第23話 隣町・科学

 空気が冷たい。

 バーゼンは今までいた街(そういえば何という名前なのだろう?)に比べると小さいが高規格な街だった。たぶん岩盤がしっかりしているからだろう。街路はどこも石敷きで直行していて、城壁も高い。中心にあるのは聖堂ではなく城だった。全体として城に向かって上っていくような傾斜だ。その脇を高い方から低い方に川が貫き、城の前の広場で滝になっていた。交易品はどうやら紙だ。広場には材木やパルプのロールが並んでいた。

「100年前には影も形もなかった。周りと同じように森に覆われていた。そこをあえて切り開いて人の力でイチから築いた街なんだ。さっきの湖ももともと露天掘りをやっていた跡に堰で水を貯めたものだ」

 ということはかつては鉱物資源を目当てに開発されたわけだ。ラッシュが過ぎ去ってからは主幹産業を製紙に転換して都市運営の安定に至っている。

 ただ昔とった杵柄というやつか、石材を扱う店は多い。建材は一通り揃っているようだ。立地からして重量製品の大量輸出には向かなかったのだろう。

 一行はレンガとセメントを買い込んだ。台車1台分くらいの量だけど、ゲートがあるので重さもなんのその。


 街の騎士団は城の中にあった。建物は立派だけどどこか閑散としている。出払っている、という感じではない。掲示板の張り紙も少ない。そもそも人が集まらないのだろう。

「手伝えませんが道具や設備は自由に使ってくださいね」受付嬢はそう言って納屋まで案内してくれた。とにかく話は通っているようだ。

 設置場所は塔の上だ。ぐるぐると階段を上る。

「ゲートがなかったら今頃地獄のトレーニングだったぜ」と部下の1人が言った。

「何を言ってるんだ。これで終わりじゃないだろ」とラトナ。「さっき買ったのは粉のセメントだぞ」

 部下たちは顔を見合わせた。

「ああ、セメントだった」

「建築にはセメントが必要だ」

「何ならレンガだって買った」

 みんなでラトナを見る。

「水だ水。観念しろ」

 総員脱力。みんな答えを知っててとぼけてたな。

「だよなぁ、はぁ」

 水はゲートで運べないのだろうか?

 井戸でバケツに水を移してバケツごとそっとゲートに入れてみた。そこまでは順調だった。ところが取り出してみるとバケツは空だった。濯いだあと、という感じだ。たぶんゲートの中は重力が不安定だから液体はこぼれてしまうのだ。バケツではなく水をイメージするとホースで絞られたような勢いで出てきた。これで注げば粉が舞ったり跳ねたりするに違いない。

「蓋がないとだめか」

「蓋があればいいんだな?」

「粘ってないでさっさと運べ。おまえらのその筋肉は飾りか」


 塔の上は円形の見張り台でちょうど中心が空きスペースになっていた。下に芯柱が通っているから多少荷重を足しても問題ないはずだ。

 セメントを塗り、レンガを積む。頭の高さまで土台を作って上に魔水晶を乗せる。鉄製の輪を魔水晶の上部にかけ、土台とブレースで繋いでリベット打ち。ラトナの魔法で溶接。

 設置は日没までに終わった。あとは付属品、ここからはゲートに入れて空輸してきた材料だ。

 何かの横隔膜でできた振動板を魔水晶の大きい面に貼り付け、真鍮製の伝声管をかぶせてドアの切り欠きから屋内に引き込み、見張りの詰所にラッパを取り付ける。伝声管の横にはツタ・・製のマナ導管が沿わせてあって、ラッパの方からマナを送り込むと魔水晶側の吸盤へマナを送り込めるようになっていた。

 早速テスト。詰所は見張り台のすぐ下にあって、しかもちょうどいい方角に窓が切ってあるのでもといた街の方が見通せた。

「基地の見張り台」ラトナがラッパの蛇腹を伸ばして吹き込んだ。「聞こえるか、エルカイン」

〈マジか。こいつはすごいな〉

「そっちの準備も間に合ったようだね」

〈今しがた振動板を取り付けたばかりだよ〉

 ラトナによると魔水晶から赤い光が出るのだという。だとしたら明らかに電話とは違う。赤外線通信か。でもまだ空が明るいせいか窓から身を乗り出して見上げても光線は視認できなかった。かすかに空気が揺らいでいるだろうか。

「これが魔法?」あまりにテクノロジーだ。

「どういう仕組みがわかるか?」

「振動を光に変えているんでしょうね」

「エルカインと同じ答えだ」

「マナを使っているんですか」

「そう、この導管を使って声と一緒にマナを流し込むんだ」

「魔法で特定の周波数を指定して変換できる?」

「いや、術によって決まってるってことはないよ。そこは使う側の加減だ」

〈いま少し聞こえづらかった〉

「何もしてないぞ」

〈頭を使ってるせいでマナがヘタったんじゃない?〉

「んなわけないよ」

 僕は外を見た。

「雲だ。雲が光を遮ったんだ」

〈そういうこともあるだろうね。雲に刺されば光は散る。向かいの水晶まで届く光は減る。光が減れば信号も弱まる。櫓の高度まで完全に雲が充満した状態でそっちからこっちまで届くのか、届くとしてどんな音質になるのか試してみたいものだ。テツヤくん、その周波数とやらを君が持ち込んだ正規のものに合わせれば雲のに対する貫通力も上がるのかな〉

「上がると思います。思いますが、代わりに届く距離そのものは短くなるかもしれません。本来1キロも離れれば遠い方ですから」

〈せいぜい5000フィートという話だったが。すると街と街を結ぶにはこの方が得策か〉

「かもしれません」

〈もう3時間くらい置いて改めて話そう。空気が澄むだろうし風も止むはずだ〉


「さて、あとはセメントが乾くのを待つだけだね」

 なかなかいい景色だった。夕日が家々の屋根や城壁を赤く照らしていた。石材に艶があるのか、それがすごく濡れっぽく見えるのだ。

「エルカインは初めてだったか」とラトナ。

「ええ」

「何の自己紹介もしやがらなかった」

「僕もですが」

「いや、テツヤはいいんだ。私が話に上げたから。私の同僚で魔法の専門家。実用よりも仕組みの解明に軸を置いてる……というかもう生活と人生の軸になってるな、あれは」

「根っからの科学者タイプですか」

「だろうね」

 ここは魔法の世界。科学という概念が通じるのだろうか。

 いや、通じなければおかしい。魔法と科学が対立するものなんていうのは僕の素朴な思い込みに過ぎない。もしイメージや模倣だけでこの世界が発展してきたなら、グライダーは鳥や龍の姿を模した、それこそ現実世界で科学の発展以前に作られて消えていった凧やハングライダーの延長線上にあるものしか作れなかっただろう。直線的で硬い翼のデザインは生き物の飛翔を一度力学で分析しなければ編み出せないものだ。

 この世界の魔法は科学的思考に基づいている。

 そう。この世界の見てくれが近世だからといって、魔法が発達しているからといって、必ずしもそこに住む人々の科学的思考が劣っているわけではない。材料さえ提供すれば爆発的な進歩が起こることになる。実際、電話はその一端なんじゃないか。素地はあった。僕の持ち込んだものが使い方を変えさせた。

「今まではこの街と連絡を取ろうと思ったらどうしてたんですか」

「常駐の魔法使いがいないからね。速達で手紙を出すか、騎士なら自分で飛んだ方が早い。昨日もそうだった。今日の事前連絡で一遍飛んできてるし」

 そうか、受付嬢の動きが良かったのはラトナが手回ししていたからか。

「ここより北側には他の街は見えないんですか」

「今は雲がかぶってるけど谷沿いに2つある。その先は見えないはずだ」

「ここでテストをやって、もっと小さい魔水晶でも十分ということになれば通信網を広げる余地は大きいですね」

 ラトナは頷いた。

「この世界、この国は大きな可能性を秘めていますよ。きっと今に爆発的な革新を遂げることになる」

「その革新ってのがいいものならいいけどね」

「いいもの?」

「2度も3度も往復しなくていいんなら私は楽ができる。いいものだ。その分どこかにシワ寄せが行くんじゃないかという予感がしないでもないけど、それは今考えても仕方がない」

 ラトナは単に技術発展に肯定的な立場ではない。それによってどれだけ楽になるのかを自分一人のレベルではなくシステム全体で考えている。経営より行政の思考に近い。


「つまり、何だ、テツヤは騎士団方式電話の普及には肯定的ってこと?」ラトナは訊いた。

「もちろん。その方がこの国に合っているならその方がいい。僕の利権だけでは使える人が限られてしまう。それは全体にとって足枷になる」

「商人というより思想家だな」

 どうやらラトナは僕がこの試みに対してどれくらい権益を主張するのか警戒していたようだ。確かにそれも筋かもしれない。明らかに僕が持ち込んだ発想だ。でも赤外線となると電話とは技術的に別物だし、僕が持ってきた機材を使っているわけでもない。むしろだからこそ感心しているわけだけど、そこでロイヤリティを取ろうとするのはお門違いだ。

「電話回線に相乗りしている、とかだったら考えますけど、明らかに別物ですからね。契約の時も言ったように、革新的なサービスが生まれれば似たものは必ず出てきます。そこで本家が打つべき手は自分の権利を主張することではなく次の革新を模索することです。強いて言うなら、僕は参考になる知識を何度か開示しているので、その提供に対して報酬を得る、という程度でしょうか」

「なるほど、顧問役か」

「ああ、雇用の方がスマートですね。答える前にいちいち値段をつけるっていうのも面倒ですし、もう何度か答えてますし」

「ただ、現状だとテツヤより先にエルカインに聞くのが筋だ。あいつが必要と言うかどうか次第かな」


 さて、3時間あるなら夕食にはもってこいの時間だ。

 シシ肉という固くて臭みの強い肉に香草をたくさんまぶして串焼きにした料理が街のグルメらしかった。幸いビールにはよく合った。ただ平地よりビールが高く、人々が最もよく飲んでいるのはマツか何かの実をもろみで発酵させたにごり酒だった。舌に乗った感触といい匂いといいとにかく悪酔いしそうな気配がぷんぷんした。

 そしてシメの一品という具合にラトナが配ったのが黒っぽい木の枝……どう見ても木の枝だった。箸くらいの太さで節が立っていて、曲げるとフニャっとしていた。一同それをしゃぶり始める。仕方ない、覚悟だ。と噛んでみるなり、バニラとハッカクを濃縮して一対一で混ぜ合わせたような不思議な味が口いっぱいに広がって鼻まで抜けた。飲み込むと喉にメントール感が残る。そうか、一種の歯磨きだ。強烈な風味の前に胃の中のいた有象無象のハーブ・スパイスどもは平伏して黙り込むしかない。明らかに吐息がクリアになった。こいつはすごい。


 エルカインの予想は外れた。夜10時のバーゼンは厚い雲に覆われていた。というより雲底高度が低くてもはや霧だった。ガス灯の回りにぼんやりした光の輪が見えた。

 が、それでも通信は届いた。こちらから呼びかけても返事がなかったが、向こうの声が先に通った。今度は赤い光線がきちんと見えた。予想より太い。レーザーというよりUFOの下から出てくるトラクタービームみたいだ。

〈単純に送り込むマナを増やせばいいんだ。聞こえるでしょ〉

「ああ、聞こえる」

〈やっぱり大きい水晶の方がいいんだ。大きさによってインプットに耐えられるマナの量が決まっていて、どうも小さい水晶だといくらマナを送り込んでもあるところからアウトプットが増えないんだ。水晶をとっかえひっかえしてみてわかったよ〉

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