第25話 休息日

 ツバメは一流の洋食屋だった。ナポリタンやハンバーグ、オムライスが一体どういった経緯で同じ店のメニューに並ぶのか改めて考えてみると全く謎だけど、とにかくそこは洋食屋だった。僕はナポリタンを食べた。

 1時を回っているおかげか客足は落ち着いていた。

「シワ寄せですか」

「そう。シワ寄せだね。結局ついさっきまで待たされた上に大した話でもなかった。雨で地面が悪くなって街に帰ってくるのが遅れたんだと。約束してから出かけるなよな」

「このまま電話が普及したらこんなケースばっかりになりかねない」

「だね。早く連絡を取るために余計待ち時間が増えるなんてバカバカしい。かといってわざわざ電話番と呼び出しを置くのもなァ、あまりに退屈な仕事だし、テツヤのスマホみたいにどこにいてもつながる仕組みか、そうでなくても声を録音しておいてあとで聞く、というのができれば少なくともただ待つだけの手間は完全に省けるんじゃないかと思うんだけど」

「できればってことはそういう魔術はないんですね」

「エルカインならどうかな。あいつは詳しいから」

「電話のために事前に申し合わせる、というのはおかしいんです。いきなりかけていいものなんですよ」

「しかしそれだと誰か魔石の近くにいないとかかってきたのがわからなくないか」

「着信音で気づくんです。基地の中全体に拡声して誰かが気づくようにする、というのはできませんか」

「そうか、常に誰かがいる場所にかかってくればいいんだ」

「下手するとそれもシワ寄せですが」

「まあ……」

「全体としては確実に仕事量が減っているのに、面倒が増えている感じがするのは不思議ね」シスターが言った。

「それが便利とシワ寄せの相関ってやつだよ。その2つの総量が豊かさなんだ。ただ、シワ寄せの方が大きく響くんだろうね。便利の国のテツヤがこんなに忙しそうに見えるのはシワ寄せの方を一手に引き受けてるからさ」

「それって究極的には不便を感じながら一人自力で生きていくのが一番いいってことなのかしら」

「それは違う。違うだろうな。ちょうどいい塩梅、均衡ってのがたぶんあるんだよ」

 いくらシワ寄せを嫌っても、騎士として街の防衛に寄与するかもしれない目の前の新技術をほったらかしにしておくわけにはいかない。ラトナのスタンスに二面性を感じるのはそのせいだ。

「便利というだけでサービスを売り込むのは浅はかだと僕も痛感しています。当面はシワ寄せの解消に尽力したいと思います。まず通信方式ですが、魔術によってあの赤い光を出力しているのなら、スマホと同じ周波数の出力ができないのか確かめたいところです。もしその上で魔水晶ごとに電話番号を振ることができるならそれこそスマホと同じような使い方ができるはずです」

「確認は構わないけど、対策会議ってのはシワ寄せじゃないのかな。今日はもう勘弁してよ」

「すみません」

「まったく、根っからの勤勉だね。こんなのんびりした街、見ててイライラするんじゃないか」

「いいえ。直すべきなのは僕の方だと」

「直すべきとかどうしないととか、そういうところが、さ。普通はもっと肩の力を抜いて、誰かに叱られるまでグータラしているものなんだよ」


 ツバメを出てラトナの先導で道具屋を回る。遠征に必要なものを揃えるためだ。日曜に開いている店は多くはない。目当てのものを見つけるのも簡単ではない。寝袋、テント、焚火キット、鍋、食器……。ほとんど1品ごとに店を渡るような具合だった。店の人はだいたい商売っ気がなかった。我々が店に入ってから明かりを灯す店主もいた。開けないよりは開けた方がいい。さほど手間もかからない。そんな感じだ。日曜だからやっているという店は少数派だった。つまり、客層に平日朝から晩まで仕事にかかりきりという人間がいないのだろう。仕事の前後、あるいはその最中であっても店の営業時間帯に十分間に合うという人々ばかりなんだ。

 総額で金貨5枚と銀貨6枚。事前に支度金は貰っているはずだけど、金はラトナが出した。報酬云々ではなく、パーティリーダーとして自分で誘った部下の面倒は自分で見ようということか。


 夕方にかけて雨足はだんだんと弱まった。僕とシスターは城壁に上って南門の上から往来を眺めた。

「ラトナはテツヤさんの勤勉さを否定しているわけではないんです。ただ、なんというか、それによって人生が損なわれることを危ぶんでいるんだと思います。人生をかけてやりたいことは何? その仕事なの? って、そういうニュアンスなんです」

「人生をかけてやりたいこと、ですか」

「彼女は騎士の家の長女なんです。剣術・武術・魔術・馬術・作法・教養・社交。物心ついたときから習うべきことは多かった。家を背負わされた分、自我が育たなかった」

「彼女にもわからないんですか」

「本質的には見えていないのでしょうね。ただなんとなくそれが間違ったことだと信じているだけで」

 ラトナは僕の「勤勉さ」を疎んでいる。それでも強制力のある言葉は使わなかった。そういうことだ。確信であっても説得力はない。ラトナはそれを自覚している。

「テツヤさんのそういうものは仕事の中にあるのですか」

 僕は首を振った。

「そういうものは僕にはありません。ないからこそ仕事に求めようとしたんだと思います」

「見つからない?」

「いや、違うな。自覚がないだけで、見つけてしまったせいでこういう生き方になっているのかもしれません」

「肯定できない」

「肯定する暇も否定する暇も与えられなかった。そこに嫌悪感を抱くだけの客観性が今の僕にはある、ということだと思います」

「ディストピアでは今以上に走り続けていたのですね」

「それもありますが……、ありがとう、シスター・マリアンナ。居場所を与えてくれて感謝しています。異世界で生き延びることに全力を賭していたらこんな余裕は得られなかった」

「全力を賭してなお仕事は続ける想定なんですか?」シスターは溜息をついた。


 夕日が差してくる。僕は目を細めた。それから首を振った。

「だめですね。この分ならまだ充電できそうだと思っている」

 シスターは手を差し出した。

「今日は仕事しない日にしましょう」

「電源を切っておけば電話は鳴りません」

「テツヤさんが電源を入れる可能性はあります」

 僕は言われたとおりにする。シスターはスマホを腰のポケットに入れる。

「もう1台」

「はい」

「とりあえず今日の夜中まで。いいですね」

「明日の朝じゃなくてですか」

「誘惑に耐えてきちんと眠れたら夜中から朝までの約束はいらないはずです」

 太陽光パネルは広げてきたからバッテリーは溜まっているはずだ。充電くらいさせてもらえませんか。そう言いたかったけど飲み込んだ。試練はもう始まっているのだ。

 

 大通りに馬車が行き交う。積荷を揺らさないように、あるいは歩行者を撥ねないようにゆっくりと走っている。建物の影が黒く伸び、細くなった日向がスキャンレーザーのように馬車の輪郭を輪切りにしていく。水禽の群れが真っ黒い影になって雲を横切る。

 眺める。意図的に眺める。

「時間の流れを速めるというのは、本質的には、誰かとつながるということなんじゃないでしょうか」シスターが言った。

「雨の時間と電話が対置されているような感じがするのはなんでなんだろうって考えていたんです」

「雨の時間というのは自分の時間を生きるということなのだと思います」

「晴れれば人は活動的になります。活動的になれば表に出て関わり合う。雨は逆です。窓と戸を閉ざし1人になる。誰とも関わらない。自分からも、相手からも。1人なら人は目の前の時間と向き合うしかない。時間と見つめ合い、時間を味わう。その解像度が時間を長く感じさせる。引き伸ばす。そういう状態を解体するのが電話なのではないですか。いい意味でも、悪い意味でも、解体する。関わろうと思えばたとえ雨でも誰かに話しかけることができる。その代わり相手の必要によって自分も話しかけられなければならない。常に誰かとつながっている。少なくとも、その可能性の中で生きていくことになる。そうでしょう。いつだって会社や客から電話が来るんじゃないかとテツヤさんは身構えている。つながる相手の解像度が時間を上回る。感覚の大部分を相手が占める。時間は追い出される。時間感覚が希薄になったのを、時間の流れが速まったと表現している。時間の持つ潜在的な意味を対象に注ぎ込む。おそらく1分1秒の価値を最大化しようという気持ちも同じところから出てくるのでしょう。でも結局のところそれはさらなる焦燥を生み出すことにしかならない」

「焦燥感を消すために本当に必要なのは意味や価値ではなく、他者とのつながりから断たれた時間ということですか」

「スマホがなくなってもまだ心がつながりの中にあるのでしょう。でも、それより先のものが必要なのかどうかは断言できません」

「本来は1人の時間なのにつながりを意識してしまう。何より精神的ストレッサーとなっているのはつながりそのものより可能性の方でしょうね。その点、可能性の排除という意味で、この世界のテレパス魔法は必然の段取りを踏んでいたんです。両方の魔術師が術を発動している間しか話ができないと言っていたでしょう。双方が能動的に関わろうとした場合しか機能しない。それは不便ではなく必然だったんだ」

「古い魔法ですが当時の人たちも試行錯誤を重ねたのかもしれません」

「この世界には多分に発展の余地があると思っていました。でもそれは間違いだった。それは完成されたものにあえて残された余白だったんです」

「それは買いかぶりです。それはテツヤさんがこの世界のまだほとんど上澄みしか見ていないからです。この世界にも歪みはあります。だから私はあなたがやったことを間違いだとは思わない。もしこの世界を思うなら、隠れるよりその歪みを取り除くために力を貸してください」

 それはたぶんシスターから聞いた中で過去一番厳しい言葉だった。ただそこにやっと本音らしい本音が見えた気がした。なんやかんや言ったもののシスターは勤勉な僕の方が好きなのだ。今までの時間論はあくまで助言であって要望ではなかった。

 構わない。僕もその方が性に合っている。波長が近い、という言い方をしてもいい。

「歪みというのはモディのことですか」

「それもまた大きな脅威ですね」

 違ったのか?

「この10年モディの出現は高止まりを続けています。始祖が現れた当時もモディの氾濫状態にあったといいます」

「始祖がそれを鎮めたのですか」

「それから400年、当時ほどの数が現れたのは80年前くらいです」


 その夜シスターは僕の部屋にデカンタを持ってきた。僕は遠征の道具を一通り広げて見たところだった。

「まだ真夜中前ですよ」

「それじゃテツヤさんが仕事をしていても隠されちゃうじゃないですか」

「見に来たわけですね。でもだめですよ。コミュニケーションは。僕はまだ雨の時間を耐えているんだから」

 シスターは頷いてベッドに座った。梳かしたての髪が揺れた。昼は三つ編みだった。

 僕は道具をきちんと縛ってゲートにしまった。向こうの仕事道具も鞄にまとめる。

 部屋の中を見回す。これ以上やることがない。頭に押し寄せてくるのはやはり仕事のことばかりだ。

 僕もベッドに腰掛けた。

「人生においてやりたいことがないというのは、こういうときに何をしていいかわからないってことですよね」

 シスターは僕の表情を窺いながら頷いた。独り言なのかどうか確かめたようだ。

「天なる神、光の精、我が掌上に留まり灯せ」僕は唱えた。

 手のひらの上に小さな太陽のような光源が現れた。温かい。両手で覆っても指の間から光が漏れてくる。手を下に向けても光源が落ちるわけではない。太陽光パネルの上に翳すと発電機のゲイン計が振れた。充電できている。発光魔法のレートは1:1。2時間充電して2時間気絶しても25時。十分休める。手を浮かせていると肩が疲れるので膝を立てて腕をかける。

 言葉こそなかったもののシスターはコップに果実酒を注いでくれた。ワインだった。

 23時の鐘で僕はコップをトレイに戻して魔術を切った。横になる。肩が布団に触れる前に意識が飛んだ。

 その先にあるのは完全な闇だ。そこには空間も時間もない。世界が生まれる前の概念の混沌の中に放り出されたような……。

 が、何か温かい?

 今までにない感覚だ。

 温かいのは右肩から胸のあたり。そして重い。

 目が開く? 目を開く。

 シスターが覗き込んでいた。顔が近い。

 シスターが体を起こす。その影が天井を滑る。

「効きましたね」

「何か魔法ですか」

 シスターは何も言わずに唇を指で拭った。

「待っててくれたんですか。2時間も」

「まだ数分だと思いますけど」

 僕は腕時計を見た。11時7分だ。気絶の代わりに疲れを感じる、というような感覚もない。時間のマナの代償はどこに行ったのだろう?

「その2時間、私にくれませんか」 

「ええ、どうぞ」僕はまだわけがわからないまま頷いた。

 シスターはデカンタのトレイと発電機一式をテーブルに移した。

 不思議だ。僕は確かに魔法を使った。光源魔法のレートは確認済みだ。間違いない。時計の秒針はきちんと動いている。遅れているわけじゃない。

 シスターも僕が魔法を使えば気絶することは知っている。2時間も魔法を使ってその対価が数分じゃ済まないことも話した。

 僕が目覚めた時、なぜシスターは驚かなかった? ……僕が目覚めることを知っていたからだ。

 効きましたね。

 何が?

 その時僕の脳裏に2つの光景が思い浮かんだ。

 火曜の朝にシスターが置いたポーションの瓶。そしてガルゼルの舌使い。サキュバスの唾液には強壮作用があるのよ。

 それはマナのエントロピーを覆すほど強力なものなのだろうか。もし口移しにされれば時間のマナの代償を打ち破るほどの覚醒効果があるのだろうか。

 僕はシスターの頭に手を当てた。手のひらで耳を覆うようにして親指で髪の下を探った。

 あった。石のようなすべすべした感触だ。そこだけ髪が生えていない。頭の形から突出した部分はない。でもそれは確かに角だった。

 僕がサキュバス種を知っているということを彼女に知らせるべきなのかどうか迷った。

「一晩ぐっすり眠るのと同じくらい、キスには癒やし効果があるそうですよ」

「そんな――」

 だからってキスだけで不眠不休に耐えられるわけじゃないと向こうの世界なら思っていただろう。でも僕はまだこの世界のマナや魔法の相関を理解しているわけではなかった。僕は口をつぐんだ。


 午前1時の鐘が鳴る。シスターは髪を整えて部屋を出ていった。明かりは消えていた。

 僕は手の甲を唇に当てた。それそのものの感触を僕は憶えていなかった。

 癒やしと休息は似て非なるものだ。

 キスに癒やしの効果があるのだとして、シスターがそれを選んだのはなぜか。休息を活動に変えるためだ。キスがなければ僕は気絶のあとそのまま眠っていただろう。癒やすということは働けということだ。今までシスターは無私的かつ従順に僕のやろうとしていることを尊重してきた。それはシスター職としてのストイックな職務遂行によるものだった。裏返せば今夜の彼女はやはりプライベートな姿だったのだろう。

 シスターの朝は早い。僕も目を瞑った。



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リモート・社畜・ファンタジー (『異世界社畜』改題) 前河涼介 @R-Maekawa

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