第18話 2度目の夜警

 水曜。正直、夜が明けてからミーティングが始まるまでのことはあまり詳しく覚えていない。

 もともと決めていた資料整理に加えて、先方のサブ担当者がやけに質問熱心で、朝の8時過ぎに20項目くらいあるメールを入れてきた。当然ミーティングの段階ではすべて明快に答えられるようにしておかなければならない。

 大部分は機能や仕様についての確認だったけど、「現状の仕事環境で満足している人々、仕事のやり方を新しくすることに抵抗を持っている人々、特にパソコン・スマホがネイティブではない世代の人々にとってこのシステムを導入する意味」は何だと思うか、という観念的な話もあって困った。答えるのに時間がかかるわけじゃない。ただ時間がない時に思索を求められるというのが精神的に厳しいのだ。まともに考えれば「多くが管理職の彼ら世代にとって、部下・後輩が感じている不便を洗い出しよりよい環境で生産性を向上させるのは責務だから」という答えになるのだが、あまりに普遍的すぎる答えでもある。先方からすればあくまで自社環境に照らした時にどんな意味があるのか、というのが求めているものだ。ケースバイケース。今までのヒアリングで集めたネタを入れ込まなければ心は掴めない。

 15時から2対2のオンラインミーティング。こちらは僕と千手院部長。5分前に入室してマイクとカメラ、背景を互いにチェック、14時58分、59分と続いて先方2人が入室。一応窓は閉め切ってあるが15時の鐘はすでに鳴っているので影響ない。

 …………

 デモを含めて90分の予定が実際には120分。伸びるのは悪いことじゃない。互いに好印象で終えられたと思う。導入スケジュールを改めて説明して、いつ頃判断できるかやんわり聞いたところ社内稟議の話が出てきたのでかなり有望だ。千手院部長もデブリーフィングでほとんど質問・指摘を出さなかった。

〈しかし、なかなかハードだったね〉

「この1年なら間違いなく一等賞の質問量でしたね。リアルタイムでもこのレベルとは」

〈先方の課長さん最後の30分何も喋ってなかったよ〉

「メモは取ってましたが」

〈そこは良かったね。――ま、お疲れ様〉

「はい、お疲れ様です」

 17時40分にはミーティングを終了してヘッドセットを外した。パソコンの電池残量は20%まで減っていた。充電しながらでもこれだ。ウェブ会議は実質動画を流し続けているわけで、消費が激しいのは当然か。

 僕はタオルで顔を拭って部屋を出た。


「終わりました?」食堂の前でシスターと鉢合わせた。

「ええ」

 食堂ホールは混雑していた。そうか、夕食のタイミングか。僕はシスターに続いてお盆を取り、スープとパンを受け取って隣に着席。しばらく待って全体でお祈り。そして黙食。

「お疲れですね」とシスター。

「少し気が抜けているだけです。疲れって口が1つしかない袋のようなものだと思うんです。膨らませている間は中身が抜けないし、抜いている間は入れられない。今は膨らませるポンプが刺さってないので抜けている状態です」

「しぼんでいく過程が一番疲れて見えるってことですね」

 要するに疲れて見えるだけで実際には大したことはないし、夜警の時間になれば元気になる、ということを言いたかったわけだけど、なんだか上手くニュアンスが伝わっていない気がした。そう、抜けている時の僕の言葉は冴えない。自覚がある。

「カチューシャの方はどうですか」

「あ、できましたよ」

「え、全部?」

「はい、12個全部」

 宣言通りとはいえ――

 ……?

 そうするとシスターもやりきった状態のはずじゃないか。全然疲れが見えないのはどういうことなのか。偉そうに語ったのが少し恥ずかしくなった。


 2度目の夜警が始まる。前回とほぼ同じ顔ぶれだった。1人増えたか。計13人だ。僕はシスターから預かった12個のカチューシャをラトナに渡した。ラトナはそれを番号札と一緒に配った。僕自身はカチューシャは必要ないのでそれでも足りる。

「そいつはテレパス魔法器の一種だ。魔法適正に関わらず誰でもテレパスを使うことができる。頭の上に渡して魔水晶が耳の後ろに当たるようにしておけ。常時つけておくこと。今夜は何かあっても鏑矢は使わなくていい。その場で呼べば私にも聞こえる。質問は?」

「マナは吸われるのか」

「吸われない。消費するのは空気中のマナでそれも無視できるレベルだ」ラトナが答えた。予想していた質問、用意していた答え、といった具合だ。

「いざって時は武器に使ってもいいのか」

「構わないが、それだけの一撃をやるなら確実に仕留めてくれ。むろん貸し出したものを消費するからには天引きだ」

「高いのか」

「銀貨2枚」

「げっ、この大きさじゃ相場の2倍だぜ」

「普通の魔水晶でテレパスが使えるのか? 取り付ける手間もあるしな」

「特殊な魔水晶だァ? 安い加工じゃないだろうな……」

「他に」ラトナは愚痴を遮った。「ないか、ないな、ないならよし、配置!」


「さて、テツヤ、今夜の君の持ち場は基地の見張り櫓だ。理由はわかるね」

「ゲートが効果範囲の中心になっているから、城壁まで行くと反対側の担当が範囲から外れてしまう。街の中心にいるのが望ましい」

「そのとおり」

 櫓といっても円筒形の石積みの重厚な建物で、加えて外側に筋交いのように鉄板を貼って補強してあった。内部の梯子を辿って最後に雨よけのハッチを開ける。屋根はなく、代わりに木製の小屋組みの上に幌がかけてあった。擁壁の造りは城壁とよく似ている。

 僕は通話をオンにする。番号は先に社用スマホに割り当ててある。

「テス、テス、こちら見張り櫓、各員、聞こえますか」

〈ああ、聞こえる〉何人もの声が重なった。

〈聞こえるけど、こっちの声も届いてるのか〉

「聞こえてますよ」

〈札の番号を呼ぶから呼ばれたら返事をしろ。答えないやつは不具合か怠け者だ〉

 ラトナの点呼が始まった。答えないのは1人だけだった。

〈どうした18番。早速居眠りか。それとも報告する間もないままモディに食われたか。生きているなら今すぐ魔石を耳に当てて答えろ18番!〉

〈は、はい〉

〈聞いていなかったのか?〉

〈18番、配置についています〉

〈なぜすぐ返事をしなかった〉

〈髪を結ぶために外してました。流石にまだ何もないだろうと思って〉

〈そんな指示を出したか〉

〈……いいえ〉

〈他に誰かそんな指示を聞いた者はいるか? ――いないようだな。わかった。そんなに戦闘が恋しいならシャフリスの遊撃隊に加えてやる。次の出発は土曜の朝8時だ。必ず来い。わかったな18番〉

〈は、はい……〉

 鬼だ。あの角は鬼の角だったか……。


 無音。

 家々の屋根の上を風が渡る。ぽつぽつと残った灯火の揺らぎで風の波紋が見える。

 天蓋越しに空を見る。そういえばなぜ空の守りがないのだろう。街が城壁で囲まれているのは地上のモディに対応するためじゃないんだろうか。空を飛ぶモディがいる。ドラゴンもいる。そういう環境で空がガラ空きなのは不可解だ。それこそ竜騎士がいるから壁などいらないということなのか……。

 何かが屋根の上を走る。ネコかと思ったけど違った。ラトナだ。屋根伝いに通りを飛び越し、整備用のジャッキステーを伝って櫓の外壁を上ってきた。彼女の回りだけ重力が小さいんじゃないかな。

「そんなにビビらないでよ」ラトナは魔水晶を手で覆って声を塞いだ。「さっきのは見せしめ。この街の住民は誰もテツヤほど勤勉じゃないんだから」

 たぶん僕が今ビビっていたのはそこじゃない。

「もう4時間回った。ぶっ通しだけど問題ない?」

「勝手に切れたりはしてませんね」

 傭兵たちの私語が聞こえてくる。

〈さすがに眠いか〉

〈イッパツ抜いてきたんだ〉

〈ものの半時で? どの店だ〉

〈俺のさ〉

〈え? ……っておいおい、何が店だ〉

〈騎士のあの腰の締まり具合、目に焼き付けてな、思い返しただけでもう一杯行けそうじゃないか。いっぺん鷲掴みにして跨ってみてぇよ〉

 腰というのはたぶんラトナの腰のことだ。なにせツーピースだからな。

「おまえたち、性的嗜好の陳述がずいぶん好きなようだな」

〈いけねっ〉

「おい、外すんじゃない。外せばどうなるか、最初に言ったとおりだ」

〈なっ〉

「とりあえず酒を抜け。魔石越しでもプンプン匂ってきてかなわない。城壁一周、今すぐかかれ」

〈へへっ、でもよ、声だけじゃこっちが誰かはわからないんじゃないかい?〉

「そうだな、今の引き笑いがなかったら確信が持てなかったよ、21番」

〈チクショ……〉

「18番は休んでいい。私が持ち場を代わる」

 本当にかっこいい人だな。

 いささか顔を見るのが怖かったけど、その実、ラトナは至って平静だった。

 これも見せしめ……ではないだろうな。2度目だし、自分の陰口だ。

「またあとで話そう」ラトナは僕の肩を叩いて再び擁壁を乗り越えた。

 叩いた力がちょっと強くて、もう少し強ければ八つ当たりだなという具合だった。

 ちゃんと抑えてるんだろうな。

 赤い影は屋根の上をぴょんぴょん跳ねて夜闇に紛れて見えなくなった。


 僕はモバイルバッテリーを2台のスマホに繋いだ。時計は1時53分。残量は社用が15%、私物が20%。もともとの容量はおそらく社用の方が多いのだけど、よく使うから消耗が速くなっている。始業時点で満タンではなかったし、この調子なら終わりまで持ってくれるか。

 やはり通話を繋ぎっぱなしだと減りが速い。メモリを使う作業こそしていないが電波は出しっぱなしだしスピーカーも常に動いている。

 懸念の1つがそこだった。一晩中スマホの電池が持つのか? もちろんやろうと思えば節約はできる。使う時だけ繋げばいい。ただ一度切ると子機――魔水晶の方からは能動的に通話できない。いざという時の連絡手段として失格だ。

 懸念といえばもう1つ。魔水晶を通話に巻き込んだ状態でキャッチが入ったらどうなるのか、という問題だ。電話番号を別にしているから正確にはキャッチとは言わないのかもしれないけど、ともかくこれはクリアできた。

「これから少しの間通信が悪くなるかもしれません。確認のため改めて点呼お願いします」キャッチが入ったところで僕は言った。

 通話の切り替えは問題ない。向こうとは問題なく繋がった。内容的にも大したものじゃない。チャットの送受信ができないと思ったらVPNを繋いでいないだけだったという……。特に夜中はこの手の見落としが多い。

 慎重に電話を切ってもとの回線に戻る。

〈止まったな〉ラトナの声だ。

「はい?」

〈何か音楽が流れていたね。広場で祭でもやってるような響きだった〉

 あ、保留音か。

「ああ、たぶんここから流れていた音ですね」

〈不気味だ不気味だってみんなして話していたけど〉

「点呼はできましたか」

〈それはまあ。音楽が気になるくらいで〉

 僕はスマホの設定から音を切れないか確かめてみた。でも曲の選択肢がいくつかあるだけで無音という選択肢はなかった。音は我慢してもらうしかない。

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