鎌鼬ー2

「背中揉んでほしいって言ってる鎌鼬が来てんだけど通していいか? ちょっと厄介そうな奴だけど」

瑞穂は楓と顔を見合わせた。

「こっちは大丈夫だが、楓いけるか?」

「大丈夫、いってくるわ」

瑞穂は楓に代わって河童の腹に刺さった針を支える。

「だいぶ荒い奴だから、やばそうだったらすぐ言えよ」

楓はうんと頷いて処置室に消えた。


河童の腹は段々としぼんでいくにつれて、風船はどんどんおおきくなっていた。もうすぐすべての腹の水が抜ける。


隣りの処置室からは、鎌鼬の大きな声が診察室にまで響いてきていた。

「あ~そこそこ、お嬢ちゃん上手だねえ。今度おじさんのうちにも出張に来てくんないかな」

「そういうのやってません」

「え~冷たいなあ。じゃあ、お仕事じゃなくて、個人的においでよ。美味しいお酒飲ませてあげるから」


じっと黙っていた河童が首を起こした。

「隣の部屋の方、迷惑そうなひとですね。何か勘違いしてるんじゃないかな」

水の抜けきった腹から針を抜き、上から布巾を押し当てていた瑞穂に河童が言った。

下界で診療所を開いていると、粗野な妖がやってくることも珍しくはなかったが、この患者はさすがに瑞穂も度が過ぎていると感じはじめていた。楓も慣れているとはいえ、あまりにしつこいようなら様子を見に行かねばと思っていると、また鎌鼬の声が聞こえてきた。

「お嬢ちゃん可愛い顔してるし、こんなところで働かなくてもおじさんが面倒みてあげるよ」

「間に合ってます。私ここ気に入ってるんで」

「ああその気が強そうなとこも良いねえ。じゃあ、また遊びにくるから、今日はお別れに――」

声が聞こえなくなった後、物音がして楓の叫び声が聞こえた。

「自分で押さえてますから行って!」

河童が顎で瑞穂を促す。瑞穂は河童の腹から手を放し、処置室の襖を開けた。直後、待合に通じる襖もすぱんっと勢いよく開く。そこにはゴンが立っていた。

「おっさん何してんだ」

ゴンの見つめる先に目をやると、鎌鼬が楓の腕を掴んで自分に引き寄せようとしているところだった。

「ああ? なんだガキが」

鎌鼬は楓の腕を乱暴に離したかと思うと、気だるそうに立ち上がってゴンの方へ向き直る。楓が鎌鼬を止めようとした瞬間、風が巻き起こった。

「痛っ」

ぎゅっと押さえる楓の腕からは、血が滴っている。


瑞穂は急に部屋に満ちた強い霊気に全身がぞくりとした。その直後、壁をつたうように青白い炎が部屋を包む。鎌鼬は驚いた様子でひっと声をあげ、腰を抜かして尻もちをついた。

ゴンの周りに火の玉がいくつも揺らめいている。鎌鼬を見下ろす彼の瞳が怒りに満ちているのが分かった。

「患者だからって何しても許されると思うなよ」

診療所ごと燃やし尽くさんとするゴンを止めようと瑞穂が口を開きかけたとき、鎌鼬は情けない声をあげながら瑞穂を押しのけ、診療所の外へ逃げていった。


ゴンがとっさに追いかけようとしたが、楓がゴンの袖を掴んでとめた。

「もういいよ。ありがと」

ゴンは何も言わず、部屋を包んでいた炎を消した。

部屋は、塵一つ燃えてはいなかった。


瑞穂は楓の腕の傷を確かめる。

「そんなに深くはなさそうだな」

楓を座らせて、傷口を神水で洗浄した。


「なんでもっと早く助け呼ばねーんだよ」

ゴンは苛々した様子で傍らに座り、瑞穂が楓の手当てをするのを見ていた。

「だってまさかあそこまでしてくるとは思わなかったんだもん」

瑞穂はぎょっとして顔を上げた。

「なにされたんだ?」

「ちゅーされそうになった」

一瞬手を止めた瑞穂の肩をゴンが、がしっと掴み顔を寄せる。

「瑞穂、次ああいうのが来たら、俺の独断で即刻追い返すから」

いいな! というゴンの勢いに、瑞穂は頷くしかなかった。


「あのー、解決しました? 僕もう帰っていいですかね」

そういえば――。

瑞穂は、すっかり河童のことを忘れていた。


診察を終え、瑞穂たちが母屋に戻ってきたころ、雨音が訪ねてきた。

「蘭から狐魂祭の招待状届いた?」

雨音は蘭から、瑞穂たちを狐魂祭に一緒に連れて来てくれと頼まれたらしい。今日は当日の予定をすり合わせるために、瑞穂の家に寄ったのだ。


炬燵で四人、狐魂祭の話をしていたところ玄関から郵便屋の声が聞こえた。

楓が郵便屋から受け取った荷物は蘭からのものだった。

「あ! ほんとに着物送ってくれたんだ」

蘭からの荷物は、狐魂祭の招待状と楓用の着物だった。


「あら素敵な着物じゃない。私が着せてあげようか」

雨音と楓は蘭が送ってきた着物を抱えて物置へと向かい、しばらく物置のほうから楽しそうな声が聞こえたあと、居間に戻って来た。

誇らしげな顔の雨音に連れられて居間に入って来た楓は、瑞穂の男物の着物を着ていた時とは別人のように見違えていた。

薄っすら化粧をして、薄水色の小袖を着た楓は、まさに木の精霊らしい、清廉で可愛らしい姿だった。

「どう? 似合ってる、かな?」

瑞穂がゴンの方をちらりと見ると、ゴンは目を瞬かせて、なにやらぶつぶつ言いながら、さっと炬燵に潜ってしまった。

それを見て、ふふっと雨音が笑う。

「楽しかったわあ。妹がいたらきっとこんな感じなのね」

瑞穂は炬燵の中に引きこもったゴンの横腹らしいものをモフっと蹴飛ばしてしまったが、それでもゴンは炬燵からでてこなかった。


「狐魂祭当日は、会場の神社で待ち合わせでどうかしら」

「構わないよ。君らは天界からだしな。その方がいいだろう」

「当日って、救護所の準備も必要だよね」

楓が興奮気味に言った。祭りということで気分が高揚しているらしい。

「そうだな少し早めに行くか」

「診察道具、何持っていくかもまた相談しとこ」

雨音は、瑞穂と楓の話を、楽しそうに聞いていた。

「瑞穂の診察風景を間近で見られるのは楽しみだわ」

「披露できないのが一番だけどな」

雨音は、そう言えば! と急に大きな声をだした。

「瑞穂、反言術を成功させたんだってね! おめでとう」

私も嬉しいわ、と雨音は感極まった様子で声が少し震えていた。

「雨音は瑞穂が反言術の練習してたこと知ってるの?」

「ええ、うちに居た頃、よく祟られた鏡とか文なんかを拾ってきて、練習してたのよ。その頃のことを思い出すと、なんだか胸がいっぱいになっちゃった」

雨音は目に涙を浮かべている。

「でも頭痛は大丈夫?」

「ああ、最近は」

それを聞いて楓が首を傾げる。

「瑞穂って、頭痛もちだったの?」

「疲れがたまってたりすると、たまにな」


その夜、瑞穂は夢を見た。

紅葉が舞い散る空の下で、誰かの押し殺したうめき声が聞こえる。

(やめてくれ。おれは、この光景を見たくない、聞きたくない。あいつが苦しんでいる姿は、もう――)

瑞穂が叫びながら目を覚ますと、そこにはいつもの見慣れた寝室が広がっていた。


目覚めた瞬間、夢の内容は忘れた。

ただ、急く胸の音と頬を伝う涙だけが、恐ろしい夢の余韻を残していた。


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