第20話(閑話2) ラトナの視点2

 騎士団基地の地下は有事に備えたシェルターを兼ねている。水や食料の備蓄、寝泊りのための空間と簡易ベッド。何より壁と天井が分厚い。その一角を占拠して住みついている騎士がいた。雷鳴のエルカイン、魔法使いだ。

 ラトナは部屋の戸を慎重に押し開いた。案の定半分も開かないうちに戸の裏が何かに当たった。びくともしない。岩でも置いてあるんじゃないか。

「それ以上押すんじゃない」とエルカイン。

「剣が引っかかってる」

「私が出られれば十分なんだよ」

 ラトナは鞘をベルトから外して薄く開いた戸口をすり抜けた。戸を押さえていたのは冊子本の山だった。かなりどっしりした山だけど、確かに崩れたら連鎖的に部屋中の本の山が崩壊しそうな配置ではあった。エルカインはソファに座ってスクロールを繰っていた。

 許されるなら服なんか着たくない、といったくらいのざっくりしたチュニックだ。小柄で痩せぎすだが――というかだからこそ――襟袖がすかすかして色々見えそうだった。全くもって身だしなみとは無縁。伸ばしっぱなしの黒髪はしかしそれでいて恐ろしく艷やかだ。魔法で整えているのかそれとも天稟か。目の上で切り揃えた前髪を割るように額から2本の角が伸びている。磁器あるいは刃物のような質感は龍の血を引く種族とはまた違う。鬼の系譜の特徴だ。


「よく眠れたようだね」とエルカイン。こう見えて夜警の当番はきちんと把握している。

「うん。ベッドから出るのに20分もかかった」

「それで」

「見てほしいものがあるんだ」ラトナはテストに使った魔水晶を取り出した。テツヤに返したのは先日のモディから採った別の魔水晶だ。性質的には同じかもしれないけど、きちんと機能を確認した現物を確保しておきたかった。

「なにかすごく、今までにないような感じがするね。知らない匂いだ」

 エルカインはスクロールを置いて魔水晶を手にとった。目つきが変わっていた。

 基本的に地下は明かりを灯していない。必要に応じてランタンを携帯したり壁にかけたりするのだが、エルカインの部屋は昼間の窓の大きい部屋とさほど変わらない明るさだった。光源魔法を天井に並べているからだ。彼女はそれを切って手元に集中した。

 部屋の中が一旦真っ暗になり、それから魔水晶を中心にぼんやりと赤い光が広がった。光が回る。時に細く鋭く、ハレーションのように形を変える。分光だ。エルカインは常人が魔水晶を使って行うシャントを触媒無しでやっている。触媒に使う魔水晶の性質の影響を受けないシャントは極めて正確だ。だから魔水晶そのものを解析することができる。

「時間のマナを帯びている。それと、希薄だけど魔法がかけられているね。術者の気配がないから呪いといった方が正しいかもしれないけど、なんだろう……この、なにか文字の羅列のような、メッセージを記録しているのかな」

「テツヤは番号って言い方をしていたね」

「ああ、なるほど、そうか、この感じ、名前か。この魔水晶さ、名前を与えられてるんだ」

「テレパスのように遠隔でその名前に呼びかけることができる?」

「ああ、例の件か。可能だろうね」

 エルカインは部屋の明かりをもとに戻した。一瞬目がやられる。

「ここから先の話は名義と引き換えだ」

「報告書?」

「他に何がある?」

「またか。まあ、いいよ。書いてあげる」

 エルカインは自分で報告書を書きたがらない。他人に書かせた上で報告者を連名にさせるのが常套手段だ。しかしそれを踏まえても助言を受けるに値するだけの知見は持っている。

「聞こうか」

「別の魔水晶に同じように名前を与えることは」

「それも可能だ。初めて見る術だけど術は術だ。逆算して真似できないことはないよ。もちろん他の名を与えることもできる。――なるほど、本質的には音なんだ。それを振動からマナに、マナから光に変えて伝送するんだね」

「魔水晶から他の魔水晶に呼びかける術は誰でも使えるレベルになる?」

「それは私が試してもわからないよ」

「術自体はできる?」

「できるよ。でも、そうか、テレパスを使わなくてもこういうやり方があるわけだ。やはり見方が凝り固まってるとよくない。その国の人も考えたものだね。番号とやらの命名基準は何かあるのかい?」

「さあ。それは聞いてない」

「なら、例えばだね……」エルカインは立ち上がって戸棚の奥から魔水晶をほじくり出した。千鳥足だ。痺れているのか。「この石に『跳梁の騎士、ラトナ・ボルカ』と名づける。それからこっちの石で術をトレースして呼びかける」

 魔水晶から赤い光が広がって糸のような細い光に収束した。その光の行き先は今しがた取り出してきた魔水晶だった。

「どうだ、ちゃんと届いているか」

 耳を近づけるとその声はダブって聞こえた。

「この光は」

「伝送媒体だよ」

「遮ったら聞こえなくなるんじゃないの?」ラトナは光に手をかざした。手のひらに当たった光は水流のように弾けた。乱反射と拡散で部屋の中が赤く妖しく照らされる。

「聞こえないだろうね」

「ああ、聞こえない。おかしいな。テツヤのやつはこんな光も出てなかったし、壁の裏にいても聞こえたよ」

「ふうん、波長が違うのかな。もしかすると魔水晶で出せる波長じゃないのかもしれないね。あるいは、私がまだ『目に見えない光』というものを完全に理解していないからなのか……」

「あ、それに、ゲートを使うとか。アイテムボックスね」

「ゲートね……。私は使ってないな。使う必要があるとも思えない」エルカインは膝を立てて腕をひっかけた。考えている。

「あとはね、魔水晶じゃなくてスマホを使うんだ。これくらいの板状の魔法器で、指で操作して字とか絵が映るんだよ」

「もしかするとゲートの向こうになにか大掛かりな装置があって、そこから魔水晶単体では出力できない波長の光を出しているのかもしれないね。それを制御するには専用の端末が必要なんだ。仕組みについては現時点ではまったく見当がつかないから、再現するなら欲張らない方がいいと思うけどね」

「だけどな、障害物に阻まれるとなると使い道がなぁ」

「都市間通信ならよさそうじゃないか。バーゼンなら晴れていれば尖塔が見える。見えるってことは障害物はない。空気中のマナによる拡散も許容範囲。尖塔に魔水晶を括りつけて、そのままだと音を取るには具合が悪いだろうから、伝声管で屋内に引き込んで、ついでにマナ導線でそこから魔水晶を制御できるようにしておけばいい感じじゃないか」

「バーゼンって、30マイル以上は離れてるぞ。テツヤのやつでもせいぜい1マイルだったのに」

「そう? この光の直進性なら十分届くと思うけど」

「マジで?」

「マジで」

 そうか、模倣される側が必ずしも全て上回っているわけではないんだ。電話は障害物を避ける特性の代わりに効果範囲を犠牲にしているのかもしれない。ただ、犠牲にした上であれほどの有効範囲とは思えなかっただけだ。1マイルで感心していたのに、30マイルか。ラトナは息を飲んだ。

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