第6話 魔法〜気絶

 ランプにはスライド式のチョーク(空気の流量を調節する弁)がついていて、空気をシャットアウトすることで炎を消す仕組みになっていた。

「こういうのやってみたかったんだよなぁ」僕の独り言だ。

 炎は少しずつ小さくなって消えた。真っ暗だ。窓の外の方が月明りで明るく思えるくらいだった。

 月はどうやら現世のものより小さく、形も上下にやや扁平な楕円形だった。星の並びも現世とはまるで違う。天球の運動から僕が北半球にいるのは確からしかったが、見覚えのある星、星座は1つもない。天頂のあたりに赤い星がほぼ正三角形をなすように並んでいて、この世界の北極星と言えそうだった。


 パソコンのバックライトだけで手元を照らすのは十分だった。僕は水曜日のミーティングに備えて墓掘りの間に考えておいたレイアウトをパワーポイントに落とし込んだ。頭が砂のようだった。疲れのせいか思考が上手く回らない。

 シスター・マリアンナ、レッ○ブルか眠○打破があるといいんですが……。

 それから溜まっていたメールを処理したところで電池が限界を迎えた。2時間は持ったか。最長10時間稼働などと言っても画像処理でCPUをぶん回していればそんなものだ。

 プレゼンの原稿はアナログで作ることにした。

 で、パソコンを閉じた。

 真っ暗だ。

 火をつけなければ。

 ランプに点火用のプラグは……ない。当然だ。

 マッチは……渡されなかった。

 ライター? 僕は非喫煙者だ。

 とすれば……

 僕はランプの風防を外して手を翳した。

「天なる神、火の精霊、我が掌上しょうじょうに小さき炎を授け給え」

 どのくらいの声量で言えばいいのか全然わからなかったし、文言も微妙に違う気がしたけど、とにかく唱えた。

 すると弱いフランベのような炎が立ち上がった。池のほとりでシスターが見せてくれたのと同じものだ。明るい。パソコンのキーボードがくっきり見えた。十分な明るさだ。

 

 すごい。僕にも魔法が使える。これが魔法を使う感覚……といっても手の上にロウソクが浮いているのとほとんど同じような熱感があるだけだが。

 そういえば、MP的な概念があるのだろうか。ステータスが見れるわけでもないし、特に体力が減っていく感じもない。シスターも油を無駄遣いしないでくれと言っていたし、光量も十分。片手で扱えるなら作業にも支障ない。

 一度手を握って炎を止めた。やはり影響は感じられない。眠いのはもともとだ。改めて唱え、左手の炎だけ残してランプで紙を押さえた。完璧だ。僕はその体勢で2時間くらい推敲を進めた。


 気づくと午前4時を回っていた。空が白んでいた。僕はスマホで原稿を写真にしたあと左手の炎を消した。

 仮眠を取ろう。1時間くらいでまともに活動できるようになるはずだ。ベッドはある。そう思って立ち上がろうとした時、僕は机に頭を打ちつけていた。動けなかった。

 闇、沈黙。


 寝落ち、というよりもはや気絶だった。

 僕は気絶したんだ。

 そう気づいた時には僕はすでに体を起こしていた。

 体が動く?

 一体何が起きた?

 一瞬だけ全く体のコントロールが利かなかった……。

 肩にかかっていた毛布がずり落ちる。自分で羽織った覚えはない。シスターがかけてくれたのか。いつの間に?

 空が青くなっていた。時計を見ると6時を回っていた。

 僕は唖然とした。

 2時間?

 2時間経っている?

 いや、そんな感覚は全くなかった。たとえ眠っていても時間が経ったかどうかくらいはわかるはずだ。それが、ない。今の今まで原稿を書いていたじゃないか。

 僕はコップに取っておいた水を飲んで食堂に下りた。まだ支度中だ。スープのいい匂いがした。

 待っててと言われたので窓辺の席に座った。縦に細長い窓から白い光が差し込んで部屋の中の埃がちろちろと光っていた。スズメのような鳥の声が窓の前を駆け抜けた。窓にその影が走った。

 眠いな。壮絶に眠い。

 気絶していただけで疲れは取れていないということか。


 食堂の人に聞いたのかシスターがやってきた。夜と同じ格好だ。光のせいで肌も髪も5割増しで綺麗に見えた。昨晩耐性をつけておかなければ危ないところだった。

 何が危ないのかわからないが神よりシスターを拝みたい気分だった。というか拝んでいた。

「お国の挨拶ですか?」

「いや、これは挨拶というか、ありがたいものに出会った時の作法、でしょうか」

「ありがたいもの……」

「シスターの帽子は髪を隠さなければならないのですね」

「ええ、剃髪する代わりなのです」

「もったいない。綺麗な髪だから」

「そうですか?」

「ええ」

 シスターは後ろ髪を肩の前に持ってきてマフラーみたいに口に当てた。意外とウブな反応だ。ギャップのあるその仕草がまた何というかごちそうさまだった。


「毛布、ありがとうございます」

「え?」

「あれシスターでしょ」

「ああ、はい。死んでるのかと思うくらい。休めていないんじゃないですか?」シスターは隣の椅子に座って体をこちらに向けた。

「眠気覚ましの魔法でもあるといいんだけど」

「治癒魔法はむしろ眠くなりますよ。体の回復力を高めるということはそれだけ体力も使いますからね」

 僕はそこで魔法のせいで気絶したんじゃないかと思い至った。

「シスターのMPはどれくらいなんです」

「MP?」

 なるほど、MPの概念はこの世界には存在しないようだ。

「魔法を使ったあと体がだるくなったりしますか」

「いいえ。でも、もしかしてテツヤさんはそれで……」

「僕も今そう思いました」

「なんでベッドを使ってくれなかったんだろうって」

「そう、そのつもりだったんです。つもりはあった」

「なんだ、それならよかった」

「ええ」

「……あ、いや、よくはないわ。ちゃんと休んでくださいね」


 僕は改めて考えた。気絶していたからといって疲れが取れたわけじゃない。つまり魔力は体力とトレードされているわけじゃない。だとしたら何だ?

 ……時間か。

 火を使っていた時間は2時間だ。その後気絶していた時間も2時間だ。綺麗につながる。1対1のレートだ。

「だとすると夜は灯りが取れないな……」

「何も夜でなくても、昼やったらいかがですか」

「いや、そんなタダ飯同然のことは道理が通らない」

「まあまあ」

「いやいやいや」

「あっ」

「なんです?」

「いやなんでも……」シスターはなにか気づいたことを隠そうとした。

「言ってください――って、そうか、こっちの仕事を夜やればいいんだ。そういう仕事だってあるでしょ?」

「ないことはないですけど」

 シスターはもにょもにょした。押しに弱いタイプなのはわかってきた。

「施しをお与えになるなら、寝食も仕事も同じでしょう? 教えてください」

 

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