第55話 監獄シドファークへ

 ウィンディが痛いところを突いてきた。


「よくなかったわ」

「じゃあ説明するけど、この周辺の海域の上空に生息する妖精のことよ。人間やエルフですら使えない特殊な魔法を使えるの」

「その特殊な魔法で張られた結界が、監獄シドファークの周囲を覆っているのです。もちろん海底にも届いています」

「……で、その結界に触れたら」

「さっきみたいになるわけよ」


 なんてこと。まさかそんな妖精が張っていた結界だったなんて。


 これは、力押しでなんとかなる話じゃないわね。甘く見てたわ。あのブローディアだって突破は不可能ね。


「じゃあ十分わかったところで、ナターシャ。心の準備はできた?」

「……やるしかないわね」


 リチャードの気持ちは嫌というほどわかる。私も渋々タイタンホエールの口の中へ入った。


「うぅ、やっぱり臭い……それに唾液が……」

「鼻で息しないでください。ほんの十分ほどで着きますから」


 十分、短いのか長いのか。多分長いんだろう。


 リチャードも含めて、私達四人全員入ったのを確認し、タイタンホエールは口を閉ざした。


 真っ暗になったけど、そこはジュドーが照明で明るくしてくれた。


 臭い口の中にいて、ドロドロの唾液がまとわりつき、歯と歯の間に魚の死骸が挟まっている。頭がおかしくなりそうだ。


 外の様子は本当にわからない。でもちゃんと進んでいるのはわかったけど、結界はどうなるの。


「この子は……例外なの!?」

「そうです。海魔妖精は、自らが許可した生体のみしか結界の出入りを許可しないのです」


 だからタイタンホエールの口の中に入るしかないのか。


「もしかして、帰りも……」

「その通りです」


 ジュドーはきっぱり答えた。ってことは、合計で約二十分も苦行が続くじゃない。


 ジュドーは慣れたのか、平然な顔をしている。リチャードは顔を歪ませながらも、必死に耐えている。さすがだてにグノーシス商会の会長じゃないわね。


 そしてウィンディはというと。


「ちょっと……大丈夫!?」


 口元を必死に手で抑えている。今にも吐きそうじゃないの。


「へ、平気……よ。うぅ……おえ……」

「大丈夫じゃないでしょ」


 これは船酔いならぬ、クジラ酔いね。臭いだけじゃなく、体中にまとわりつく唾液とグラグラ振動する口の中にいたんじゃ、気が狂いそうになるのも当然だ。


 しかもウィンディはエルフだ。エルフは人一倍感性が敏感だという。感性が強すぎて、人間の世界に出たら刺激が強すぎて耐えられないエルフも多くいるという。


「はぁ……はぁ……」


 苦しそうにしているウィンディを見て、思わず背中をさすった。


「大丈夫よ、私も辛いから」

「ありがとう」

「もうすぐ着きます。頑張ってください!」


 ジュドーが声を掛ける。すると徐々に体がふわっと軽くなったような感じがした。


 これは多分、浮上してるんだわ。


 次の瞬間、僅かながら開いた口が開いた。明かりが入ってきて、海水も入らない。長かった十分間もやっと終わった。


 タイタンホエールの口は大きく開いた。やっと出られる、でも出ようとしたら、リチャード卿が一目散に飛び出した。


「ちょっと、レディーファーストでしょ!?」

「うるさい! 私はグノーシス商会の会長だぞ! う……」

「ちょっと……」

「おええええええええ!!」


 実はリチャード卿が一番我慢してたのね。私まで吐き気がしてきた。



 監獄シドファーク、その最上階の牢獄に一人の女戦士が幽閉されて二日が経過した。


「へへ、まさかあのオーガ族の英雄に会えるだなんてな。願ってもないことだぜ」

「それはどうも」


 ブローディアがいる牢屋の向かい側に住んでいたゴブリン族の男が笑いながら言った。


「俺はあんたのファンなんだ。あとでゆっくり楽しいことしようぜ……」

「囚人同士の馴れ合いは禁止されているんだよ」

「へへ、どうせここから脱獄なんて不可能なんだ。俺はあんたを屈服さえできれば、別に死んだっていいぜ」

「その前にあたしがあの世へ送ってやるよ」


 ブローディアは軽く受け流した。


「おっかねぇな。でも、あんたのそんなとこが好きだぜ。それにあんたに殺されたら、それは本望だ」


 駄目だ、こいつ。ブローディアはため息を吐いた。


「あんたはまだ知らねぇかもしれねぇがな、一応説明してやるとこの周辺の海域には……」

「妖精の張った結界で覆われている。その結界に触れれば、勝手に戻ってしまう」

「そう、そうだよ。だから脱獄は不可能なんだ。まさかやろうだなんて思わないよな?」

「……あたしは諦めが悪い女なんだよ」


 ブローディアはゴブリン族の男を睨んだ。

 

「あぁ、そうか。やっぱりやるのか」

「当然さ、どんな方法であれ結界を破壊さえすれば済むんだ。その妖精さえ仕留めれば……」

「その妖精がどこにいるかがわからねぇんだな」


 ゴブリン族の男は言った。ブローディアは何も言い返せなかった。


 結局問題はそこに行き着く。妖精がいることは知っているが、肝心の居場所がわからない。


 しかしブローディアには、一つだけ心当たりがあった。


「監獄長が怪しいね」

「あぁ、ここのボスだな。名前は確か……」

「ヴリタイだ。会ったことはないけどね」


 ブローディアの考えが確かなら、唯一妖精と交信が可能な存在が監獄長だ。


 ブローディアはまだ会っことはない。このシドファークに入る際に声だけ聞こえただけだ。


 声が聞こえたのなら、この監獄のどこかにいるはず。ブローディアはそう信じている。


「ひひひ、まぁ気長に頑張れや」


 カーン!


 突然甲高い金属音が響いた。ブローディアが身を乗り出し、廊下の先にある入口の方を見た。


「……まさか!?」

「どうやら、面会のようだね」


 最上階の入口のドアを開けて入ってきたのは四人、女性が二人と男性が二人。少なくとも二人はよく知っていた。


「おはよう、ブローディア。元気にしてた?」


 長い黒髪の女性が気さくに話しかけてきた。


「ナターシャ、どうしてここに!?」

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