は一体どうしよとおっしゃるのですかな。茂吉は丁寧な口調ではあったが、その声には苛立たし気な色が混じっていた。
「今のような単一作物の農法では飢饉になったときに、この国は耐えられません。ですので米以外の作物を民に作らせる必要があります。芋などの作物の生産を増やすことで、飢饉をしのぐ備えになります」
家来衆は瑞之真の話が終わると、自論を述べる前に主君の様子をうかがっていた。
殿は気の抜けた様子で茂吉や瑞之真殿の話を聞いていたが、家臣たちに見つめられているのに気づくと慌てて真剣な顔を取り繕う。
「ならぬ、ならぬ芋など。そんなものに労力を取られていては米の収穫が減るではないか。今は、さらなる年貢の取り立てが必要なときだ。瑞之真の意見は認めん」
茂吉は殿が自分の意見に賛同したことに安堵した様子で、満足げに微笑む。
だが瑞穂は引き下がらなかった。
「今が飢饉対策をする時なのです。飢饉になってからでは手遅れです。余裕のある今だからこそ、備えに注力すべきなのです!」
茂吉は瑞之真の追撃に、今度は取り繕う様子もなくあからさまに嫌悪の表情を見せた。
殿はそんな茂吉の顔をちらと見て口を開いた。
「ええい、うるさい。瑞之真は己が若輩者であるという自覚がないのか。まずは先達の意見を聞いて学ぶのが先だ。まったく、あんな爺の書物ばかり読んでおるからおかしな考えばかり出てくるのか。わしはお前に付ける養育係を間違えてしもうたようだ」
家臣たちはくすくす笑っていた。
爺とは瑞之真の養育係だった大叔父のことである。
あらゆる分野に見識が深く、勉学の面白さを教えてくれた彼は、瑞之真にとっては実の父以上に慕っていた存在だったが、城内ではとんだ変わり者と言われていた。そして彼は昨年病でなくなった。
「殿、そう言っては若が不憫ではありませんか。勉学に勤しむことは素晴らしいことにございます。わたくしの倅にも若を見習ってもらいたいものです」
ごますり合戦の開幕である。家臣たちは口火を切ったように殿の機嫌を取り合う。
(ここは国の行く末に関わる大事を話し合う場ではないのか)
家臣たちの出世事情などに微塵も興味のない瑞之真にとって、この時間は無駄にしか思えない。
「父上。国の発展には増税もやむ負えぬことはあります。しかし同時に備えを怠っては、いつか足元をすくわれる。民が飢えれば、国は亡ぶのみです。新しい農法などを民へ指導し…」
「字も読めぬ者たちに何を教えよというのだ」
父は嘲るように鼻を鳴らした。
広間はしんと静まり返る。
「そういえば最近、頻繁に村に出かけているらしいな。お前にはしばらくの間、謹慎を命じる。分かったな」
「なぜ村の様子を見に行ってはいけないのです!」
「ならぬものはならぬ! いいか、お前には監視役を付けるからな。良からぬ考えを起こすでないぞ」
朝議はここまでだ。殿はそう吐き捨て広間から出て行った。ほかの家来衆たちも皆ぱらぱらと散っていった。
瑞之真だけが、広間にひとり残される。
進言した話はそんなに荒唐無稽なものだったろうか。もし提案に不備があったのなら、その点について指摘してくれればいい。だがあれでは最初から他人の意見を聞く気などないのだ。
力のある者が形だけの同意を取って進んでいく朝議。
そんな朝議など一体何の意味がある。
「若ぁ。父上から聞きましたよ。今日の朝議でやらかしたんですって?」
源四郎が瑞之真の部屋にやって来た。
「だから言ったでしょう。家臣のご機嫌伺いも時には必要ですよ、と」
「家臣の機嫌をとって、国は豊かになるのか?」
「時には、ですよ。まあ、次の朝議では頑張ってください」
だが次の朝議どころか瑞之真は、その日から本当に屋敷から出ることができなくなった。
何度か忍んで屋敷から外に出ようと試みたが、父が瑞之真につけた監視役はかなりの手練れのもののようで、試みはいつも失敗に終わった。
さらに瑞之真が何度も抜け出そうとすることで、屋敷内どころかほとんど自分の部屋に縛り付けられることになってしまった。
そして、蝉の声が降る、うだるような暑さが続く頃になっても瑞之真の謹慎は解けなかった。
今年の夏は夕立も少なく、毎日灼熱のように燃える太陽が昇っている。
瑞之真は自分の部屋にこもり、窓から見える空を見上げながら、村人たちや田畑のことが気になって仕方なかった。
謹慎を命じられてから朝議に参加することも許されなくなったが、それでも瑞之真は諦めずに飢饉対策の必要性を文にしたためて何度も上申していた。
だが、父からの返答はまだ一度もない。
「もう殿に忘れられたんじゃないですか?」
源四郎が部屋にやってきて、柿を食いながら言った。
差し入れだと言って持ってきたのに、源四郎が一人で食べている。
「父上どころか、皆私のことなど忘れているかもしれん」
瑞穂は自嘲気味に笑う。
「殿は少し懲らしめるくらいの気持ちで命じたのでしょうけど、さすがに長すぎます」
そう言って源四郎は柿の種を庭に放り投げ、続ける。
「殿が本当に忘れてしまっているか、もしくは由丸様の一派に上手く利用されているかもしれませんね」
由丸というは瑞穂の腹違いの弟のことで、父がこの由丸を溺愛しているのは誰もが知るところだった。瑞穂の下には三人妹がいるが、男子は瑞穂とその由丸だけだった。久しぶりに男子が生まれたからか、父の溺愛ぶりは顕著で、家来衆もそんな父に同調し、由丸を持ち上げることが多くなってきていた。
「私の長い謹慎が、由丸一派のせいだと?」
「そう考えると合点がいきます。このまま若に謹慎してもらって一番得をするのは彼らですから」
「だがさすがに父上も、由丸に家督を譲ろうとまでは思っていないだろう」
そう言いながら、瑞之真は立ち上がって庭から見える夕陽を眺めた。なんだかじっと座っていられなかったのだ。
源四郎は、そうですねえ、とのんきな声を出す。
「逆に譲ってしまうのは、どうでしょう」
「家督をか?」
瑞穂は驚いて源四郎の顔を見つめた。
「正直、若は殿様に向いているとは思えません」
そう言う源四郎の声に揺らぎはなかった。
「殿様なんかよりもっとずっと、若が自由に生きられる世界があるように思うのです」
瑞之真はその言葉を聞いて、一気に目の前が開けていくような、清々しい感覚を覚えた。
武家の嫡男として生まれた責を果たす。それだけが自分の生きる意義であると固く信じてきた。
だがもし他に道があるとしたら?
自分の好きなことに、好きなだけ取り組めるとしたら――。
そんなのは夢物語だ。
まずはどうやって謹慎を解いてもらうか、父上に認めてもらうか、それを考えねばならない。
「いつになったら父上にお目通りがかなうだろうか」
その後も、源四郎は瑞之真のもとを訪ねて来ていたが、そのうち段々と足が遠のくようになってきた。
「とうとう源四郎にも愛想をつかされたか」
ついに源四郎までも全く部屋に来なくなってしまい、ますます瑞之真のところには外の情報が入ってこなくなった。
村の様子はおろか、屋敷の中のことですら分からない。
母だけは時々顔を見せに来てくれていたが、母は昔から少々ぼんやりしたところがあって、屋敷の人間のことも外の出来事にも疎かった。
さらに季節は移り、木々が葉を落とす秋。
謹慎処分を言い渡されてから、すでに半年近くが過ぎようとしていた。
瑞之真は自室でひたすら書物を読み、不安をかき消すように政の構想案を書き綴り続けた。
本当に誰からも忘れられたのだと思い始めた頃、妹の嫁入り前の宴に、瑞之真の参加が認められた。
随分久しぶりに母と、監視役以外の顔を見ることができる。
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