第4話 城市〜宿坊

 馬車はまたがたがたと進んだ。時速にして20km程度だろうか。自転車の方がまだ飛ばせそうなスピードだ。崖の上から見えた街の姿も、今は丘の間に教会の尖塔の先っちょが見え隠れするだけだった。

 

「もし車の上でもできることがあるのでしたら、どうぞ。私にはお構いなく」とシスター。

 す、すごく気を遣ってくれてる。

 気が急いているのがわかるのだろうか。そわそわしていたか。いずれにしても何も訊かない上にこの配慮……!

「恐れ入ります」

「神の御心です」

 僕はとりあえずソーラー発電機を取り出して足元に広げた。上に幌がかかっているので座席から上には日光が当たらない。バンダナくらいの大きさで表面に黒くてキラキラした発電素子が並んでいる。晴れていればコンセント電源に遜色ない時間でスマホの電池を満タンにしてくれる優れモノだ。

 とはいえ仕事の方はメールチェックに留めた。日曜日だから動いている顧客も少ない。ここで手元に没頭してしまうよりも周りの景色に気を配っておく方が後々有益なんじゃないかという気がした。


 途中、墜落した巨大コウモリが見えるところを通った。休耕地の畦に引っかかるような格好で、イメージより薄っぺらく見えた。衝撃で潰れたのだろうか。それでも大きさはやはり相当なもので、動物は動物でも浜に打ち上げられたクジラを思わせる様子だった。

 龍騎士たちが周囲で解体を進めていた。彼らはシスターの馬車に気づくと整列して敬礼した。いや、正確に言うならそれはシスターに対するものではなく死者に対する敬礼なのだろう。シスターはあくまで代理だ。

 シスターも胸に手を当てて答礼した。双方所作が大仰なのは距離があるからだ。100mくらい離れていただろうか。

 僕は自分が騎士たちに取り囲まれて異世界人として吊るし上げられるのをちょっと心配したけど、完全な杞憂だった。自意識過剰だ。実際には誰も気にしていない、というか、まるで僕なんか存在しないみたいな無関心ぶりだった。

 

 コウモリの墜落現場を過ぎたところで僕は少しうとうとし始めた。馬車の揺れが心地よかったらしい。

「横になってもいいですよ」

「いえ、大丈夫です」たぶんそう答えた。ほぼ寝言だった。

 気づくと城壁が見えることろまで来ていた。

 高さ10mはありそうな立派な石積みの城壁で、手前に堀があり、石橋を渡ったところで地面が石畳に替わった。ギロチンのような落とし扉を吊った城門をくぐる。3階建ての整った街並みが目に入ってきた。どの家も壁は白く、屋根は黒い。礼拝堂は大通りの先、街の中心にあった。街も礼拝堂も想像より大きい。礼拝堂というより聖堂だ。鐘楼が2本あり、片方が建設中だった。平野で見えていたのは竣工済みの片割れか。


 シスターは礼拝堂の北側(太陽の運行から判断)に馬車を停め、降りたところで改めてワンピースの裾を広げて挨拶した。

「マリアンナ・カイユです。どうぞよろしく」

「師走と申します。師走徹也。徹也が名前です」僕は反射的に名刺を取り出していた。気づいた時にはすでにシスターが名刺を受け取っていた。

「僕の国では仕事の挨拶で渡すもので、つい癖で」

「ギルドの登録証みたいなものですね」

「まあ」

「この一番大きいのが名前ですの?」

「そうです」

「それにしても白い紙」

 やはりこちらの文字は読めないようだ。シスターはもうしばらく神妙な目で名刺を眺めてから胸のポケットに仕舞った。白い襟の下に隠しスリットが入っているのだ。


 それからシスターはエミューの鞍を外して納屋まで連れていき、水瓶からバケツに汲んだ水を与えた。

 鐘楼の鐘が鳴った。いささか耳がやられる音量だ。12回。そういえばまだこの世界の時計を見たことがなかったが、現世と同じ刻みなら正午だ。確かに太陽が高い。

 宿坊の案内はその後だった。礼拝堂の西側にある木造2階建てのいわば長屋で、基本的には職員用の寮だが、一部の空き部屋を開放しているようだ。B&Bの安宿と考えれば十分な設えだった。

 が、いかんせん日当たりが悪い。唯一空いているのは北角の厠と挟まれた部屋で、向かいの林を抜けてきたか弱い西日が小さな窓から一瞬差し込むかどうか……。端的に言ってカビ臭かった。空室になるべくして空室なのだ。


 そして2人とも黙ってから耳を澄ますと天井を突き抜けて喘ぎ声のようなものが聞こえてきた。というか女の喘ぎ声そのものだった。

「お、お盛んですね」

「こんな時間から……」

 夜の営みは夜に営むものという常識はこの世界でも通用するらしい。カビ臭さがそういう匂いにも思えてきた。

「一応訊いておきますけど、『せいなるきょうかい』の『せいなる』というのは神聖の意味の方でいいんですよね?」

「ええ、一応」シスターは苦笑いした。

 僕はその苦笑いにこそなんだかアダルトでアンニュイなエロティシズムを感じないわけにはいかなかった。

 ん……?

 個室? 僕が個室を頼んだのってもしかしてそういう意味に受け取られたのか?

 もしかして礼拝堂が風俗を兼ねている世界観なのか?

 だとしてもなぜ娼館ではなく礼拝堂に招かれた?

 猛烈に弁明かつ説明をお願いしたい気分だったけどいまさらそれも野暮じゃないか。

 というか、もし上の階で行われていることが規定のご奉仕なら、夜になってから僕がシスターを呼ぶのもありということなのだろうか。

 いやいやいや。


 スー、ハー。

 深呼吸。カビ臭い。

「できれば日中光が入るといいんですが。わがままを言ってすみません」僕は気を取り直して訊いた。

「いいえ、こちらこそ。もう少しいい部屋が空いていると思っていたんです。うーん、では、どうでしょう、本来寝起きに使う部屋ではないんですが……」

 シスターはそう言いながら礼拝堂に入って側廊の急な階段を上り、内陣の真上にある屋根裏部屋の戸を開いた。

 天井が低く、埃っぽく、オルガンや長椅子などが積み上げられていたが、確かに日当たりだけはよかった。半円形になった西側の壁に端から端まで小窓が並んでいるおかげだ。

「いいですね」

 それはまったくもって客室としての評価ではなかったけれど、とにかくいいものはいい。

「マットレスを用意しないといけませんね。あと、明け方にとても冷え込むのですが」

「覚悟しておきます」

「4時の鐘が夕食ですので呼びに来ます」

「夕食? それまでにできる仕事はありませんか。お世話になりっぱなしでは……」

 すでにかなり時間が押しているのはわかっていたが、シスターや礼拝堂と今日限りの付き合いとは行かないかもしれない。取引先(?)の好意には好意で応えるのが筋だ。

「そういうことでしたら」とシスターは北側の窓に顔を寄せた。

 停めた馬車の周りで他のシスターたちが白い服を着て遺体を下ろしていた。

「遺体の取り扱いは聖職ですが、墓穴はその限りではありません。汚れるので服はこちらで用意します」

 さて。

 僕は1人になったところでとりあえず南側の窓を押し開けて充電器を広げた。パソコンとモバイルバッテリーにコードつなぎ、充電中のランプが灯るのを確かめてから部屋を出た。

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