東京都豊島区の現状4

心握 堕人 という男のこれまでの人生を語るなら、それは常人にとっては最悪という言葉に尽きるだろう。最も彼自身は微塵もそうはおもってないだろう、何せ堕人はもうとっくに壊れているのだから。だからこそ命題と天賦という力が与えられたとも言える。あの日、彼に与えられた命題は『思考を犯そう』、そして天賦は『洗脳侵食』だった。堕人はこれを与えられた瞬間、正に天啓だと思ったし、自分の運命に深く感謝した。天賦と命題の性質上こんな仮定に今はないが、もし常人が彼の能力のような物騒な力を手にすればまずは恐れ慄くだろう。間違っても感謝するということはない。そこが正しく堕人がもっとも壊れている点だった。だが,もしその理由を語るならまず彼の過去を語らねばならないだろう。



堕人の生まれは埼玉県の片田舎だった。物心ついた頃から母はなく、父と二人暮らしをしていた。8歳の頃までは何一つ変わったことのない普通の家庭だったらように思う。全てが変わったのは8歳の頃、ちょうど春が過ぎて夏になりかけているそんな時期。


ガチャッ ガラガラガラガラ


影を開ける音の後、いきなり大きな音を上げてドアが開いた。堕人はその時点でいつもと違うと感じたが,この家の鍵は自分と父親しか勿体無いはずであった、なのだから帰ってきたのが父親だということを疑うことはなかった。


「父さん? どうしたの?」


堕人は少し不安げな声で呼びかける。


「堕人? どこにいるんだ? 少し出てきなさい。」


父親はいたっていつも通りの声音だった。その事に堕人はどうやら怒ってはなさそうだと安心して、父親の呼びかけに応じて玄関まで出ていった。すると、そこには父親と知らない二人の男がいた。一人は背が小さくて頭が禿げた男、もう一人は長身で整えられた顎髭が特徴的な男だった。


「父さん? その人たちだぁれ?」


幼い堕人は純粋に問うた。すると父親はいつもとは違う作ったような笑みを顔に貼り付けて言った。


「この人たちはね、堕人を堕人の仲間のところに連れて行ってくれる人だよ。ほら、いつも言ってるだろう? 堕人はいっぱい仲間を作って立派な人になりなさいって」


確かに、それは父親が堕人に毎日のように言ってくる言葉だった。だが疑問もある。


「でも、それは学校での話でしょう?」


堕人の疑問に父親はやはり作ったような笑みで答える。


「ううん、学校でもそうだけど。他のところでもそうだよ。あのね、堕人 この人達はね堕人が学校より友達を作れる場所に連れていってくれるんだよ。」


何をどう聴いてもおかしいが、この時の幼い堕人には父親の話は正しいように思えた。だから問うた。


「お父さんも一緒?」


その言葉は純粋ゆえに出た物だった。だが、この言葉に今までずっと作り笑顔をやめなかった父親の顔が一瞬崩れた。だが,すぐに持ち直して言う。


「お父さんはね、お仕事があるからいけそうにないの。でも大丈夫、堕人にお友達がいっぱいできるのを家でいっぱい応援してるから。」


ほとんどの子供が泣き出しそうな理屈をこねた父親だったが、幸か不幸か堕人は聞き分けのいい子供であった。


「うん、分かった。」


純真に父親を信じて頷いたその言葉が結局堕人の運命を歪めてしまった。後から聞いた話、その界隈ではよくある悲劇だった。ただ,隠れてギャンブルに依存して金に困った男が自分の子を人身売買組織に売っただけの話。本当にありがちな話だ。だが,堕人の場合売られたという事実よりも売られた先が問題だった。堕人が売られたのは人輪教じんりんきょうという宗教組織だった。堕人はそこでその宗教の教祖の補佐役になるべく徹底的に教育を施された。


そうして、人生が進む中更なる転機は堕人が18歳の頃だった。


「堕人さん、今日も皆と心を通わせて努力をしていますか?」


「はい、教祖様 私は今日も私の仲間を増やすべく日々精進しています。」


「・・・・・そうですか、それならよろしい。」


そんな、若干噛み合っていない会話を今日も繰り返す。この組織の教義は『神と絆を繋ぎ自分も神となるべし』というヤバい物なので堕人の発言はそれにあっていないが,宗教法人である以上教徒の拡大はしなくてはならない。補佐はそれを考えている、といつもそんな風に相手に勝手に考えられて見逃されるのだった。だが,実際は違う 堕人は今でもあの時父親が言った言葉が正しいと半ば狂信している。それは様々な環境がそろっておきたことだった、例えばこの組織は人身売買で人を買っているくせに変に教育に関しては倫理的だった宗教である以上洗脳教育はするにしても、決して非人道的な暴力などによる教育はしなかったのである。また,宗教法人という環境そのものもよくなかった。そもそも信徒を増やしてなんぼなのが宗教だ。だから余計に堕人にとって父の言葉を補強してしまう原因になった。そうして今では堕人の中で『仲間をたくさん作る』という事が半ば使命とかしていた。


そんなある日のことだった。堕人がいつものように教祖の補佐の任務を終えて自室に帰ろうとした時、教祖の部屋から会話が聞こえた。


「全く 馬鹿な奴らだよな。俺たちの言った事を鵜呑みにして金を差し出してくるんだから。」


その発言は教祖の声だった。堕人は一瞬硬直して耳を疑う。そんなはずないのである、あの素晴らしい教祖様がそんなことをいうはずないのだ。何かの間違いだと必死に心で否定する。だが,無情にも会話はさらに続く。


「しょうがないわよ。アイツら社会から見捨てられたアブレモノなんだもの。私たちのために働けてむしろ感謝してほしいくらいだもの。」


「アハハ そりゃそうだ。」


今度は教祖の妻の声も聞こえた。あんなに優しくしてくれてあんなに素晴らしく教えを解いていたのに、そんなはずない これは何かの間違いだ。


そんなはずない そんなはずない そんなはずない そんなはずない そんなはずない そんなはずない そんなはずない  


堕人は必死に否定する。だが,否定するたびに嫌な言葉が次から次へ聞こえてきて、堕人はとうとう狂ってしまう。そして狂った思考と狂った体はどうしようもなく正直だ。


「ああぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーー グサッ」


「お前,何・・・・・・グァ」

「あなた、聞いて・・・・・・・・グッ」


気づいたら二人を刺して血塗れの自分がいた。人身売買されたとはいえ育ての親とも言える人たちを殺したというのにその顔は笑っている。いっそ清々しいというような表情だ。


「教祖様たち安心してください。必ずや父さんの悲願は達成して見せます。」


そこにもう何一つとして事実はなかった。ただ残酷な洗脳と幼心が抱いた寂しさのうちの願望とが混ざり合って心握堕人は狂った。


その後堕人はすぐに警察に捕まり、終身刑となった。だが,知っての通り世界が変わり力を得た。そして刑務所の刑務官を洗脳することで外に出たのである、更に洗脳した囚人仲間も連れて。 そうしてまた使命を叶えるために行動を開始した。自分の使命が捕まる前よりずっと大きな物になっているとも気づかずに。堕人は気づかずにどんどんと狂っていく。彼のこれまでの人生と同じように。


こうして怪物は生まれた。







「るんるんるんるるん🎵🎶」


あの集会が解散した後、少し夕日が入ってきた裏路地に鼻歌が響く。その発信源は例の赤髪の男、赤坂だった。 集会が終わってどこかにいく様子だがその雰囲気は先程までとまるで違う。


「さぁて あのニィちゃんはどこまで踊ってくれるかな」


正しく狂笑と言える笑みを浮かべながら、今度は顔に見合ったとても不穏な独り言を言っている。 彼が何者かは知らない。だが、一つ言えることがあるとすればそれは類は友を呼ぶらしい、という事くらいだ。これが連鎖しないことを祈るばかりだ。不穏な影が夕陽の光を閉ざした気がした。やがて夜になる。

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