第10話 魔晶石〜報酬
ラトナはコウモリの首を踏んできちんと死んでいるのを確かめ、剣を納めた。
他の傭兵たちも城壁の上を歩いて集まってくる。
「おいおい、いま別の方角から襲われたらどうするつもりなのよ」
ラトナは頭上を旋回している龍騎士に合図して「城壁の周りを旋回して警戒して!」と叫んだ。
聞き取れなかったのか、片方が高度を下げて城壁に沿って飛んだ。
ラトナはその1騎に合わせて走りながらもう一度指示を出した。
「城壁の外側を旋回して警戒。次の鐘まででいい」
騎兵は高度を上げた。一度着地すれば話しやすいのだろうけど、今は無防備になるべきではないと判断したのだ。
ラトナはその足で隣の持ち場の傭兵を捕まえた。持ち場に戻るよう伝言を託したようだ。
僕はラトナが戻ってくるまでコウモリが崩した壁をぼーっと見ていた。
「モディは初めて?」ラトナが訊いた。やや息が切れていた。
「ええ、これだけ近くで見るのは」
「見てな」
ラトナは剣先をコウモリの血に触れさせた。思いのほか大きな波紋が立った。
波紋は立ち上がったまま固まり、徐々に丸みが削げて角が立ってきた。
「結晶化している?」
「モディの血はマナに触れると凝固するんだよ。ほら、魔晶石になってきた」
ラトナは魔晶石を拾い上げて2つ僕の手の中に落とした。赤黒く、手のひらに収まる大きさで、複雑な多面体だが全体としては紡錘形だった。宝石と言っても通りそうだ。まだ温かい。
「あなたの取り分。1日もすれば色が抜けて透明になるわ。その状態だと魔水晶と呼ばれることの方が多いわね」
「魔水晶……」
ラトナが頷く。
「あ、今朝鑑定に使ったのって」
「そう。岩石由来の水晶じゃなくて、魔水晶」
「ギルドで買い取ってもらえるんですか?」
「それもいいけど、給金は別にちゃんと出るし、武器や魔法の強化に使った方がいいんじゃない? マナに反応するから、触媒にして魔法の通りをよくできるのよ」
「弓矢にも使える?」
「使える。――っていうか、さっき、矢を射る時は風の魔法を乗せなさいよね。普通に射っても飛距離が伸びないでしょ」
「それで眠気が来て昏倒したら万事休すでは?」
「そんなにひどい眠気なの?」
「そりゃもう」
「じゃ万事キュースか。っていうかそれでよく傭兵やろうと思ったね」
「でも夜の仕事って他にないでしょ?」
「いや、ないってことはないけど……」
雷。雨粒が落ちてくる。
「さて、お試ししましょうか」
「お試し?」
「あなたの収納スキルがどこまでやれるのか」ラトナは顎でコウモリを指した。
僕はラトナの意図を把握した。ゲートを開き、コウモリの鼻先に近づけた。するとゲートの開口部がぐっと広がった。まるで飲み込む対象を認識しているかのようだ。優秀なAIだな。そのまま押し当てると城壁の床を避けるように下部が歪み、そのままコウモリの足先までするっと入ってしまった。僕は勢い余って城壁の欄干に飛びつく形になった。振り返ると大矢もなくなっていた
「驚いた」とラトナ。「まさかまさか。全部行くとは」
「僕も予想外ですが」
「モンスターの解体と運搬って、すごく大変なのよ。それをこんな簡単に……」ラトナは拍手しながら笑った。大笑いだった。「重さは感じる?」
「いいえ」
「わかったわかった。ほんとにすごいやつだこれ。そういうことなら当直明けまであと一刻しまっておいてよ。――しかしこれじゃ見た感じモディが落ちてきたって誰も信じないかもしれないな」
「戻します?」
「そのままでいいよ」
「そういえば」
「何?」
「おととい森にもコウモリが出ましたけど、あれにとどめを刺したのもラトナさんでしたね」
「見てたの?」
「ちょうど森にいたので」
ラトナは否定しなかった。やっぱり。剣にかけるバフ魔法が同じものだったし、太刀筋も似ている気がした。
「龍を踏み台にして空中で一刀両断なんてすごいなあ。憧れますよ」
「新人に褒められたって嬉しくないわ」ラトナは背を向けた。
意外と照れ屋だな。
ヨイショはヨイショだけど本音でもあった。あの龍の戦列から抜け出してトドメを務めるのだから騎士団の中でも実力者なのだ。できる上司というのは部下にとっても気分のいいものだ。
雨がしっかりしてきた。僕は折り畳み傘を広げた。雨はコウモリの余った血を洗い流し、辺りを泥の匂いに満たした。ラトナはゲートからこぼれた魔晶石を拾い集めて基地に持っていった。
それから定時まで異変はなかった。コウモリの襲撃は単発的なものだったようだ。
4時台はさすがに眠かった。眠眠○破かモン○ナがあれば余裕なんだけどな。擁壁に寄りかかっておかないと横になってしまいそうだった。
礼拝堂の鐘が鳴り、守衛がやってきて大通りの門を開く。2,3待っていた行商の馬車が平原に出ていく。雨は上がり、風にも草木の吐息のような匂いが混じってきた。どこからか放たれたハト(?)の群れが街の上を周り、雲間の光と影の間を縫うように飛んでいた。
僕は干しておいた傘を畳んで基地に戻った。道は泥で汚れていた。基地の前庭に入ってわかったけど、舗装されていない地面は雨が降るとドロドロになってしまうのだ。
「おーい」ラトナが呼んだ。前庭のど真ん中だ。周りに非番の騎士たちが集まっていた。「さあ、出してみな」
僕は手品師のようにお辞儀して、前置き代わりにズボンのポケットを裏返してみせた。何も出てこない。尻ポケットからスペアのボタン。これも違う。さすがに次やったら飽きられそうだ。
「ゲート」僕は唱えた。
手を突っ込むと爪のような硬い感触があった。磁力で浮かんでいるみたいに軽い力で動かせる。ゲートが広がるとあとはツルンと出てきた。僕は押し出されるようにあとずさった。
「おお!」と歓声。「ほんとに出てきた」
改めて明るい場所で見ると気色の悪いものだ。毛はゴワゴワしているし、肌がむき出しの鼻は無駄にブツブツしているし、翼膜もテラテラしてソフビみたいだ。
「君、名前は」誰かが訊いた。僕に対してか? 「最近移ってきたのかい?」「いや、旅の人だろう?」
「まあまあ、そのあたりはのちのち追って」ラトナが僕の肩を押しながら周りの言葉を遮った。「解体は日勤者に任せよう」
僕は基地の建物に入って預かっていた17番のタグを受付に返した。
「名前は」と受付さん。
「シワス・テツヤ」
受付嬢はリストの上に指を滑らせた。
「弓矢は貸し出しですね」
僕は弓と矢筒を下ろした。
「3本使いました」
「鏑矢と普通の矢が2本」
「ええ」
「金貨1枚と銀貨4枚から銅貨4枚引いて、金貨1、銀貨3、銅貨6枚です」
僕はコインを受け取って小銭入れに入れた。
礼拝堂に戻るとシスター・マリアンナが内陣の前で待っていた。東のファサードから入った青白い朝日がスポットライトのようにまっすぐ当たっていた。神々しい光景だけど本人にはわからないだろう。
「お疲れ様でした」
「ええ。夜なべだけなら慣れているんですが、コウモリが出ました。仕留めましたけど、さすがに堪えます」僕は最前列の長椅子にドサッと腰を下ろした。そうしてみてからひどく重たい疲労を感じた。
「今日も?」
「も?」
「いえ、モディはそう毎日見かけるものではないのです。夜警というのは、普通、獣の撃退や犯罪の取締りを行うもので」
「僕もそう思ってました。――ああ、そうだ」僕は財布を開いた。「シスター、ランタンの分を返します」
僕がコインを並べている間にシスターは横に来て座った。
「これ、今しがたもらった分全部じゃありませんか?」
「そうですが」
「装備を整えるにもいくらか残しておいた方がいいはずです。弓と矢は借りられますけど、それだけじゃ足りないものもあるのでは?」
「確かに、籠手と胴当てくらいは。でも、絶対というものでもないですし」
「今日は銀貨3枚にしておきましょう。毎回3枚でも14回で返せます」
「ひと月と少しですね。利息は」
「つけません。あと、金貨は店によっては量られます。量られたら銀貨10枚以上の価値になることはありません。崩して持っておいた方がいいでしょう」シスターは銀貨を座面に並べた。
「銀貨が量られることは」
「まずありません。保証します」
「そういうことなら」
僕は銀貨7枚を自分の方に引き寄せた。シスターも銀貨3枚と金貨を取った。
「お湯を沸かしておいたので使ってください。それから、ゆっくり休んで」
僕は土間を借りて桶いっぱいのお湯にとりあえず頭をつけた。頭皮を洗いたかった。それからその湯で服を洗い、別にとっておいたお湯で清拭と服の濯ぎをやった。2度目にしてすでにお湯を上手く使えるようになってきたようだ。
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