第19話 商談
夜が開ける。
モディの襲撃はなかった。拍子抜けだけどこれが普通なのだろう。傭兵たちは仕事をきちんとやりきったという顔で手続きを済ませ、帰るなり酒場に溜まるなり散っていった。
ラトナは僕を基地2階の一室に呼んで熱い麦茶を出してくれた。ここでの僕の肩書はたぶん部下ではない。取引相手だ。
「まずはこれ、昨日のテストで借りていた魔水晶を返すよ」ラトナは魔水晶(大)と魔水晶(小)をテーブルに置いた。
「テレパス魔法ではない、という話だったわね」
「はい」
「何と呼ぼうか」
「電話ですね」
「電話、ね」
何かそれらしい概念に直されて伝わっているのだろうか。それともそのまま「デンワ」という音で聞こえているのだろうか。
「マナでないしても、何か別のエネルギーで動いているのでは」
「バッテリーです」
「一晩使って余力はどれくらい残っている?」
やっぱり訊かれた。
「正直なところほとんどカラカラです。残りだいたい2割。加えて途中で予備のバッテリーから充電しています」
「単体での持続時間は半夜分ってことね」
「そうなります」
「送る声と送らない声を選べればいいんだけど。いちいち手で押さえるのも面倒だし」
トランシーバーのように送話ボタンをつけられないか。でもそれだと結局手を使う。そういうことじゃない。
「喉の振動を拾っているので喉を震わせずに喋れるなら可能だと思います」
「それはハードル高いよ」
「逆に、魔水晶の振動を操作できるなら口の動き・発声とは無関係に電話できるはずです」
「もっと難しくなったな。わかったよ。今の機能で一杯ってことね」
「そう思っていただければ」
「ただやはり使えるものだという確認ができたのも事実だ」
「正直まだ手探りなので僕も自信を持って『改良します』とは言えないんです」
価格交渉に入っているのは認識していたが、そう言わざるを得なかった。自社サービスではまず言ったことがないセリフだ。
不安要素は先に提示しておく。ただそれを理由にした値引きはしない。あくまで正規の価格設定で納得してもらう。その後の安定取引のために押さえておくべきポイントだ。
つまるところ手に入れたばかりの商材は商品価値を引き出すのが難しい。利益を求めるならもう少し温めておきたいが、どちらにしてもここには商品価値を高めるための試用環境がない。テストケースとして割り切ってもいいんじゃないか。
「騎士団の他の方々にはすでに話を?」
「騎士には裁量権があるからね。値段によっては円卓の稟議にかけるけど、私が決められる範囲だと嬉しいね」
当然「私が決められる範囲」がどこまでなのかは知らされていない。電信さえ存在しないこの世界では人々が情報通信のために割こうと思えるリソースはむしろ向こうの世界より相対的に小さいだろう。要は電話の凄さが伝わらないし、そもそも離れたところにいる誰かと瞬時に連絡を取り合う必要に駆られていない。夜警のような状況・需要は社会全体で見ればレアケースなのかもしれない。こちらにとっては妥当な金額でも、相手にとっては目ン玉が飛び出るような額かもしれない
「僕が考えているのは時間加算制のプランです。使っている間電池はほぼ一定のペースで減っていきますし、たくさん喋っても黙っていても、魔水晶をいくつ巻き込んでもそれはさほど変わらない」
「買いきりじゃないのか」
そうか、この世界の人々はサブスクに馴染みがないんだ。月々いくらというプランは直感的じゃない。
「2台しか持ってないんです。それだと手を広げられない。ここで頭打ちです。なので物ではなくサービスを売ります」
「あくまでテツヤがその場で扱うと?」
「夜警はローテーションで毎晩やっているんですよね」
「ほぼ3チームの千鳥式だね」
「僕が扱うとなると毎晩出てこないといけない」
「毎晩か、さすがテツヤ」
「体力はともかく――」
「冗談、冗談」
「さすがに僕もそこまで時間を使えない。物は貸すので使い方を覚えてもらいます。レンタルです」
「なるほど。渡せば売り買いだけど、貸せばサービスか」
「そうです」
「理屈はわかった」
「1時間刻みで、スマホと予備のバッテリーはセットで銀貨1枚、子機は1台あたり銅貨1枚。通話を繋いでしまえばスマホは1台でいいので、子機が今日と同じ12台として9時から6時台までの10時間で合わせて金貨2枚と銀貨2枚」
「伝令を1人増やすよりも安くつく」ラトナは頷いた。
どちらかと言えば好感触だ。安くはないが高くもない。
伝令1人、というのは僕も同じ考え方をしていて、夜警の人数に増減があるということは1人の給金分くらいの裁量なら確実に監督の騎士任せになっているのだろうと思ったのだ。
「ん、10時間? 9時から6時なら9時間では?」
「はい。9時から6時台です。カウントは聖堂の鐘を基準にします。ぼくは鐘が鳴る前に機材一式を貸し出します。そこから鐘が鳴った時点で料金が発生して、次の鐘が鳴るまで使っていただけます。ただし返却前に次の鐘が鳴ってしまうと次の時間の料金も発生します」
「6時台ってことは、実際7時の鐘が鳴るまでに返せばいい」
「はい」
「渡されてから最初のカウントの鐘が鳴るまでの間も自由に使っていいのよね」
「もちろんです」
「なるほど、時間に正確なテツヤの方が得をしやすい仕組みってことだ」
「そうでもありませんよ。スマホにも時計がついてるのでぎりぎりまで粘ってもらっても」
ぼくは待ち受けの画面を見せた。
「これ何時?」
「7時20分です」
「文字を覚えないとな」
「教えます。ただ聖堂の鐘が鳴るのは正午以外正確に00分ではないので注意してください」
「あくまで聖堂の鐘基準でいいのね」
「スマホは僕が用意してるものなので鐘の方がフェアだと思いますが」
ラトナは頷いた。
「鐘が鳴らない時はどうする?」
……鐘を鳴らせないような状況に陥るということがあり得ると?
「それはおそらく有事なので、その時点のカウントで電池が切れるまで使ってもらって構いません」
「鐘が聞こえないところで使う場合は」
「貸し出し時の双方の合意によりスマホの時計を基準とします」
「契約書はここの文字で残したい。用意できる?」
「は……」ノータイムで「はい」と返事しかけて踏みとどまった。僕はこっちの言葉が書けない。
「それならいい。草案は騎士団で作るから、そのあと読み合わせをしよう」
おそらく普通の商人ならそのあたりの用意はしている。騎士団に契約書を作る機能があるということは、相手は傭兵か。いくら腕の立つ傭兵でも教育水準によっては読み書きができないということもあるのだろう。
「それはそうと、使い方を教えてよ。これ触ってみたかったんだ」
時計を見せる時に渡したまま戻ってこないなとは思っていた。ラトナは僕の私物のスマホを掴んだままだった。なるほどそういうことか。
悪い傾向ではない。デモ・トライアルの段階でたくさん触ってたくさん訊いてくれたクライアントの方が導入後のユーザーインターフェースに関する問い合わせは少ない傾向にある。
シスターは聖堂前のアプローチを掃いていた。
「おかえりなさい。遅かったですね」
「使ってもらえることになりました。それで契約の話をしていたので」
「もう結んできたんですか」
「いえ、それはこれからです。こっちの文字が読めないのを失念していました」
「あ、契約書ですか」
「騎士団で草案を作ってもらうことになったので、上がったら読み合わせをお願いできますか」
「ええ、それはもちろん」
僕らは聖堂に入って月曜日と同じように長椅子に腰を下ろした。僕はその日の稼ぎを広げた。
「返済分です。それとは別にカチューシャの使用料です。1台1時間銅貨1枚で12台の10時間。銀貨12枚。正規の子機を揃えるまでは立替扱いにさせてください」
「正当な対価は受け取らなければなりませんね」
「ええ。つけ心地に関してはほとんどクレームはありませんでした。アーチの部分が薄い方が兜がかぶりやすい、というくらいで。出来がいいのであまり安いと職人のマーケットを荒らすことになります」
「そうだ、時間があれば防具屋に行ってみましょうか。紹介します」
「午後ならぜひ。ただ元手がないですが」
「後払いやローンにも対応しているはずですよ」
「そういうことなら」
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