第12話 袋説と筒説〜電話番号

 時計を見ると8時を少し回ったところだった。厨房ではまだ朝食の片付けと昼の仕込みをしていたけど食堂は無人だった。庇にとまったハトの影が窓に落ちていた。

 シスターは僕のためにパンと薄切りのソーセージをとっておいてくれた。

 彼女は僕の後ろの椅子を引いてテーブルに帽子と白頭巾を置いた。前髪は垂れてきたが後ろ髪は結ってまとめてある。ここからは一旦オフの時間だという合図に見えた。

「1つお願いしても?」とシスター。

「はい」

「私もゲートの中を見てみたいんです」

「構いませんが」

「じゃあしっかり掴んでいてくださいね」

 シスターはそう言って僕の右手を本気で掴んだ。

 全力だ。何なら僕はもう少しで「痛い」と口に出すところだった。

 掴む相手が椅子やテーブルでなかったのは、それだと椅子やテーブルごとゲートに呑み込まれてしまう可能性を排除できないからだ。あくまで発動者である僕を掴んでおくことに意味があった。

 そこにはロマンスなんか微塵もなかった。

 何なら握り方も指を1本1本がっちり組み合わせたいわゆる恋人つなぎになっていたけど、繰り返そう、彼女にとってはロマンスでも何でもなかったのだ。

 ゲートに頭を突っ込むと彼女の紅色の髪がちょっと妙な感じで浮かび上がった。静電気……とはどうも違う。重力の方向が曖昧になっているような垂れ方だった。そう、「垂れる」という表現がしっくりくる。

「真っ暗ではないんですね」とシスター。

「光が見えるでしょう」

「ええ、正面、すごく遠くに思えますけど」

「それが向こう側の出口だと思います」

 シスターはそーっと頭を抜いた。

「そもそも、出口はあるんでしょうか」

「え?」

「いえ、確かにこちら側には出口があります。でも、向こう側は? 収納のスキルは見えない袋によくたとえられます。ですから、あくまでなんとなくですけど、なかなか両端の口が開いた筒状のものだとはイメージできなくて。実際、より小規模な収納スキルでは中に手を入れて内壁にぺたぺたと触ることもできるんです。テツヤさんのスキルもそれをそのまま大きくしたものだとしたら」

「筒状でないとしたら、時間のマナが向こうの世界から流れ込んでいるのはどう説明したら……」

「試してみませんか。家畜を囲うのに使うすごく長いロープがあるんです」

 僕は一旦ゲートを閉じた。シスターも手を放して髪を整えた。そこでやっと自分の手のこわばりに気づいたようだった。

「すみません、時間ありませんよね」

「まだ大丈夫ですよ。電話も鳴ってないですし」


 僕らは納屋に移動した。屋根から程よく日差しの入る明るい納屋だった。天窓がついているんじゃなくて、葺き板のひび割れがひどいってこと。

 ロープは台車付きの大きなリールに巻かれていた。シスターは建材のレンガを一端にくくりつけて僕のゲートに投げ込んだ。

 かすかにテンションがかかる。引っ張られている。底や壁に擦っている感じはない。たぶん浮いている。というか実際覗き込んでみると浮いていた。背景の光に向かってロープが伸びているのだ。やはりゲートの中は重力のベクトルが違うらしい。

 シスターがリールを回してロープを繰り出していく。僕はほぼゲートを開いているだけだ。一応ロープに手を添えて何か手応えがないか構えておく。

「時間のマナの件ですが」僕は改めて訊いた。

「マナは物体を透過するんです。基地のシャント室がいい例で、外からマナが入らないように壁と扉にまじないがかけてあります」

「あ、それは聞きました」

「逆に言えば、まじないがないと外からマナが入ってきてしまうということでしょう」

「そうか、ゲートが袋状だとすると、袋の底が僕の世界に通じている、というか接していて、マナだけがそこを通り抜けてくる、と」

「はい」

 そうか、僕自身が自分のゲートでこちらに転移したのでないとすると物体は通さないのだとしても辻褄は合う。

 考えを巡らせている間にロープが弛んだ。明らかに何かに当たった感触だ。硬くはない。どちらかといえば弾力がある。覗き込みながらテンションをかける。ロープは確かに光の方に向かってピンと伸びていた。当たった感触があるということは、重力の中心が内側にあってそこにレンガが留まっている、という見方は否定できる。シスターの説が正解だったようだ。

「参りました」

「恐れ入ります」


 僕は伸び切ったロープとゲートの交点に木炭で印をつけてから逆に手繰った。僕の意思に連動して力場が変化しているのか、レンガがついているわりに重さを感じない。

「伸ばしてみましょう」

 僕はリールの台車を引いて納屋を出た。直線距離が取れそうなのは裏山の方向だ。ほぼ墓地と放牧地の境界に沿って進むことになった。だんだん傾斜がついて台車が重くなってくる。

 シスターが手を上げた。ロープが伸び切った合図だ。

 僕は木炭の印のところまで台車を戻し、車止めに石を挟んでリールを巻いた。リールは外に置いたままでも構わないという。目印にしておけば遠くから見た時に長さの参考になる。100mはかたい。200mあるだろうか。

 シスターがロープの端を持って上がってくる。牧草地ではニワトリ(?)が群れで雑穀の落ち穂を探していた。草の匂い、蒸しっぽい匂いだ。野山を駆け回っていた子供の頃を思い出す。昨夜の雨で草が濡れたせいか靴とズボンに水滴がついていた。撥水が効いていてよかった。僕は木の枝を拾ってシスターのために手近な草の露を払っておいた。

「これだけ長さがあればリヴァイアサンくらい入ってしまいそうですね」

「リヴァイアサン?」

「はい。前に一度海で見ました」

 マーメイドを見たというあれか。この世界の海は魔境なのか?


「電波というのはマナのようなものなのですか?」シスターが訊いた。

「あまり似ているとは言えないでしょうね。向こうの世界の人間には生身で電波を受け取ってエネルギーにできる機能はないですから。それに、電波そのものはこっちの世界にもたぶんあります。より大きな括りに電磁波というのがあって、たとえば太陽光もその一種です」

 太陽に手をかざす。いい天気、いい陽気だった。

「電磁波の波長にはとてもいろいろな種類があって、人間の目に映るのはその一部です。それを我々の方で光と定義しているわけです。それ以外の波長のものは熱に近かったり振動に近かったりします」

「光は物の形や色を伝えます。他の波長にもそういった情報を媒介するキャパシティがあって、テツヤさんの世界のテレパス魔法器ではそれをやり取りしたり解読したりできるのですね」

 完璧な解釈だった。

「逆になんで今の説明でそこまでわかるんです?」

「難解な懺悔をたくさん聞いてきたからでしょうか」

 わかりやすい説明だ、という褒めなのだろう。

「ゲートの奥に光が見えたということは、電波もまた光が透けるようにしてこちらの世界に注いできているということでしょうか」

 シスターは手で太陽を隠した。手のひらが赤く透けた。

 そのとおりだ。透過、あるいは伝播だろう。

 露払いの枝を柵に括りつけてもう1つの目印にしておく。これで誰かがリールを動かしても大丈夫だ。


 僕たちは牧草地を下りながら話を続けた。

「電波とゲートの関係に気づいたのは……」とシスター。

「着信と通話の時に魔水晶が震えたんです。それで電波に反応していると」

「電波をマナとして受け取っている……。1つ確認ですけど、電波は通話の時だけ流れ込むものなのですか?」

「いえ。居場所を知らせるための電波は常に出しているはずです」

「魔水晶持ってます?」

 僕はあの震えた魔晶石をポケットに入れていた。

「近づけても震えません」

「確かに、震えたのは電話が来た時だけでした」

「強い電波、あるいは特定の電波だけに反応しているとは考えられませんか」

 僕は試しにブルートゥースのペアリング検索をかけて反応を見た。リンクが確立していない検索の間こそ最も強い電波を出しているはずだ。が、魔水晶はぴくりともしなかった。

「いま強い電波をぶつけてみたんですが」

「震えてます?」

「反応、ないですね」

「ただのつぶてのようですね」

 僕たちはほとんど額を突き合わせてスマホの画面を覗き込んでいた。


「テツヤさんの世界ではこういうものをたくさんの人々が持っているのですか?」

「そうです」

「電話が来るとそれが一斉に着信するのですか?」

「いえ、1台1台に番号が振られていて、それを狙ってピンポイントで着信が来るんです」

「番号ですか……」シスターは魔水晶を凝視した。「魔水晶にも番号が振られているのではないですか?」

「そういう魔法が?」

「魔法ではないと思いますが……」

 ……ん?

 僕は魔水晶をシスターの手に預けて私物のスマホを取り出した。右手に社用スマホ、左手に私物のスマホ。

 まずは左から右へ発信、着信。魔水晶も震える。続いて右から左へ発信、着信。魔水晶に反応はない。シスターも首を横に振る。僕たちは顔を見合わせた。

「こっちのスマホとこっちのスマホには別の番号が振られています。こっちのスマホにかかってきた時にだけ魔水晶が震えました」

「発信側の番号によるということはないのでしょうか」

「最初に震えた時は別の番号からの着信だったのでそれはないと思います。……つまり、この魔水晶には着信側の番号が振られている」

「スマホには魔水晶に番号を与える機能があるのでしょうか」

「そんな話は聞いたことがありません。問題はそこですね。どのようなプロセスで番号が付与されたのか」

「私も考えてみます」

 シスターは話を切り上げた。さすがに時間の限界だと思ったのだろう。彼女だって仕事中なのだ。

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