雪女ー2

瑞穂、楓、ゴンの三人は、居間の炬燵に入りながら、雪女への対抗策を練っていた。


「俺、妖術はほとんど使えないと思ってくれ」

ゴンが申し訳なさそうに言った。


「雪女は何をするつもりなんだろ。ゴンをもう一度誘拐したいのかな」


楓はみかんを食べながら首を傾げた。ゴンは苦笑いしながら肩をすくめる。


「そもそも何で俺に執着すんのか全く分かんねーんだ」

「理由が分かれば、雪女を説得できるかもしれないけどなあ」


瑞穂がそう言うと、ゴンは眉をひそめた。


「何アホなこと言ってんだよ。そんなの無理に決まってるだろ。俺を呪い殺そうとしたんだぞ?」

どんだけお人好しなんだ、と言いながらゴンは寝転がった。


「ところでさ、この炬燵ちょっと火弱くない?」

「寒いか? じゃあ火鉢も着けるか」

「あー、妖術が使えたらなあ。火石なんか使わなくても火着けてやるのに」

「ほんとか?」


瑞穂は長火鉢に火石を入れながら、ゴンの方を振り返った。


「俺、火の玉は得意だし、そんくらいお安い御用だ」


火石はそれほど高いものではないが、毎日使うとなるとその出費は馬鹿にならない。もしゴンが代わりに火をつけてくれるなら、その分の費用が丸ごと浮くことになる。


「へっくしゅん!」

「楓まだ寒そうだな」


ゴンが起き上がって楓の顔を覗き込む。


「なんか顔色も悪くないか?」

「ほんと? 風邪ひいたのかな」


そういう楓の顔から血の気が引いていく。そして体が小刻みに震え出した。


「おかしいぞこれ、瑞穂もしかして…」


呪いの臭いだ。症状からして、おそらく楓にかけられたのはゴンと同じ氷室の術。


「ゴン、診察室から熱生姜を持ってきてくれ!」


ゴンは分かった、と言って炬燵を飛び出し診療所のほうへ駆けて行った。

すでに楓の唇は真っ青になっている。


「しっかりしろ。薬を飲むまでは寝たらいけない」


楓はゴンのように霊力が強いわけではない。熱生姜を飲めなければ、自力で回復することは困難だ。

瑞穂は必死で楓の体を揺さぶった。


(いつ呪いをかけられたんだ)


呪いをかけるには、相手の体に直接触れるのが一番簡単な方法だ。

雪女が楓に接触できたのは――。

啼々夜草を渡したときだ。

あの時、瑞穂は腕の傷に気を取られて、雪女が呪いをかけていたことに気づかなかった。


そのとき、ふっと、居間の明かりが消えた。

瑞穂は急な寒気に襲われ背中がぞくりとした。冷たい楓の肩を抱きながら辺りを見回す。


障子を透かして入ってくる月あかりが、薄暗い居間をぼんやりと照らしていた。


ゆらり。障子に人影が浮かぶ。


どこからともなく冷気が流れ込み、瑞穂の体温を奪っていく。寒さと恐怖で震える手を、瑞穂は硬く握りしめた。

障子が音もなく、ゆっくり開いていく――。


「私の子は、どこへ」


ひどく掠れた女の声が聞こえた。

細い指が開いた障子の端を掴んだかと思うと、般若のように不気味に引きつった顔が居間の中を覗きこんだ。その怒りとも悲しみともつかない目は、怪しく黄金に光り、瑞穂と楓の姿をとらえる。


「私の子を…返しておくれ」

(私の子?)

「ゴンのことか?」

「ゴン? なんだそれは。私の子は、私の愛しい子は、ユウ。ユウを返せ」


雪女は誰かとゴンを間違えているのだろうか。


「あの猫又は、ユウという者ではない」

「だまれええええ!」


雪女は急に耳をつんざくような金切り声を上げた。

だが雪女は鬼のような形相で叫んだと思った次の瞬間には、診察室で見たあの柔らかい天女のような顔つきになっていた。


「あの子は、生まれ変わって帰ってきてくれたの。愛しいユウ。出ておいで」

「ゴンがおまえの子に似ているのか? でもあいつは、おまえの子じゃない。別人だ」


雪女はまた鬼の形相に戻り、わなわなと体を震わせた。白銀の髪は逆立ち不自然に揺れる。そして畳をメキメキと凍らせながら、瑞穂と楓に迫った。


「お前に何が分かる。あの子は村を救うため贄にされた。私は…私はそれを止められなかった。私が死なせたのだ!」


瑞穂は胸がぎゅっと締めつけられる思いがした。

雪女の苦しみを、侮っていた。彼女が眠れないという、その言葉の向こう側を見ようとしていなかった。自分がもう少し話を聞いてやっていたら、雪女はこんな行動にでなかったのではないか――。


だが雪女の呪いを受け入れらるわけではない。楓を死なせるわけにはいかないのだ。

瑞穂は楓の体をそっと床に寝かせ、雪女の前に立ちはだかった。


「おれに、子を失ったおまえの気持ちは分からない。だけど、話を聞い――」

「話を聞いてどうする。私を癒せるとでも思うたか。うぬぼれるな」


雪女はその、まるで血など通ったことのないような真っ白な手で、瑞穂の首に掴みかかった。瑞穂はその腕を掴んで抵抗するが、冷たい雪女の腕に触れると、手のひらに火傷のような鋭い痛みが走った。歯を食いしばってその痛みをこらえる。

雪女はまた、柔らかな笑みを見せた。


「私の子を返して? ユウは私を許してくれたのです。だからもう二度と離れない」


そこに、ゴンが診察室から戻ってきた。雪女の姿をとらえると、足元にあった火石を擦って火をつけ、雪女めがけて投げつけた。

火石は雪女の背中に命中し、その長い髪に火が燃え移る。


「あついぃっ!!!」


雪女は悲痛な金切り声をあげると、髪を振り乱し、障子を倒して外に出た。庭の土の上で這いつくばり、炎に包まれながらもがき苦しんでいる。


瑞穂はとっさに診察室に走っていた。薬棚を漁って清めの軟膏を取り出し、処置用の桶に水を汲んで庭に走った。

庭に着くと、炎に包まれながら、のたうち回っている雪女に桶の水をかけた。

何も考えてはいなかった。気づいたらそうしていたのだ。


雪女を包んでいた火は消えた。瑞穂は、呻き声を漏らしながら庭にうずくまる雪女の側に寄る。雪女は妖術で炎から身を守ったようだが、それでもかなり重症だった。

瑞穂は軟膏を塗ってやろうと、雪女の肩に触れる。すると雪女はびくりと体を震わせ、怯えた目で瑞穂を振り返った。


「火傷したところに、塗っておこう」


雪女は、目を見開いたあと、甲高い声で笑い出した。


「私に触るな」


雪女はよろけながら立ち上がり、燃えたぼろぼろの浴衣を引きずって歩き出した。

去り際、ゴンの方をちらりと見たが、何も言わず背を向けた。


彼女は、ゴンが自分の子ではないと、ちゃんと分かっていたのだ。

きっと深い悲しみに溺れるうち、ユウに似ていたゴンが、暗い海の底に射した希望の光に見えたのだろう。自分の子ではないと分かっていながら、そこに縋らねば溺れてしまいそうだった。

しかし、さっき、ゴンに火石を投げつけられたことで、縋っていた光も消えてしまった。雪女はまた深い悲しみに沈んでいく。


瑞穂は雪女の背中を追おうとしたが、そんな瑞穂の肩をゴンが掴んだ。


「もういい。もういいよ」

「でも…、あいつ、あのままじゃ」

「瑞穂。先に救わなくちゃいけないやつがいるだろ」


楓のことを忘れているわけではない。

が、雪女もまた重症なのだ。

どちらを優先すべきか――。


瑞穂は、ゴンのあとを追って楓のところに戻った。

居間に寝かされていた楓は、先ほどより少し血の気が戻ってきている。

雪女が術を解いたのだ。


「うはぁ! 生き返った」


意識を取り戻した楓は、炬燵に入って体を暖めながら、瑞穂が作った熱生姜湯を一気飲みした。


「俺は子どもの身代わりだったってことか」

ゴンは楓に便乗して熱生姜湯を一緒に飲んでいた。


「雪女も苦しんでたんだろう」

そう言う瑞穂をゴンはきっと睨んだ。


「だとしても、瑞穂は甘すぎだ。もう少しで二人とも殺されるところだったんだぞ」


下界に住んでいる妖は、天界の品行方正な妖たちとは違って、荒くれものや魔物と紙一重のようなものもたくさんいる。

瑞穂はこれまでにも危険な目にあったことは何度かあった。

だが何度危ない目にあっても、傷ついた妖を目の当たりにすると、瑞穂は勝手に体が動いてしまうのだ。これはもう、癖のようなもので、さっき雪女が火に包まれたときも、反射的に体が動いていた。


「そういえばさ、どうして雪女はこの家に入ってこられたんだ?結界は?」

「張ってある…。確かにおかしいな」


瑞穂は結界には自信があって、例え神堕ちだろうと入り込めない強力なものに仕上げてあったのだ。そんな結界を、雪女が自力で突破したのだろうか。


瑞穂は、結界を維持している術石を確認するため庭に降りた。楓とゴンも縁側から顔をのぞかせて、瑞穂の様子をうかがう。


瑞穂が術石に向かって、姿を現せ、と唱えると、普段透明になっている結界の幕が光った。だがその幕は一面光り輝く美しい幕、ではなく、所々に大きな穴の開いた虫食いだらけの幕になっていた。


「なんだこれは!」


瑞穂は頭を抱えた。

ゴンも庭に降りてきて近くで結界を確認する。


「ひどいな。雪女にやられたにしてもこんな数の穴、そう簡単にあけられるわけないだろうし…。結界破りにでも入られてたか?」

「おれの家に入ったって盗るものないだろう」

「じゃあ、誰がこんなに穴開けたんだよ?」

「それは、わからん」

「瑞穂の結界って弱いんじゃない? 私が普通に入れるくらいだし」


瑞穂とゴンは黙って、楓の顔を見つめた。


「それほんとかよ?」

「え、うん。何か変なことなの?」

「神様の結界を破るのって、けっこう大変なんだよ」


楓はふーん、と首を傾げたままだ。


「もしかして楓さ、結界を中和できる体質なんじゃないか」

信じたくはなかったが、その可能性が一番高かった。

「ちょっとそこ跨いで歩いてみてくれ」


楓は瑞穂に言われたとおり、結界の外と中を行き来してみせた。すると、楓が通った所は、結界の幕の光が薄くなっていた。


「こりゃ確定だな」

ゴンが苦笑いしながら言った。


瑞穂は、また頭を抱えた。

楓が結界を中和できるとなると、その中和防止まで織り込んで結界を張り直さないといけない。瑞穂は自分自身の霊力が高くないので、結界を張り直すとなると、その埋め合わせとなる物を色々買わないといけなかった。


「また金がかかる…」


瑞穂はまた寒気がする気がした。

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