第17話 連絡・相談〜カチューシャ
その夜、僕は千手院部長に電話をかけた。
〈はい千手院です〉
「師走です。お疲れ様です」
〈はいお疲れ様〉
「仕事の中身の話ではないんですが、時間いいですか」
〈いいよ、大丈夫。居眠りしそうなくらいだったから〉プラスアルファのひと言がある時は本当に余裕のある時だ。〈ああ、昼に言ってた件かな〉
「そう、その件で」
〈進捗?〉
「やはり電話番号が入用です」
〈それならこっちから話をしよう。社販できないかという話だったけど、オーケーが出た。原価で構わない〉
「マジですか」
〈マジです。経費で落とす、というところまでは行かなかったけどね〉
「あー、狙ってたんですけどね」ジョークだ。
〈師走くんにはあくまで営業の仕事してもらわないと。で、ここからは真面目な話。お客さんにはサービス導入前後の業務環境の変化をヒアリングしてるでしょ〉
「はい」
〈顧客としての師走くんにもそれをお願いしたいのよ。要するにどういう事情で使いたいのか説明してってこと。それが社販の条件〉
さて、どう繕うか。
僕はまずそう考えたが、この状況を隠し通すわけにはいかない。むしろいい機会をもらったと思うべきだ。自分でタイミングを探るより楽だろ。
「実は、今、異世界に来てまして」
〈うん〉
思ったよりも反応が薄い?
「それでですね……」話、続けて大丈夫ですか?
〈異世界?〉
「はい」
〈異世界って、あのラノベとかの〉
「それに近いですね」
〈剣と魔法の〉
「そうです」
〈いわゆるナーロッパ〉
千手院部長も管理職である以前に営業職だ。客先と話を合わせるためにこの手のトレンドワードは網羅している。
〈ええと、安全確保は大丈夫? 身の危険は〉
「大丈夫です。衣食住は確保できました」
〈それならとりあえずは安心だけど〉
「ええ」
〈自由に現実世界と行き来できるタイプの転移じゃないってことだね。いつから転移してたの?〉
「日曜の朝ですね」
〈あ……、あー〉何かを察したようだ。〈ずいぶん隠してたね〉
「ケータイつながるんでリモートで仕事できちゃうんですよ」
〈え、そっちコンセントあるの?〉
「ないですないです。ソーラー充電器頼みでどうにか繋いでます」
〈あー〉
「日が落ちるとスマホもパソコンも2時間が限界です。夜間は仕事効率落ちます。あと有線とWi-Fiないんでテザリングのパケットがえらいことになるとは思うんですが」
〈容量上げるように総務に言っておくよ〉
業務を続けさせる気しかないのはよくわかった。
〈いや、こちらも気づかなくて、申し訳ない〉
も、申し訳ない?
いや、違う。部下の不便に気づけなかった時の定型文か。
〈そうだ、その事情が――事情と言うにはあまりに重大すぎる話かもしれないけど――追加の番号とどう絡むのか聞かなきゃならないんだったね〉
「ご覧のとおり通信機器は引き続き使えてるわけですね」
〈はい〉
「こっちは中世ですから――いや、近世くらいかな――ともかく無線通信なんかは全然発達していません。少なくとも普及は全然していない。コミュニケーションスピードと利便性の向上に潜在的な需要があるわけです」
〈確かに手つかずのマーケットだね〉
「当然、携帯電話を複製する技術はこの世界にはありません。というか僕にもノウハウがないですし。ただ、いわゆる魔石の中に電波に反応するものがあって、純粋な電話機としてなら代用できることがわかったんです」
〈回線はあくまでうちが提供するものを使ってもらうと〉
「電波がそっちの基地局を経由しているみたいなんです」
〈察するに物体のやり取りはできないようだけど〉
「そう。電磁波だけなんですよね」
〈スマホさえあれば電子マネーくらいは使えるのにね。何も師走くんが顧客にならなくても、サービスを使ってもらえるなら直接取引ができるのに〉
「こっちの通貨を電子マネーに替える方法がないですね」
〈……そりゃそうか〉
〈プランはどうする?〉
「まずミニマムで。1回使ってもらってから見極めます」
〈そしたらキリのいいところまで上げるとして、ID分の500円にサーバー使用の固定800円が月額だね。明日までにアカウント発行してメールを入れておくよ〉
「お願いします」
〈話を戻すけど〉
「はい」
〈いくら通信が確保されてるからって不便なものは不便だよね。電気だって十分じゃないし〉
「セールスとプライマリなサポートはいいとして、訪問メンテナンスができないんですよ。物理的に、どうしても」
〈そうだね、そうなるね。それは肩代わりするしかない。いいよ、あと時間のかかりそうなデータ処理系の仕事ももう少しこっちで引き取るようにするから〉
「お願いします」
〈転移のことはこっちの人間には他に話したの?〉
「いえ、部長が最初です」
〈オーケー。電話越しで相談できることなら、仕事のことじゃなくてもいいからね〉
「あ、ありがとうございます」
千手院部長が仕事至上人間なのは疑いようがない。ただそれが押し付けがましくないのは同じくらい気遣いの行き届いた人間だからだ。そうじゃなかったら同僚の多くがとっくに会社を見限っているだろう。
ミニマムプランはユーザーアカウントを5つ登録できる。電話番号は1アカウント1つだから使い回せる番号も5つ。
何より1つは機密保持用に使う。使う、というか使わない。現状、番号を付与する方法はあっても削除する方法がわからない。社用スマホに同期した魔水晶は仕事の情報が漏れるリスク要因になっている。できれば回収して別の番号を付与しておきたい。その番号を不使用で置いておけば実質的に番号を削除したのと同じことだ。
残る番号は4つ。夜警で使うとして、全体で声を共有できればいいわけだから所要1番号。
一度傭兵に渡した魔水晶がきちんと返ってくると断言はできない。夜警のための番号は固定しておいた方がいいだろう。あと3つは使い道が選べる。
用を足しに部屋を出た時、階段の下に明かりが見えた。シスターだ。
彼女はランタンを高く掲げて僕がどんな顔をしているのか確かめた。そもそも僕が部屋から出てくるタイミングを窺っていたんだろうか。偶然にしては出来過ぎだ。
僕は意識的に足を止めた。部屋に戻ったらやろうと思っていたタスクを頭から追い出した。真摯で誠実な対応だ。
「つけてみてください」
シスターが手渡したのはまさにカチューシャだった。なんなら括りつけられた魔水晶がジュエルに見えた。
「竹ですか」
「ええ」
「こんなに曲がったものがあるんですね」
「いえ、炙ると軟らかくなるので、曲げたんです。水晶の周りには綿を当てて振動が逃げるようにしています」シスターは説明しながら自分もカチューシャをつけた。半日で2つも作ったのだ。
「端を細くしてバネを調節しました」
着け心地は問題ない。魔水晶の重さの分、相応に頑丈な作りになっている。僕は試しに電話をつないでみた。
「聞こえます?」
「ええ、不思議。この距離だと声が二重に聞こえて」
「完璧です」
「明日1日あれば夜までにはもう10個作れると思います」
「……全員分、夜警に間に合わせようということですか?」
「もちろん、そのつもりです」
「僕とラトナで試せれば十分だと思っていたんですが」
「じゃ少し気が楽ですね。揃ってたらラッキーだったと思ってください」
「お任せします」僕はどうも気圧された具合になった。
もしかするとシスターは僕と張り合っているのだろうか。そんな気がしないではなかった。
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