第5話 墓穴〜手当て

 白い服というのはいわゆるズック布で、ダボダボの上下を腰紐で絞るようになっていた。女性用は上が膝丈のチュニックだ。僕は礼拝堂の物陰で着替え、鉄製のスコップとピッケルを担いで北側に出た。

 礼拝堂の北側はなだらかな丘で、一角を切り開いて墓地にしてあった。墓石はなく、木製の卒塔婆――と言っていいのだろうか、上向きの矢印型に板を組み合わせた指標――が整然と立てられていた。それがこの世界における十字架だろうか。シスターの角帽や礼拝堂のファサードにも同じようなマークがついていた。

 なぜピッケル? と思ったけど、人を埋められるくらい深い穴を掘るのは実際簡単なことではなかった。表層の土が軟らかくても、50cmくらい下がると必ず硬い層にぶち当たった。それは石でこそなかったが、粘土が押し固まったような感じで、いきなりスコップを立てるのは無理だった。その層を割るのが男手の仕事というわけだ。

 6つの墓穴を10人くらいで掘るのだが、いずれも聖職者らしくはなく、檀家というのだろうか、近所の奥さん連中らしいのが半分強。あとは巡礼者らしい。男は僕を入れても3人だけだった。

 掘り込んだ墓穴の中は電話を受けるには都合がよかった。しゃがめば周りから見られないし、ある程度声も遮ってくれた。どれもシステム部や同僚からの連絡で、至急の要件は1つもなかった。もし現世にいたら比較的のどかな1日だったと思っているだろう。


 鐘が鳴ると各々5分程度休憩をとった。井戸でスズ製のタンブラーに水を汲み、一杯目は全部飲んで2杯目で顔を洗った。土埃と汗でドロドロだった。礼拝堂の井戸水は崖下の水飲み場ほど冷えていなかったし、飲んだあと口の中が微妙にしゃりしゃりした。水にも違いがあるんだな。そんなことを意識したのは生まれて初めてかもしれない。あるいは記憶が辿れなくなっているだけか……。

「旦那さん来てないわね。仕事が見つかったってこと?」

「いやいや、探してないようなもんよ。相変わらず家ン中で転がってるわ。半日でも働けば1週間は楽に暮らせるってのにね」

 奥さん連中のダベりが聞こえてきた。聞こえて、というか聞かせているような声量だな。ガハハ。

 そうか、半日か……。

  

 無心に掘っているとなんとなく自分の墓を掘っているような気分になってきた。僕は死んで、死後の世界で自分を供養しているんじゃなかろうか。供養が終わるまではこの異世界を謳歌できる。仕事を放り出したままだと未練が残るから、きれいに片付けるまでは電話がつながる。

 いわば煉獄。

 供養が終わったあとはどこへ飛ばされるのだろう?

 影になった真っ黒い穴の底がなんとなく不気味に見えた。


 2時間ほどして龍騎士たちが手伝いに来た。手伝い、というか、仕上げだけでも自分たちでやろうという気持ちのようだ。彼らは甲冑を脱ぎ、揃って赤い服を着ていた。なんとなくハイソな感じがするのは染色がいいからか。彼らは汚れるのを気に留めることなく穴の中に入り、底を均し、隅に溜まった土を掻き出した。

 そのまま葬式に進んだ。シスターは祈りを唱え、騎士たちは棺桶にロープをかけて墓穴に下ろした。

 土をかけている間に4時の鐘が鳴った。時計を見ると3時58分だった。正午はぴったりだったから、太陽の南中を基準にゼンマイを巻き直すかして時間を測っているのだろう。そもそも1日の長さが違うのだとしたら正午の時点でズレていたはずで、この世界でも1日が24時間なのはもうほぼ間違いない。


 夕食は大麦のパンとブラウンシチューだった。何か決定的にダシの足りない味だったけど、とにかく栄養は十分だった。礼拝堂と長屋の間に食堂があって、みんなで集まってお祈りをしてから食べるのだ。30人くらいのシスターが在籍しているのがわかった。

 食後、湯を沸かしてもらったので桶に汲んで部屋に持って上がり、タオルを濡らして全身を拭った。清拭せいしきというやつだ。かなりさっぱりしたけど、完全には汚れが落ちていない感じがした。頭がかゆい。お湯は屋根に流していいということだったので窓から捨てた。

 かなり暗くなった。

 歯磨きをしている間にシスターが入ってきた。ランプを2つ提げていた。正直、帽子を外しているせいで一瞬誰かわからなかった。綺麗な赤髪だった。ピンクと言ってもいいくらいだ。腰くらいまでの長さがあった。帽子をしていると生え際までしっかり隠れてしまうので色も長さもわからないのだ。

「マットレスを持ってきたいのですが、手伝ってもらえますか。すみません、遅くなってしまって」

「ああ、手伝います」僕は口を濯いだ。

 シスターはパジャマだった。薄いワンピースで光の加減によって体のラインが透けて見えた。思っていた3倍くらい胸が大きくてびっくりした。現世じゃ一生かかってもお目にかかれないクラスだ。というか実際お目にかかれなかったわけで……。

 ありがたや。ありがたや。

 僕はシスターの背中に手を合わせた。

 後ろを歩くとお香の匂いがした。教会と聞けば色香とは無縁の世界をイメージするけど、昼間の声といい、何なのだろう、この色気は。

 僕は頭を振った。

 この記憶はきちんと引き出しにしまっておこう。今エロ面に堕ちたらこのあと仕事をやる体力が残らない。


 マットレスはさほど重いものではなかった。それでもシスターが僕に手伝わせたのは道理だった。ランプがないと階段が見えないし、ランプとマットレスを一緒に抱えると引火しかねない。シスターが言った「遅くなってしまって」というのは純粋に明るいうちに済ませておきたかったという意味だろう。

「このランプだとどのくらいの時間持ちますか」

「そうですね、火の大きさを絞って半時はんときくらいでしょうか」

「半時」

「ただ、油も貴重なので節約してもらえると嬉しいです」

「なるほど」

 というか徹夜しようとしているのはお見通しか。


 我々は長椅子の上の埃を払ってマットレスを敷いた。シスターは伸ばしたシーツの上に腰を下ろした。

「今日はありがとうございました」とシスター。

「いえ、礼を言うのは僕の方です」

「手を見せてもらえますか」

「手?」

「マメができていたでしょ? さっき見えました」

 その通りだ。慣れないスコップとピッケルで手のひらがずる剥けになっていた。清拭の時も染みた。

 シスターは僕を横に座らせて手を太ももの上に置いた。手の甲に感じるシスターの太ももは柔らかくて温かかった。というか熱いくらいだった。

 シスターは手を翳した。火を起こした時と同じ構えだった。僕はとっさに手を引いた。

 シスターはビクッとした。

「荒療治は困ります」

「痛くはありませんよ」

「本当でしょうね」

「本当です」

 僕は改めて手を預けた。

「天なる神、光の精、水の精、傷つく者の手に癒しを与え給え」

 火の魔法のように目に見える現象は何も起こらなかった。ただ手のひらが次第に冷たくなり、ひりひりした痛みが引いていくのを感じた。剥けた皮の下の肌の赤みがなくなり、触っても刺激を感じない。単に冷やすのとは明らかに違う。

 それからシスターは手の下にボウルを当て、蒸留水だろうか、ガラスの容器に入った水をかけ、拭わずに真っ白い包帯を巻いた。


「こんなにしてもらったら穴掘りの分がチャラになってしまいますね」

「仕事に対する労いです。当然の手当てですよ」

 手当てというのは、つまり、手当だ。給料とは別勘定だ。サラリーマンの感覚ではそういうことになる。給与明細も長らく見ていない。残業手当くらいはついていると思うけど……。

「なんだか過剰に良くしてもらっているような気がするのですが」

「教会は神の恵みと施しの代行者です。そのために対価を得る権利があるとすれば、それは教会ではなく主、神そのものでしょう。巡礼のために私財と生活をなげうつなら、それはむしろ主が先にお代をもらっているということになるのではないですか?」

「僕は巡礼者ではないですが」

「あら、異世界からの旅は巡礼ではないと?」

 そうか、さっき僕が思った供養と同じような意味でシスターは巡礼という言葉を使っているのだろう。納得が行ったし、「巡礼」の方が肯定的というか、建設的な表現だ。その後に終わり・・・が控えているというイメージがない。

 僕はその意見を好意的に受け取っておくことにした。

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