第22話 グライダー
ラトナの龍は川岸に設けられた助走区画に降り立った。地面の上を滑るように飛び、あるところでグワッと体を起こして全身で空気を受け止める。前進のベクトルを上昇に変え、それが重力と釣り合ったところで目一杯羽ばたきながらストンと落ちる。何歩か前に出ながら残った惰性を殺し切る。これがおおよそのシーケンスだ。一瞬無重力になるのと、着地の衝撃が鞍を突き抜けて尻にヒットするのがスリリングだった。僕は龍から降りてしばらく腰を押さえてうずくまった。
グライダーは近くで見ると布張りで、舟形の胴体下部が木製、背中の一部が鉄板張りだった。技術レベルは複葉機とか軟式飛行船の時代を思わせる。グライダーというだけあってエンジンはない。ついでに車輪もなかった。ソリで滑るか水上滑走なのだろう。川幅を広げてあるのは穏やかな水面を作るためか。龍の鞍にジブがついている理由もわかった。ロープをかけてグライダーを牽引するためだったのだ。
グライダーの図体は龍が翼を広げたのと同じくらいで、オープンカーのような風防付きのコクピットがあり、その後ろに機内スペースが設けられていた。容積はワンボックスカーと同じくらいか。やや細長い感じだが。
色はどれも白く塗ってあり、背中の真ん中の鉄板部分に持ち主がわかるようにマークが描かれていた。
赤いマークのグライダーの回りにいた騎士たちがラトナを見て手を挙げた。部下か。5人いる。よかった、鎧はつけていない。墓掘りの時と同じ赤いチュニックだ。
「荷物だけなら単騎でよかったんだけどね。作業もこっちでやってくれという話になったから。人間をゲートに入れるわけにもいかないしさ」
ゲートに入れるわけにもいかない?
そうか、そういうものなのか。一種のタブーだったのか。
グライダーを浅瀬に移してロープでジブとつないだあと、我々はコクピットの開口から中に入った。部下たちは側壁から張り出したベンチに並んで腰を落ち着けている。
驚くことに操縦装置も現世の小型機並みだ。造りの精度はともかく、ハンドルとペダルがついていた。飛んでいる間でも出入りができるように、ということか、開口部は操縦席ともう一席分の幅があって、そちら側は前までベンチが伸びていた。中のスペース的にも僕の席はそこだった。クリップやスクリーンが用意されているのは地図を広げるためか。
「結構揺れるから振り落とされるなよ」
「はい」僕は機体の内側に取り付けられている手摺を握った。
機軸はクランクの長手方向に合っている。
「走れ、走れ。飛べ、飛べ」ラトナが声をかける。
龍がロープを引いて岸を走る。当然グライダーは岸に寄っていこうとする。ラトナがペダルを踏ん張って直進させる。船底が水面を叩いて飛沫を跳ね上げる。
龍が飛び立つのに合わせてグライダーもふわりと浮き上がった。振動も消えた。
「登れ、登れ」
上昇はさっきよりもかなり緩やかだ。が、時間をかけてもっと高度を上げる。川のせせらぎが遠ざかり、鳥の鳴き声も聞こえなくなった。街がジオラマのように俯瞰できる。
龍は気流を探して羽ばたきを止める。高度が下がっていく感じはない。ラトナはボンネットの上に走るレバーをこんこんと叩いて針路をやや左に調整した。牽引用のロープが2本に分かれていて、それぞれ振動が龍に伝わるようだ。ざっくりした指示は掛け声だが微調整には振動を使うわけだ。
吹きさらしのせいか横風で針路が滑ったり乱気流で機体が持ち上がったりするのがよくわかる。まさしく「風に乗っている」という速度感だ。
ラトナは時折操縦桿についたネジを回してグライダーが水平に飛ぶように調節している。操縦桿そのものを動かしているわけじゃない。トリムだ。
「珍しい?」
逆だな。珍しくないから驚いてるんだ。僕の世界の技術水準から見て珍しくない、というのが問題だった。
「テツヤの国にはグライダーはないか」
僕は頷いた。厳密に言えば普及しているのはグライダーではない。嘘は言ってない。
「龍の交通文化圏じゃないんですよ」
僕はグライダーに感じた違和感について改めて考えてみた。
現世の近世には輸送用の実用グライダーなんか存在しなかった。当然だ。ドラゴンがいない。人が乗れるくらい大きなグライダーを牽引できるような大きな飛行生物がいなかったのだ。もちろん自動機械もなかった。
違いを生んでいる原因はほぼ間違いなくドラゴンだ。そもそもドラゴンを乗り物や輸送手段として使う文化があって、より多くの荷物を運ぶ要請からグライダーが発明されたのだろう。馬や牛に対する馬車・牛車と同じだ。同じような要請、同じようなプロセスで同じような役割のものが生み出された。そこに疑問はない。
現世にだってライトフライヤー以前にグライダーが存在しなかったわけじゃない。ただそれらは鳥の翼や鳥の全身を模したものがほとんどで、近代以降の飛行機の形態とは全然似ていない。原始的といってもいい。
つまり僕が感じた違和感の出どころはグライダーの存在そのものではなく、その洗練された姿形にあるわけだ。
僕はこっちの世界の馬車には違和感を覚えなかった。馬の違いはあっても荷車の技術が同じくらいのペースで発達してきたからだろう。飛行技術はそうではなかった。こちらの世界の方が進みが早いのだ。
いや、逆か。
現世の中世に飛行技術の発達がなかったせいでこちらの世界が進んでいるように見えてしまうだけで、こちらの世界にとってみれば飛行技術は順当に進歩し、順当に洗練されてきたに過ぎない。決してオーバーテクノロジーではないのだ。
「この国では昔からグライダーが使われているんですか」
「まあね、王国時代の戦記にも描いてあるからね、古いんじゃないかな」
「王国時代」
「絵巻が作れるくらい安定してた時代っていうと400年くらいは前だね」
「それは古い」
「でも技術的には雲泥の差だよ。博物館で見たけど、大きいだけで凧みたいなものだった。トリムもないし、舵のリンクも脆いからほとんど体重移動で飛ばしてたらしい。それこそ大した荷物は運べなかったはずだ」
やはり僕の見方は間違っていないようだ。
今まで市井で見かけなかったのは特に軍隊や騎士団と紐付いているからか。それは理解できる。というのはあくまで輸送任務に適しているからだろう。商人の場合、通る村、すれ違う同業者やサプライヤーとのコネクションを大事にするから、地上を点で結んでしまう飛行手段はおそらくあまり好まない。それに、街の近くの水面に降りても結局そこから市場まで運ぶ手段は別に用意しなければいけない。街でグライダーの気配を感じなかったのはたぶんそのせいだ。
眼下に森が広がっていた。山地だ。時折斜面に切られた街道が見え隠れする。陸路だと時間がかかる、というのも納得だった。
「バーゼンの街が見えてきた」ラトナが指差した。
雪山の麓、2つのピークから伸びる尾根線の間に抱かれるようにして街が広がっていた。
「上に湖がある。そこに降りる」
宣言通りグライダーは湖面に滑り込んだ。龍の動きは川原の時とほぼ同じだった。水面ぎりぎりでふわっと浮き上がって短くホバリング。完全に失速する前にグライダーの背に着地した。船体が沈み、波紋が広がる。そうか、グライダーの屋根が頑丈に作られているのはこのためだったのか。確かに着水は広い水面がないと危ないし、そうなると牽引ロープの届く範囲で龍が着地できる場所はグライダーの上以外どこにもない。高度なことをしているように見えて基礎的なプロセスなのだ。グライダーと一緒に着水、というのが一番素直な気はするけど、何かしら濡らしたくない理由があるんだろうな。
ラトナは機首が岸を向くように舵を切る。滑走の惰性が消えたあとは水面に櫂を差して人力で漕ぐ。岸が近づくと龍が首を伸ばして船を押さえ、前足からそっと岸に移ってグライダーを引き上げた。ここまでが一連の仕事という認識らしい。ロープを外してやると湖面の水を飲み、ラトナが投げ上げた魚を器用に捕まえてのどごしを確かめるようにゆっくり呑み込んだ。
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