第9話 夜警〜雷鳴

 異世界2日目、日のある間にパソコンを使う方がよほど効率がいいとわかった。明るくて手元が見やすいし、充電しながら使えるので電池の持ちも2倍以上だった。

 夕食から集合時刻の間に仮眠をとって再び基地に向かった。ランタンを提げていく。

 市で手に入れた必需品というのがこのランタンだ。屋内用のランプより小さく、油がこぼれないように下部が半密閉型のタンクになっていて、フックでベルトに吊るすことができた。灯りがないと照度は道と建物の境目がわからないくらいだ。確かに必需品だ。値段は金貨4枚と銀貨2枚で、夜警の稼ぎ3日分相当だそうだ。シスターへの借りになった。むろん財布には日本円が入っていたけどこの世界では使い物にならない。試しに500円玉を質に入れてみたけど銅貨2枚にしかならなかった。しかも半分は「珍しいものだからおまけ」ということで、実質1枚。銅貨1枚ではパン半斤が関の山だ。


 基地の前庭には10人ほど集まった。鐘より早く来ていたのは僕だけだった。普通は鐘が鳴らないと時刻がわからないのだから、考えてみれば当然か。

 誰が騎士で誰が傭兵なのかは格好ではわからない。みんな軽装だ。ラトナも来た。というかラトナが指揮官だった。彼女が持ち場を指示して勤務証明用の番号タグを配り、各々城壁に向かって散っていった。

「テツヤ、弓と矢。矢は使ったらその分天引きね」

 弓は弓道弓に比べるとかなり短い。代わりに弦の張りが強かった。矢は羽以外全体が金属製だ。先端が笛状に加工された矢が1本。

「それが鏑矢かぶらや。何か見つけたら打ち上げて周りに知らせて」

「はい」

「わかってると思うけど、城壁に上ったらランタンは使わない方がいいよ。空の明かりに目を慣らすんだ。ランタンを点けていると自分が相手を見つけるより先に相手に見つかるのが確実だからね」

「照らされるものより照らすものの方が必ず明るい」

「そのとおり」


 僕は南側の区間を任された。といってもラトナと半々で分担するような形だ。彼女が見回りのために離れる時以外は月明りで互いの姿が見える距離だった。

 城内の街並みがよく見えた。区画は不規則だけど建物の造りには統一感がある。白い石壁にオレンジのスレート(?)葺き。何より屋根の高さが揃っている。城壁の上から一望できるのはそのせいだ。飛び出しているのは聖堂の尖塔と騎士団の物見櫓、その間にある小高い丘くらいだった。あんな立地に何も建っていないなんだか不思議だ。昔は王か豪族の城でもあったのだろうか。教会勢力が社会を牛耳っているのだとしたらあながち的はずれな見立てでもなさそうだ。

 城外は緩衝地帯の外側に一面の耕地が広がり、地溝が走る向きに沿って幾筋も川が流れていた。水面や断崖の輪郭は月明かりのおかげで光って見えた。こうして見ると最初にいた森はかなりの高さだ。目が慣れてきてその一角をなす木々の葉も風に揺れているのが見えるようだった。


 僕はヘッドセットをつけてスマホとリンクした。

 何本かサポートの自動音声から取り次ぎの電話がかかってきた。口頭のアドバイスで解決できる軽い障害ばかりだった。要はシステムの操作方法がわかってないのだ。インターフェースにはまだまだ改善の余地がありそうだ。システム部への連絡リストに乗せておこう。ファイルは社内サーバーに保存しているからスマホからでも打ち込める。電話がつながるということは携帯電話回線のパケットに乗れるということだから、当然インターネットから社内ネットワークにもアクセスできた。顧客とのリモートミーティングも問題ない。

「テレパス魔法? 珍しいわね」

 3本目の電話が終わった時にラトナが言った。見られていたことに全然気づかなかった。

「魔法じゃないですよ。この機械の機能で」

「なるほど、テレパス魔法器だ。そんなものがあるんだ。初めて聞いた。君の国は進んでるんだね。仕事の話?」

「まあ」

「なるほど、傭兵業は路銀稼ぎか。ついでに行商でもやった方が儲かりそうなのに」

「かもしれませんがね」

 他人に売れるほど現世のものを持ってきていない。この地で何が珍しく何がそうでないかを把握しているわけでもない。

「本業ってどんな仕事なの?」ラトナはシスターに比べるとかなり自分の興味に素直な感じだ。あるいは眠気覚ましに話をしたいのか。

「事務効率化サービスの営業兼サポートですね」

「ん、ん? 今なにかすごい文字列が流れてきたが」

 現世ではこれでだいたい通じるんだけどな。

「最も根底にあるのはチャットです」

「チャット」

 ラトナはベルトをウエストできゅっと絞って剣を背中側に回し、足を前後に開いて腰を落とした。空手の型っぽい。こちらの体術だ。というかやっぱり眠かったのか。

「紙もペンもなしに手紙が書けて、それが一瞬で相手に届いて、返事もすぐに届いたら便利じゃないですか」

「その距離なら話をすればいいのでは?」

「遠く離れた相手に、です」

「ああ、テレパス魔法だ」

「文字なら言われたことを覚えておかなくてもいいし、忙しい時は読まなくてもいい。話したい時は話もできる」

「なるほど」

「手紙のついでに仕事の書類とか帳簿も送れて、自分と相手以外にも共有できたら?」

「便利だろうね。でもそのためにこんな夜中まで仕事の相手してなきゃならないなら私はヤだな。誰かが便利になって、その分余ってしまった不便を誰かが背負って、余計不便になっているだけなんて。それは全部が便利になったっていうより、便利と不便のバランスが偏っただけで」

「どうでしょう。僕にとっては当然の業務なので不便って感じはしませんが」

「それが君の生業っていうか生き甲斐なら、べつに、否定するつもりはないけどさ……」


 いい天気だったが、真夜中過ぎから雲が増え始め、時折月が遮られるようになり、さらに2時間ほど経って雷が鳴り出した。暗いし、雨が降りそうだし、何より不穏な予兆みたいじゃないか。

 まさか直撃ってことはないだろうけど……。心配になって空を見上げていた時だった。

 雲の切れ間に翼のシルエットが見えた。

 ドラゴンか。

 最初はそう思った。でも違った。2度目はもっとはっきり見えた。ドラゴンにしてはあまりに首が短いし、尻尾もなかった。

 コウモリだ。

 まるでそう気づいた僕の気配に気づいたみたいにコウモリはほとんど真上から急降下してきた。

 僕はすぐに鏑矢をつがえた。引き絞って打ち上げた。

 が、運の悪いことにちょうど雷が光った。空全体が発光するような近さだった。当然ほぼタイムラグなしに雷鳴が轟き、ゴロゴロと余韻でもって鏑矢の音を完全にかき消した。

 ラトナは?

 だめだ、いない。ちょうど見回りか。

 僕はコウモリの腹側に向かって城壁の上を走った。こうなったら直接他の傭兵に伝えるほかない。

 足の下を衝撃が走り、半分振り返っただけでコウモリが城壁を崩しながら着地するのが見えた。思ったよりずっと大きい。

 行く手と背後から鏑矢の音が聞こえた。周りも異変に気づいた。

 コウモリはその音に気を取られて追い足を緩めた。

 しめた。僕は向き直って弓を構えた。全力で引き、相手の目の間、陣中を狙って一射。

 コウモリはキツネのような顔を少しだけ傾けて額で矢を弾いた。 

 いやいやいやいや……。

 皮膚が厚い? いや毛が密でそもそも皮膚に届いていないのか。

 コウモリは激昂したように四つん這いで迫ってくる。僕は半身になって退きながら次の矢をつがえた。相手の間合いに入る前に放てるかわからなかった。恐怖はなかった。一度死んだからか。いや、死ぬより前からだ。傘を開いて飛ぶ時だってそうだった。致命的な状況になってもまだ僕は死を感じていなかった。


 目の前にラトナが滑り込んできた。城壁に飛び上がってきた? どこから?

 ラトナは剣を構えていた。

「退け、走れ」

 身を呈して部下を守る(物理)。上司の鑑だ。

 ラトナは飛び上がった勢いのまま弧を描いて走り、コウモリに向かっていく。

 その剣が青白く発光した。

 コウモリは危険を察したのかバッと翼を広げて飛び立とうとする。

 ラトナの剣筋が一瞬躊躇う。

 僕はつがえていた矢をコウモリの翼に放った。

 コウモリが痛みに呻く。ラトナにはその一瞬で十分だった。

 剣はコウモリの顎の下から入り、右肩に抜けた。黒い血が噴き出し、飛膜を張った右腕がだらんと垂れ下がる。

「浅い!」ラトナが叫んだ。

 するといつの間にか上空で旋回待機していた2騎の龍騎兵が矢を射下ろした。矢はコウモリの首と胸を正確に射抜き、そのまま城壁の上に突き刺さって標的をはりつけにした。というか矢の大きさが僕のものとはまるで違っていた。大矢というやつだ。人力で弓が引けるとは思えない。

 ……あるいは、そうか、引く時に身体強化的な魔法を使っているんだ。

 隆々たるコウモリの肉体がぐったりと弛緩していくのを見て僕もまた自分の体の力が抜けていくのを感じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る