第14話 パーティ勧誘

 僕は内陣の上の部屋に戻ってパソコンとスマホの充電状態を確かめ、手帳を開いて1日のスケジュールを立てた。プレゼンミーティングが翌日に迫っている。資料の送付は今日がリミットだ。11時までに仕上げよう。

 そのあと、今朝届いた急ぎの確認案件の処理が終わっているか問い合わせて回答作成。30分で終わらせたい。ついでにシステム部から上がっている機能改善報告をまとめて顧客に流す。

 午後は1時間のセールスミーティングが2件入っているから、そのあと20分ずつ使って個別資料と報告をまとめる。明日のプレゼンのための予習はその後なら時間が取れるはずだ。

 窓を開けてソーラー充電器を直射日光に当て効率を最大に。午前中は千手院部長とシステム部から何度か問い合わせがあった程度でほぼ予定通りに仕事が進んだ。というか予定より早いくらいの進捗だった。

「業務とは関係ないんですが」僕は部長に切り出した。喋りのスピードからしてまだ気持ちに余裕がありそうだ。

〈というと?〉

「ウチって社販ってあるんでしょうか」

〈素朴な疑問だね〉

「自分でも今更だとは思います」

〈といっても社販に値するようなものは売ってないよね。BtoBのサービスだから〉

「端末1台で電話番号複数ってできませんかね。いや、まだ入用になるかもしれない、という程度の話なんですが」

「まあ、やるとなればかなり安くはなるだろうね。クラウドサーバーと帯域の相乗りの按分は原価の14〜5パーセントであとはほぼ人件費、身内ならサポートもクレームも無用なわけで。――ん、ただなんだかそれって詐欺グループの温床になりそうな……」

「身内ならリスク管理もしやすいはずです」

「そうだね。何に使うのかは知らないけど、本腰を入れたらもう一度話を聞こう」

 きちんと布石を打っておけばそれだけで契約後の環境整備がぐっと楽になる。魔水晶が電話番号に呼応している理屈はまだわからない――というかまだ考えていない――が、もし狙って番号を変えられるならともかく何かに使えるかもしれない。

 金になるのはWhyではなくHowとtoだとよく言う。要するに買う側からしてみれば理屈はわからなくても使えればいいわけだ。それが何らかの問題解決手段になれば業務上の価値が――つまり会社全体や取引先にとって意味が生じてくる。サービスの売り手である僕たちはそれを「安定運用」とか、もっとカジュアルに「つかんだ」状態と称している。一度つかんでしまえば通常の業務フローの中にサービスが入り込むのでそうそう解約はない。


 件の11時。礼拝堂の影が移動していた。僕は充電器を日向に置き直して一度部屋を出た。飲み物――そうか、この世界ではコーヒー1杯飲むのにもわざわざ火を起こさなければならないのだ。いや、というかコーヒーがない。存在しない。

 ある程度様子の似たものは翻訳というか翻案されて現世の日本語が通じるものも多いのだけど、その中にコーヒーはなかった。要するに嗜好飲料用の果実・果樹が普及していない、もしくは全く知られていないのだ。代わりに飲まれているのが同じような工程で小麦や大麦を焙煎して煮出した――つまり麦茶だった。

 最初は誤解していたけど、この世界で話されているのはあくまで日本語とは異なる言語であって、僕の耳に入ってから頭に届くまでの過程で上手く翻訳がかかっているようなのだ。喋っている相手の口元を見ていても全然違和感がないから、口と耳で日本語を置き換えているのではなくて、脳の方で補正をかけているのだろうな。


 食堂に入るとシスターマリアンナとラトナが談笑していた。ラトナは昨日の朝と同じ赤いパレオだ。

「裏山の印を見たよ。やっぱり思った以上だ。あれならリヴァイアサンだって解体しないで運べるよ」

 またリヴァイアサンか。それがダイオウイカ的なものなのかそれともクジラ的なものなのかさえ僕には想像がついていなかった。かといってクジラなのかイカなのかと聞き返すのもナンセンスな気がした。クジラとイカがこっちの世界でどういう概念に置き換わるのかも僕にはまだわからなかったからだ。

「何か飲みますか」シスターが訊いた。「麦茶か水、ミルクがあります」

「ミルク?」

 この世界にはなぜか哺乳類の家畜がいない。乳牛もいないはずだ。

「ロコックのミルクですよ、ロコックの」

 もちろん上手く訳せない概念も存在するわけで、そういった言葉については素の発音が突き抜けて僕の耳、頭に届いた。

「じゃあミルクを」僕は答えた。興味本位だった。

「温かいので?」

「ええ」

 初耳だったけどなんとなく理解できた。3年くらい前かな、動物園にシステムを導入する機会があって色々雑学を教えてもらったのだけど、鳥類のうち少なからぬ種類がピジョンミルクという一種の唾液で子育てをするそうだ。喉の奥から分泌するもので哺乳類の乳とは製法が全然違うけど、用法としてはほぼ同じだ。爬虫類や鳥類の家畜――もとい家禽は豊富だから、荷役馬に対する乳牛みたいなポジションの家禽がいるのだろう。それがロコックだ。

「この時間なら非番じゃ」僕はラトナに言った。

「休みじゃないのかって? こっちのセリフよ。あなたに話があって来たんだけど、忙しくしてるからってシスターに足止めされてたの」

「シスターに」

「そう。――まず、それとは別件だけど、今朝のコウモリの分け前ね」ラトナは革製の巾着をテーブルに置いた。重たい音がした。「あのあと解体で採れた魔水晶から献上分をサッ引いて、残りを出番じゃなかったメンツも含めた夜警の頭数で割ったものね。出番だけで分けると不公平だとかモディが出た方が得だとか言い出すやつがいるからさ」

 すでに無色透明になった魔水晶がテーブルに並んだ。

「大2つ、中5つ、小3つ。合わせてちょうど10個ね」

 シスターがタンブラーを持って戻ってきた。タンブラー全体が人肌並みに温かく、白い液体の表面に薄く湯葉が張っていた。飲むと牛乳よりドロっとした感じで、裏腹に乳臭さがなく、豆乳やアーモンドミルクに感じるような植物由来っぽさがあった。臭みが出ないように飼料に気を遣った結果なのだろうか。いろいろ言ったけど、つまるところ不味くはない。慣れれば普通に飲めるぞこれ。


「話というのは」

「パーティへの同行を頼みたくてね」

「パーティ」

 僕の脳裏にはなぜか銀紙の三角帽をかぶってクラッカーをぶっ放しているラトナが現れた。そうか、たぶん誕生日の方の話じゃない。

「城内の夜警ではなく、城外の、つまり積極的な戦闘任務ということですか」

「そう。このところ出没が増えているコウモリ型モディの温床の炙り出しをやる」

「なぜ僕に?」

「あえて言わせたいわけ? いいわ。もちろん、アイテムボックスの容量を買ってのことよ。戦闘に関する技能は要求しない」

 それはそれで悲しい言われようだが「事実ですね……。いつですか、というか日中ですか」

「朝から晩までだよ。5日がかり。行って帰ってが長いからね。週明けから。どうかな?」

 つまり出張。拘束120時間。今のところ重要案件は入っていないが、明日の商談次第とも言える。移動中に業務を消化できる環境があるかもわからない。正直言って断りたいが、ラトナはいい上司だ。僕に対する信頼もある。それを蔑ろにできるくらいなら社畜なんかやっていないのであ――「大丈夫です」

 口が先に動いていた。

「大丈夫、ね」ラトナは何か僕を待っていた。

「テツヤさんも旅に必要なものを揃えなければね」シスターが言った。

 ……?

「あのね……」ラトナはさっきとは別の巾着を開いてテーブルの上に銀貨を10枚積んだ。「じゃあ、前金ね。支度金。報酬は1日あたり金貨1枚と銀貨5枚。討伐分は歩合制で参加者で等分。こういうことは受ける方から訊くものだよ」

 そうか、いつも見積もりの話は顧客側から切り出すものだから、自分で言わなければという意識が全くなかった。


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