第14話:エスケープ
家を出るとき、メモをリビングに残しておいた。
色々と書く時間がなかったので、今まで学校を休んでしまったことに対しての謝罪と、悩みを聞いてもらいにちひろの家にいくこと。
そして、ちひろから教えてもらった、ちひろの家の住所と電話番号も記載した。
迷惑をかける可能性があるから書きたくなかったけど、そこはちひろがどうしても譲らなかった。
メモの宛名は…………書かなかった。
ちひろの家までは歩いて10分くらい。
先ほどまでの気恥ずかしさを察してか、ちひろが少し先を歩いてくれ、道中、それとなく私の歩くペースを確認してくれる。
そんなちひろの気持ちが嬉しくて、安心した気持ちでちひろの後についていった。
事前に教えてもらった時間ピッタリにちひろの家についたけど、私が想像していた家とは違い、私の目の前にあるのはすごく大きな門。
敷地は塀に囲われていて中を見えないことも、普通とは異なった印象を強めている。
門をくぐると庭園のような庭が広がり、それを抜けると、美術館と間違えるようなコンクリート造りの家が鎮座している。
玄関もとにかく広い。
「ただいまー」
ちひろが、大きな声で帰宅を告げる。
こんなに広い玄関で普通の家のように「ただいまー」と言うのは全く合わないと思ったけど、ちひろにとってはそれが普通のことなのだろう。
私は完全に圧倒されてしまい。
「お、おじゃましまーす」
と小声で呟くのがせいぜいだった。
ちひろの声が聞こえたのか、奥からパタパタとエプロンをした女の人が出てきた。
とても清潔感のある服装で、ひょっとしてこれがテレビでしか見ることは無いと思っていた家政婦さんという方だろうか。
「おかえりなさいませ。今日は早かったですね。あら、ご友人ですか」
「うん。風間 美桜さん。今日は泊まっていきますが、部屋は私と一緒でいいので客間の準備はしなくていいです。すみませんがよろしくお願いします」
「はい。かしこまりました。みなさまには私の方からお伝えしておきますね。少ししたら、お部屋にお茶をお持ちします」
そう告げると、その女性は、廊下の奥に消えていった。
ちひろは「お願いしまーす」とお礼を伝えている。
「ちひろ!」
「みお、ど、どした」
いきなりガッと私に肩を掴まれたちひろは、後退りをしながら返事をする。
「あれは誰なのどういうこと? お母さん? それとも、あれが伝説の家政婦さんって人? てか、庭広すぎ、お家が大きすぎ。廊下長すぎ、光りすぎ。ついでに言葉づかいが変わりすぎ」
「みお、顔が怖いよ………………引いた?」
ちひろがすごく不安そうな顔をして尋ねてくる。
「うーん。びっくりした。ってのが正しいのかも。こんな経験初めてだし」
ちひろは安心したようで「そっかー」というと、顔もいつもと同じに戻った。
正直に言うと少し引いた。
ただちひろの不安そうな顔を見ると、これまでちひろが自分の家のことをあまり話さなかったことには何か理由があるのだろうと思った。嘘をついたのではなく、別の形で率直な感想を伝えただけ。ちひろにはいつも笑顔でいてほしい。
「昔ね………………」
ちひろの部屋に向かいながら、ちひろが話しをしてくれた。
「昔ね、友達をうちに連れてきたことがあるんだけど、その後、他の友達に家のこと言いふらされちゃって。そしたら他の子たちもうちに来たいって言い出しちゃって…………。私、当時は内気だったから、知らない子が次々に来るのが耐えきれなくなっちゃって泣いちゃったんだよね」
「だからそれ以来、友達は連れてこないようにしてたの。あと、静かな環境が好きなお客様も多いから、子供がたくさんいたら迷惑かけただろうし。それでうちも都合がよかったから。私は、私が生まれたこの家のことしか知らないかった。今は少し自分の家が他と違うことは分かるけど、子供の頃は何が普通で、何が普通じゃないとかいう基準も曖昧だったし。家が大きいと、お父さんとお母さんは何しているのかとか、色々聞かれることも多くて…………そっちは今でも説明するのが面倒だし、苦手なんだけどね」
「ちひろの家が何をしているのかは、気になるけどね。後で聞かせてよ」
「みおー。私の話聞いてた? ………………タイミングあればね。ちなみに、お父さま……お父さんは仕事の都合であんまり家にいないの。だから実は結構自由がきくから、大変だったらみはいつまでも居てくれていいからね」
「うん。ちひろ、ありがとう」
やっぱり、色々な事情があるんだろう。
ちひろも表には決して見せない苦労や葛藤があるのだとわかった。
「ここが私の部屋!」
(ひっっっろ!)
思わず叫びそうになったが、またちひろに気を使わせてしまいそうだったので何とか心の中に留めた。
部屋は洋室だけどうちのリビング2つ分くらいの広さがある。
勉強机の他にソファーとテーブル、本棚というシンプルな部屋なのだけど、本棚が天井まであってとにかく大きい。
本好きの私にとっては天国のような部屋だった。
また、奥の右手にはドアが開いているので見えてしまったが寝室があり、メインの部屋と異なり和室のようなテイストで、そこに寝心地の良さそうなキングサイズのベッドが綺麗にベッドメイキングされている。
タンスなど、衣服を収納するスペースが見えないので、開いていないドアを開けると、それ用の部屋があるのだろう。
「ちひろ!」
「な、なに?」
「探検してもいい?」
「みお、ここにきた目的、完全に忘れてるよね」
「そ、ソンナコトナイヨ。…………うんさてさて、どうしよっか」
思わず好奇心が先走ってしまったけど、そもそもそんな目的でここにいるわけじゃない。
「そこ座って。とりあえず話せる範囲でいいから、何があったのかと、何で悩んでいるか教えてくれると嬉しい。私、何でも聞くから」
ちひろは気を遣って「話せる範囲で」と言ってくれたが、もう隠すことなく全て話してしまおうと決めている。
その結果、ちひろとの関係がこれで終わってしまっても、それはそれで仕方ない。
「うん。ありがと。でも、話せないことは何もないよ。全部話す。あまり気持ちのいい話でもないし、もしかすると、私以外の人にとっては、どうでもいいことなのかもしれない。ただ、聞いてくれる?」
「どうでもいいことなんてないよ! どんなことでも、みおが今大変なことに変わりないんだから、ちゃんと聞く。分かってあげられないかもしれない。何もできないかもしれない。ただ、聞くことはできるから、話してね」
(だめだ。泣くな…………)
何とか涙を堪えて、私は、私の母親のこと、私が母親に対してどういう気持ちでいて、今どう思っているかを話した。そして、青井 日和のことも。
青井の存在を自分がどう感じていたか。
そしてそれに対して、私がとったとても卑怯で愚かな態度や行動についても。
最後に、私が私のことを嫌いになってしまったことを、時間をかけて、ゆっくりと全部話した。
途中で、晩御飯に呼ばれたけど、とてもご飯が食べられる状態でなかった。
ちひろが事情を説明してくれ、晩御飯の代わりに具がたくさん入ったおにぎりと温かいお茶が部屋まで運ばれてきた。
私は、生涯このおにぎりの味を忘れないと思った。
友達と泣きながら食べたおにぎりは、私の心をを優しさで満たしてくれた。
「みおのこと、分かった。辛かったね。話してくれてありがとう」
「ちひろ、聞いてくれてありがとう……」
途中で言葉に詰まったり、泣いたり、話が上手にまとまらなかったこともあり、時計を見ると23時を回っていた。
話し終えて緊張の糸が切れたのか、目の奥が熱く、頭も重く痛み、体のあちこちが硬直してギシギシと悲鳴をあげている。
「みお、私から伝えたいこともあるけど、お風呂に入って一休みしよ。疲れたでしょ。明日は土曜日でお休みだし、お風呂から上がったらそのまま寝ちゃっても大丈夫だからね」
「ありがとう。いろいろ気を使わせちゃってごめん」
ちひろは湯船に浸かることを勧めてくれたが、ちひろの家は湯船のあるお風呂の他にシャワールームもあるらしいので丁寧に断り、シャワーを借りることにした。
それにしても、お風呂の他にシャワールームがあるなんてやっぱり普通の家ではないと思ったけど、もはやちょっとやそっとのことじゃ驚かなくなっている私がいる。
シャワーの準備のためにボストンバックからパジャマを取り出していると、カバンに投げ入れてたスマホが目についた。
半ば家出のようになってしまっている。
おそらく、家からの電話やメールが山ほど入っているに違いない。
たとえそうだとしても、今は自分の家族、特に母親と冷静にやり取りができる自信がない。
なので今日は何にしても一切連絡を取らないと決めた。
恐る恐るスマホのホーム画面をみると、そこにあったのはメールの通知が1つだけ。
あまりの予想外の状況で驚いてしまった。
不登校の娘がいきなり友達の家に行くとメモを残し、家出のように姿を消したのであれば、少なくともあの母親は烈火の如く怒るだろうと思っていた。
私がそのことをちひろに伝えると、私たちがちひろの家に到着してすぐにちひろのお母さんが私の家に連絡を入れて事情を説明して外泊の許可を貰ったとのことだった。
「本当にごめん。うちの母親、ちひろのお母さんに失礼なこと言わなかった? 大丈夫だった? よく許したね。信じられない」
「あ、うちのお母さん、そういうの得意なんだよね〜。私も謎だと思う」
ちひろは、それが普通のことのように話しているが、実際のところどう説明したのだろう…………。
私はちひろから聞いたことがまったくもって信じられなかった。
私がシャワーから戻ると、ちひろはまだお風呂に入っているようで部屋にはいない。
ふと机の上をみると、誰かがおにぎりの食器などを片付けてくれたようで、代わりに水の入ったピッチャーとグラスが並べて置いてある。
「すごいな…………テレビで見たホテルのスイートルームみたい」
そんな感想を呟きながら、今日の出来事を振り返る。
まさかこんなことになるなんて昨日の夜には夢にも思わなかった。
青井に対する私自身の許されない愚行。
それを無自覚に行なっていたという紛れもない事実。
そして、自分に対する失望。
ここ数日、母親に対しては様々な感情を抱いていた。
心の奥底から憎んだ瞬間もあれば、逆に少しだけ感謝をした部分もある。
ただ、結局は『母親はかわいそうな人』なんだという結論に至った。
たかが十数年しか生きていない若輩が実の母親に対する評価としては『最低』だと指をさされるかもしれない。
ただ、そう思うしかなかった。
母親の私に対する行動原理は、間違いなく愛情や、親としての責任感なんだろう。
そこは間違いない。
ただ、自身の狭い価値観に基づく全て押し付けの教育。
それを教育と言っていいのかは分からないけど、申し訳ないが私は嫌悪感しかなかった。
私からの質問や対話は認めず、一方的な命令のようなコミュニケーション。
それでも食い下がれば『自分がこんなにやってあげているのになんて態度をとるんだ』『こんに反抗されて、私が可哀想』とヒステリックになる。
どこかおかしいと感じていたが、それを伝えても言葉の暴力で拒絶されてそれで終わり。
幼い頃、そんな理不尽な目にあった日は、布団の中でその時のことを繰り返し思い出しては、言いようのない悔しさからただただ泣いていた。
(そんな思い出ばっかり。楽しかったことは全然思い出せないな)
「遅くなってごめんね」
ちひろが部屋に戻ってきた。
「おかえり。シャワーありがとう」
「ううん。あ、お水でよかった?カフェインとか入ってないから、眠れなくなっちゃうことないかなと思って準備したんだけど」
「ありがと」
ちひろはピッチャーから2つのガラスコップに水を注ぐと、片方を私に差し出してくれた。
ごくりと水を飲む。
ほんのりレモンの酸味が口に広がり、心地いい。
「みお、今日はもう寝よう。明日、また色々お話ししよう。ここ数日、満足に寝てないんでしょ」
「でも、まだ私、ちひろに話したいことある」
「明日聞くよ。明日で終わらなければ明後日も。だから安心して今日は寝て。寝るところ、私のベッド大きいから一緒でもいい?」
「うん。大丈夫。ありがとう」
よっぽど眠そうに見えたのだろう。
当の私も、頭が全然回らず、ものすごい眠気に襲われている。
ちひろは嬉しそうにうなずくと、私がベッドに入ったのを確認し、電気を消して布団に入った。
「みお、お疲れ様。ゆっくり休んでね。おやすみ」
その後の記憶は曖昧で、私はちひろに「おやすみ」と伝えたかも定かではなく、泥のように眠ってしまった。
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