第11話 帰還試行〜ポーション
朝食をもらって、仕事を始める前に仮眠をとった。2時間弱眠っていただろうか。それこそ気絶するような寝入りだったけど、時間感覚というか、無意識に寝返りをうつ感覚、眠りが浅くなった時のまどろみのようなものがきちんと記憶に刻まれていた。昨夜、魔法を使ったあとの時間が飛んだ感じとは明らかに違っていた。
アラームか。
いや、バイブレーションの刻みが違う。
スマホを取る。電話だった。
その時奇妙なことに気づいた。何か別の物音がすると思って見回すとテーブルの上に置いた魔水晶がバイブレーションよろしく震えていたのだ。
僕はとりあえず電話に出た。例によってサポートからの引き継ぎで、大した内容ではなかった。
応対の間、僕は魔水晶に釘付けだった。電話に出ると連続的な振動は消えたが、今度は僕と相手の声に合わせて震えているようだった。まるで振動板から切り離されたスピーカーの磁石みたいだ。
……というかこれは操作が効かないだけで動作としては電話と同じなのでは?
魔水晶はマナに反応するのだとラトナは言っていた。魔水晶が電話に連動して震えているということは、電波をマナとして受け取っているということになるのでは?
電波はマナ?
その時僕の中であらゆることが1つに結びついた。
なぜ現世からの電話が通じるのか。なぜ僕のスキルがアイテムボックスなのか。
僕は部屋を飛び出してキャットウォークの欄干に飛びついた。シスターマリアンナはちょうど身廊を箒で掃いていた。
「シスター」僕は思わず声をかけた。
「はい」シスターはちょっとびっくりして手を止めた。
「僕のスキルはアイテムボックスです」
「はい」
「アイテムボックスの次元は僕の世界に通じていたんです」
「はあ」
「だからもとの世界からの電波が届くんです。時間のマナもゲートを通ってくる。ゲートを通れば帰れるかもしれない」
「自分で開いたゲートを、自分で?」
「信用してませんね。まあ見てください。……ちょっと待ってて」
僕は荷物をまとめて階段を下りた。
「向こうでスキルが使えなくなったら今生の別れです。ランタンは返しておかなければ」
「ええ」
「シスター、お世話になりました」僕はリュックサックを背負った。
「私も。短い間でしたが楽しかったです」
「では、ゲート」
僕は目の前にゲートを開いて頭を突っ込んだ。そこはまだ現世ではなかった。天地のない空間で、光源のよくわからない放射状の光に満ちていた。ずっと遠くに光の収束点があるように見える。それが現世側のゲートか。他に考えようがない。
僕は思い切って輪くぐりの要領で飛び込んだ。
すると亜空間の景色がパッと消え、礼拝堂の中の景色に戻っていた。僕の体は重力に引かれて礼拝堂の床に叩きつけられた。打ちつけた肘がじーんと痛んでくる。
僕はしばらく痛みをこらえたあと顔を上げた。
シスターが心配そうに覗き込んでいた。
「ああ、シスター。また会えましたね」
「ええ、嬉しいです」
「どうなりました?」僕は床に座り直した。
「半分くらいでしょうか。あるところで脚の方が消えて頭の方が出てきましたね」
「ゲートが反転したということですか」
「そう。いえ、向きはそのままで、この世界と亜空間の位置関係がひっくり返ったというか。つまり、スキル使用者の座標がゲートの基準になっているのではないでしょうか。もしテツヤさんが自分のゲートで世界を渡ってきたのだとしたら、向こうの世界ですでにスキルが使えていたことになります」
「使えることに長らく気づいていなかっただけとか、何らかの原因でこっちのマナが流れ込んだとか……」
「否定はできないですけど」
「実証の要ありですね」
僕はもっと勢いをつけて飛び込むことにした。ゲートをできるだけ離れたところに展開して助走をつけて飛び込んだ。幸い身廊のストレートは徒競走ができるくらい長かったし、ゲートも僕の体勢に合わせて大きさを変えてくれた。
でも結局のところ何度やっても僕は飛び込んだ勢いのままゲートの反対側から飛び出してくるだけだった。結果は出なかった。強いて言えば受け身が上手くなったくらいのものだ。
僕は酸欠に全身打ち身といったありさまで床にへたりこんだ。とてもみじめな気分だった。
「そんな、可哀想なものを見る目で見るのはやめてください」
「ごめんなさい。あまりに必死だから」
「僕自身がだめでもシスターならゲートをくぐれるかもしれませんね」
「成功したとしても、結局テツヤさんが帰れません」
「ゲートが通じていることだけは確かめられる」
「戻ってこられなくなったら困ります。ディストピアに興味がないわけではないですけど」
「確かに、僕も困ります」
僕の事情を把握しているのはシスターだけだし、身の回りのこともしてもらって助かっている。
「こちらの世界は合いませんか?」シスターは訊いた。
「いいえ、素晴らしい世界に来たと思いましたよ」
「じゃあ、むこうに大切な人が?」
「……いえ」
「地位や名誉を残してきたとか」シスターにしては珍しい追及だった。
「ないですね。家族も疎遠な両親と兄弟がいるだけ。友達も大学卒業以来ほとんど連絡をとってないな。男ばかりの職場じゃ出会いもない、というか男同士でも仕事の話に忙殺されていて……。家に帰ったって楽しみなんてないですよ。いや、改まって言葉にすると恥ずかしい人間だな、僕は。だから社畜をやって――24時間仕事のことを考えていられるんです。社畜というのはね、プライベートの全てを犠牲にして仕事に人生を捧げるつまらない人間のことですよ」
「あなたはただあなたに関わる人々を救いたいのですね」
「そんな高尚なものじゃない。迷惑をかけたくないだけです。自分の願望、好みだけでやめられる人間なら社畜なんてやってません」
「いいえ、あなたの犠牲の心は神の愛にも類する尊いものです。私はあなたの努力を知っています。どうか自信を持ってください」シスターは跪き、床にハンカチを敷いて小瓶を立てた。半透明の青ガラスで、吹きが甘いらしく内側が波打っていた。いわゆるポーションだ。本物だ。
「これは?」
「疲れを取る薬です」
「そんなものがあったんですか?」
「売り物、製法の確立したものではないですよ。昨日話を聞いてから試しに作ってみたんです」
「お手製、一晩で?」
「はい」シスターはなぜか少し恥ずかしそうに目を逸らして髪を耳にかけた。「自分では試せないので危ないところはあるかもしれません。なので飲むならここで飲んでください」
「ありがとう。飲みます」
僕は起き上がってコルク質の栓を抜いた。匂いは確認しなかった。舌触りはウコ○の力に近いややドロっとした感じ。苦いのを覚悟していたけど砂糖が入っているみたいな甘さだった。
「おいしい……」
「気分はどうですか」
「いや、そんな一瞬で効果が出るもので……」
言われてみると体のダルさが消えているような感じがした。瞼が軽い。東から差す光が暖色を帯びつつあった。朝だ。起きて何かしたい。そんな感じがした。
「……効いてると思います。一晩ぐっすり眠ったような気分です」
「よかった」シスターはハンカチを畳んで、それを挟むようにして口の前で両手の指を合わせた。嬉しそうだ。
「頭が冴えてきました。そうだ、僕は決してどうしても帰らなければならないというわけではないのです」
「ええ、たしかそういう話でした」
「仕事は続けられるわけですし、こっちで環境を整えるにはどうすべきかを考える方が建設的ですね」
シスターは頷いた。
上から呼びかけた時の反応が薄かったのが不可解だったけど、そうか、疲れと寝不足のせいでラリっていると思われていたのか。
……というかたぶん実際そのとおりだった。肉体的な疲れはともかく、コウモリのモディと対面した精神的ダメージを考慮できていなかった。
そう、恐かったんだろうな。
だから「帰らなければ」なんて口走ってしまった。
僕はゆっくりと息を吐いた。
「寝起きの衝動で考えなしなことをやってしまって、すみません。――しかし、僕自身のゲートでないとすると、別の誰かのゲートということになるのでしょうか」
「世界と世界を結びつけるスキルというのは聞いたことがありません。でも聖職者に対する質問としては愚問です」シスターは僕の口の前に指を立てた。
「というと」
「誰の作為でもないということは、つまり神の思し召しです」
「な、なるほど」
神の作為。異世界ものとしてはありがちなシナリオだっただけに、ギャグなのかどうか反応に困る僕だった。
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