第24話 雨の時間
3度目の夜警を迎えた。土曜夜から日曜朝にかけてとあって人の集まりが悪い。電話の範囲が限られるのは承知の上で僕も城壁に立った。
早くも率直な感想が聞こえてきた。
〈わざわざ呼びに行かなくても休憩の合図ができるのは楽だな〉
〈しかしな、妙に緊張しないか。こういうのも全部周りに聞こえてるんだろ。話が弾まねえよ。逆に眠くなってくる〉
たぶん普段はもっとだべりながら仕事をしているのだろう。それを妨げられてストレスを感じているわけだ。僕が提供したサービスによる弊害だ。それこそトランシーバーのようにワンタッチで送話がON/OFFできればいいんだろうけど、そうなるともう魔水晶側の機能の問題で、アイデアはあっても実現可能かどうか見当がつかない。
真夜中過ぎから雨が降り出した。それも一時的なものではなかった。次第に強まり、朝になっても止まなかった。僕は雨合羽をかぶって基地に戻った。
「今日の昼、シスターと食事なんだけど一緒に来ない? さすがにテツヤでも日曜は仕事しないでしょう?」
「いいですよ。喜んで」
確かに日曜なら名目上は休日だ。会社と連絡をとることはない。片づけておこうと思った仕事も午前中である程度は進められるだろう。
シスターは聖堂の中で待っていた。バスタオルを用意していた。
「お湯も用意してます。いつもより少し熱めです」
「ありがとうございます。今日の昼、ご一緒することになりました」
「じゃ一緒に行きましょうね」
「寝てるかもしれないので呼びに来てください。気遣わなくていいので」
「はい」
僕は部屋に入って窓の外に太陽光パネルを広げた。パネルにポツポツと雨粒が落ちていく。そう、今の今まで僕は充電できないという可能性にまったく目を向けていなかった。
雨だ。雲が空を覆っている。太陽が見えない。パネルに当たっているのは分厚い雲を裏から照らしているぼんやりした光だけだ。
スマホは2台とも電池切れ寸前。モバイルバッテリーは空、PCは昨晩閉じた時点で4割くらい残っていたけどいくらシャットダウンしていたとはいえ漸減しているはずだ。
試しに社用スマホを発電機に繋いでみる。充電マークが点いたり消えたりしているだけで一向に残量が増えない。何よりバッテリーによくなさそうだ。スマホでこれなのだからPCの充電なんてできようはずもない。
僕は改めてどうやって仕事をするか考えた。
魔法、という手はある。
光源を生み出す魔法のレートを計って昼前に気絶から復帰できるようにすればいい。
確かにそうだ。向こうの仕事のことだけを考えるならそうだろう。
問題は気絶は眠りにはならないというところだ。
夜勤明けの疲れ切った状態のまま2人に会ってまともに付き合えるのか。
約束は約束だ。それに約束に優先するほど業務消化が大事なのか?
だめだ。もう頭が回っていない。とりあえず一眠りしよう。空模様も変わっているかもしれない。
結局僕はベッドに仰向けになった。歯を食いしばっているのに気づいて意図的に口を開ける。なんだろう、この焦燥感は。今はどうしようもない。でも「何もできない」と思えば思うほど「何かしなければ」という気持ちが強まる。
それでも疲れは良薬ということか。僕は眠りの煙に包まれるようにして意識を消失していった。
「テツヤさん、テツヤさん、そろそろ出かけますよ」
僕は飛び起きた。
雨はまだ降り続いている。時刻は11時半。
一眠り? 3時間経っている。何が一眠りだ。
僕は焦りや憤りを言動に出すのは抑えた。日曜にまで仕事のことを考えているなんて悟られたくなかった。
シスターはベッドの横に立っていた。ゆったりした白いチュニックにレザーのコート。僕は私服を持っていない。シャツを装備として買ったものに替えておけば一応カジュアルか。大きい傘を1つ差して表に出る。
「雨だとスマホが充電できないんですね」
「光で発電するので太陽が出ていないとだめなんですよ」
「それで仕事ができなかったと」
「ええ。……え?」
「テツヤさんのことだから、寝るって言って実際仕事してるんじゃないかと思ってたんですけど、きちんと寝てて驚きました」
「見透かされてる……」
「ずっと雨ならあなたも休んでいられるのに」
撥水効果のない傘は濡れるとずっしりと重くなった。片手で支えているのがしんどいくらいだった。
「それは……それは困ります。今だって故のない焦燥感に身を焼かれているんです。一体どうすればこの気持ちが鎮まるのか」
「どうしようもなく、自分の意思と理解とに関わらずですか」
「何もできないのはわかっているのに、なぜか心が急くんです」
「時間が、時間の流れが違うのですね」
「時間、ですか」
「私たちの中では雨が降れば時の流れは遅くなります。やるべきこと、できることが少なくなるからです。でもテツヤさんの中では違うのでしょう。晴れと同じ時間が流れている」
「こちらの時間に合わせたいんですが」
「それはたぶんゼンマイのようなものです。勢いが消えるまで少しずつ力を抜いていくしかないでしょう」
ラトナは執務室にいた。
「もしかして仕事中?」とシスター。
「バーゼンの団長から11時に連絡を入れるって話があったんだけど、もう1時間経っちまうじゃないか」
「そんなに待ってなくても」
「電話を売り込んだのはこっちなんだ。それで初っ端から返事がなかったらどう思う?」
「セールス的には最悪ですね。その後の展開にも影響しかねない。悪い口コミがついて回るでしょう」僕は言った。
「でしょ?」
「雨で信号が遮られているだけじゃないんですか?」
「いや、向こうもマイクの前に人は置いてる。こっちから呼びかければ返事はある。ただただ団長が遅れてるんだ。いいよ、待たせるのも悪い。先に行ってて」
「ツバメ?」
ラトナは頷いた。明らかに苛立っていた。
知っている感じだ。
そう、たぶん今日の僕だ。
仕事はあるのに自力では何も進められない。そういう状況に陥った人間の顔だ。
「ただ待っているのも息がつまりますし、行きましょうか」
僕らは2人でまた街に出た。
大通りを渡り東へ。
日曜とあって店はほとんど開いていない。休日の時間、雨の時間が流れている。料理屋は比較的やっている。家事の肩代わりという色が強いのだろう。どれも高級店ではない。定食屋の店構えだ。煙突から降りてくる油の匂いが胃を刺激した。
ラトナは技術発展の副作用、シワ寄せを危惧していた。
これこそシワ寄せじゃないのか?
電話を使い始めたことによって今まで必要なかった待ち時間が生じることになった。確かに情報の伝達そのものは早くなったけど、待たされている人にとってみれば手紙の方がよかったはずだ。手紙は待つもの・待たせるもの。それが当たり前の共通認識なのだ。
時間か。
電話がこの世界の時間の流れを速めてしまったのかもしれない。
技術を拓けば世界は豊かになる。
そう思っていた。
本当にそうなのだろうか。
「ここがツバメです」シスターが足を止めた。
「店の名前だったんですね」
「食堂とかナントカ軒とかついてないですからね」
僕は庇の下で傘を畳んだ。
路地の先に乾物屋があって、店先の庇の下に髪の長い少女が座って膝にニワトリを乗せていた。眠っているのかと思ったけど違った。薄目を開けて地面に跳ねる雨粒を眺めているようだった。なぜわざわざ冷える場所でそんなことをしているのか一瞬わからなかった。
……たぶん普段は表に品物を出しているのだろう。雨の日はそれだと品物が湿気ってしまうから中に入れておく。店構えで見分けがつかなくなるから、やっているのを示す。ただそれだけのために少女は表に座っているのだ。
僕は何かとてつもないものを感じた。目が離せなかった。
「雨の時間というのは、そうか……」
シスターは店に入ろうとしない僕を怪訝な顔で見ていた。
「僕は取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれません。この世界を損ねてしまったかもしれない」
「そんな魔王みたいな……」
「今は小さな影響でも、ゆくゆくは世界のあり方を蝕んでしまうかもしれない」
「それで魔王様は一体どんな所業を?」
「この世界に電話を持ち込んだことです」
「どちらかといえば偉業な気がします」
「電話は距離を縮めます。離れた人同士の声をつなげる。直接話そうとすれば歩かなければならないはずの距離をなかったことにする。移動にかかるはずの時間をなかったことにする。電話は距離とともに時間を縮めているんです。時間の流れを速めている」
「ディストピアの時間の流れに近づけている?」
「速められた時間の流れに浸った人間は僕と同じように『何もできない時間』を恐れるようになる」
「テツヤさんほど勤勉な人はディストピアにもそういないんじゃないですか」
「そうかもしれません。でも、何も勤勉である必要はないんです。さっきラトナはイライラしているように見えました」
「そうね。そっとしておいた方がいいと思った」
「あれももう速められた時間の作用だと思うんです。たとえ時間がかかるとしても、バーゼンまで自分で飛んでいかなければならないとしたら、あんな気持ちにはならないと思いませんか」
「そうかもしれない」
「でももうだめなんです。電話がある以上、なんでわざわざ飛んでいく必要があるのかと思ってしまう」
「取り返しがつかないというのはそういうことですね」
「高速化したコミュニケーションはある意味では尺度になってしまう。僕は過剰に速まった時間に一度は殉じた人間です。せっかくもう一度命を与えられたのだから、この世界をかつての世界と同じにしたくはない。そこに気づくのが遅かった」
「遅かれ早かれ騎士団はテツヤさんの持ち物を根こそぎ改めていたと思います。今の関係は円満すぎるくらいです」
ラトナはまだ来ない。
僕は乾物屋の方へ歩いた。シスターが慌てて傘を差して追ってくる。
店は間口の上半分がガラス窓になっていて、引き戸に嵌められているのは板ガラスだった。明かりが弱いのか中の様子はあまり見えない。
少女が気づいて顔を上げた。
「やってますよ。どうぞ」
「お邪魔します」
「傘預かります」
「ありがとう。私たちツバメで待ち合わせをしているの。短い金髪の女騎士が来たら教えてくれる?」
「それってラトナのこと?」
「そう」
「それなら知ってる」
「よろしくね」
店の中は燻製の匂いがした。魚の干物やハムが吊ってある。
「明日からの遠征で保存食は入用です。木の実の塩炒りは割合重宝しますよ。嵩張らなくてエネルギーになりますから」
要するにミックスナッツだ。ポンド単位の大きな麻袋詰めになっていた。銀貨2枚。店主は達磨のような親父で、奥で作っている生ハムを薄切りにして1枚ずつ味見させてくれた。
「まだ売りに出さないから買うかどうかなんて考えなくていい。ただ、仕込みをやるにはこのくらいの天気の方がいいんだ。ただ乾いてればいいってもんでもない」
外でラトナが待っていた。我々を呼ぶよりラトナに手を振る方が早かったのだ。
「日曜も店を開けてるんだね」僕は少女に声をかけた。
「そう。でもその代わり水曜と金曜は休みです」
少女は指でニワトリの喉を撫でていた。ニワトリは一度立ち上がって道の方に尻を向け、フンを飛ばして尾羽を何度か振り、改めて膝の上で丸くなった。少女はニワトリを懐炉代わりにしているし、ニワトリは少女を座布団代わりにしていた。
あまりに低生産な光景だった。でも僕はそこに貧しさは感じなかった。むしろ生産性を追求したゆえの貧しさが僕をこの世界に導き、僕にこの世界を求めさせたのだと、そう思えた。
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