第18話 甲駿同盟

 晴信と名乗った少年は、僕の視線から逃げるように俯いてしまった。ちらちらと僕の顔を窺っては、目が合うたびにビクッと肩を震わせて直ぐに俯いてしまう。恥ずかしがり屋さんかな? まるで怖い先生を前にした小学生みたいだ。今僕が脅かしたら泣き出してしまいそうだな。勿論そんな事しないけど。

 

 「晴信っていうんだね君。さっき僕らの事見ていたよね? どうしてか教えてくれる?」


 「……………………」


 無言。ぷいと顔を背けて目線すら合わせてくれない。でも僕も結構な人見知りだから気持ちは分かる。話そうとは思うんだけど、言葉が喉をつかえて出てこない。笑顔でいたいのに、口に透明なテープを貼ってるみたいに真一文字になってしまう。考えれば考えるほど、自分の意志とは関係なく体が固まってしまうのだ。

 祖父が比較的顔の広い人だったため、よく知らないおじさんと家の中で顔を合わせる事があった。その度に祖父の背中に隠れる僕を見て、祖父はいつも情けないと、正面に立ち相手の目を見てはっきりと喋りなさいと口酸っぱく言っていた。だからと言って、現在人見知りが治っているかと言われたらそんな事はない。つまり何が言いたいのかというと、自分の特性は簡単には変えられないというわけだ。気長に待ってあげよう。


 「たろ坊、目の前に立っているのはただの女子よ、何をそんなに怖気づいているの」


 僕の親切心を無下にする少女は、たじろぐ少年を急かすように言った。吹雪のような冷たい声色は僕の耳をかすめ、吹雪の届けは少年の頬をしもやけのように真っ赤にさせる。

 

 「おっ、お姉! 人前でその名を呼ばないでと言ってるではないですか!」


 ばっと顔を上げる少年は、狼狽しながら腕を振って言う。たろ坊、中々可愛らしいあだ名じゃないか。僕もそう呼んでみようかな。

 それとどうやら少女は僕を女だと勘違いしているようだ。まぁ初見でそう思われるのは仕方ないとして、早急にその勘違いを訂正しなくては。後々判明しては色々厄介な事になる。


 「あの、僕は」

 「それにお姉、この人女子ではなく男ですよ」


 思わず少年の顔を覗き込んでしまった。しげしげと見つめると、僕の熱視線を拒むようにまた俯きなおしてしまった。おっとこれは悪い事をした。ただそれにしても、おどおどしていた少年とは思えない鋭さだ。

 

 「うそっ、貴方本当なの?」


 少年の発言を受けた少女はというと、目を見開き信じられないという表情で僕の全身を見つめる。苦笑いを浮かべる僕と目が合い、気まずそうに目を逸らした。

 

 「晴信くんの言う通り、正真正銘の男ですよ。それにちゃんと関介という、立派な名前があるんです。確かによく女と間違えられますけど、やっぱりそんな女に見えますか?」


 「女に見えるというか、少なくとも男には見えないわね。関介と言ったかしら、貴方本当に男として育てられたの?」


 この子、涼しい顔でとんでもなく失礼な事を言う。祖父とのあの厳しい鍛錬の日々は何だったのか。言い過ぎかもしれないが、まるで僕の人生全てを全否定されたような気がして、危く膝から崩れ落ちる所だった。

 僕が恨めし気な視線を送っても、少女は気にも留めず相変わらず凍ったような表情を向けるだけだ。自分から強く反論出来ないのが悔しいところだ。


 「あのぅ、関介殿。先程は盗み見のような真似をしてしまい、誠に申し訳ございません。そのぅ、怒ってます?」


 やっと話しかけてくれたと思ったら、晴信くんは今にも泣きだしてしまいそうな表情で僕を見つめていた。身長は僕より少し高いのに、瞳に涙を溜める少年の姿は何だかもっと小さく見えた。顔立ちもきっと凛々しく整った顔つきをしているはずだけど、出会ってからまだ不安そうな表情しか見ていなくて、なんだか勿体ない気がする。

 そんな弱弱しい晴信くんの姿が見ていられなくて、僕はわざと大袈裟に明るく振舞った。

 

 「怒ってないよっ! ごめんね、少し気になっただけだから。ありがとうね、教えてくれて」


 「よ、よかったぁ。晴信、貴方を怒らせてしまったと思っていました。関介殿は優しいんですねぇ!」


 冬空のような泣き顔から一転、春の太陽のようにぱぁっと明るく柔らかな笑顔を見せてくれた。まだ少し舌足らずで丸っこい喋り方は、彼を年齢よりもずっと幼く感じさせた。まるで子犬みたいで可愛い。


 「ねぇたろ坊、私に用があるんじゃないの? 無いなら私もう行くけど」


 「あぁそうでした。お姉、直ぐに屋敷に来るようにとお父上が」


 「理由は?」


 「あっ、そこまでは……」


 少女が大仰にため息を溢すと、晴信くんは怯えた子供のように小さくなってしまった。吐いた息で大気が凍るんじゃないかってくらいの彼女の冷たさは、間に挟まれた僕まで足がすくんでしまうほどの威圧感があった。というかこの二人、いつまで僕を挟んで会話しているのだろうか。


 「ごめんなさい、お姉」


 「別にたろ坊に怒ってるんじゃないの。あのクソ野郎に腹が立つだけ」


 冷たく当たっていた相手が晴信くんじゃなくて取り合えず安心したけど、クソ野郎ってすごい口が悪いなこの子。こんな可憐な少女の口からクソなんて汚い言葉が出て来ると、なんだか頭の中で上手く変換する事ができない。

 さっきからずっと平坦だった少女の言葉に初めて強弱の色が見えて、それだけ父親の事が気に食わないのだろう。何だろう、反抗期かな? もうっ、お父さんの服と一緒に選択しないでよ! 的な? まさかこの少女に限ってそれは無いだろうな。


 「お父さんの事嫌いなんですか?」


 「当たり前じゃない! あいつが戦争ばかりするからみんな苦しんでるの! あんなクソ野郎、何処かの戦で死んじゃえば」


 「多恵も生意気な口を聞くようになったのう。こんなお転婆娘に育てた覚えは無いのだがなぁ」


 突如背後から、もう二度と聞きたくなかった声がする。すぐさま振り返ると、そこに立っていたのはやはり信虎さんだった。それとその隣に雪斎さんと承芳さんの二人もいた。信虎さんは気味の悪い笑みを張り付けた顔で、僕ら三人を品定めするように見回した。

 それよりちょっと待って、今信虎さんおかしな事を言わなかったか? この少女が、あの人の娘?


 「何言ってんだクソ親父。生まれてから一度だって私の面倒を見たことが無いじゃない」


 声を荒げる事はしないが、明らかにその言葉の端々に怒りがこもっているのが分かった。すごいなこの少女。いや、多恵さん。相手は父親と言えど武田家の当主にも関わらず、少しも怖気ずくことなく暴言をぶつけるなんて。

 そういえば多恵さんが信虎さんの娘なんだったら、その弟の晴信くんだって息子に決まっているよな。多恵さんは父親に対して嫌悪感を抱いてるけど晴信くんはどうなんだろうか。

 彼の様子を確認すると、彼は肩を抱き小刻みに震えていた。浅い呼吸を何度も繰り返し、それだけで尋常ではない事が一目瞭然だった。


 「今川は羨ましいのう、出来の良い跡取りに恵まれて。それに引き換え、そこで縮こまっておる出来の悪い息子が当家の跡取りとは、先が思いやられるわ。そう思わんか雪斎よ」


 「私には何とも。ただ子供の成長というものは、親の想像の何倍も速いものです。もしかすれば、いずれ信虎様をも飲み込むほどに成長なさるやもしれませんよ」


 雪斎さんの返答に大口を開いて笑う信虎さん。この人意地が悪いというか、性根が腐っているとしか思えないな。よく人の前で息子をそこまでこき下ろせたものだ。本来無関係なはずの僕まで苛立ってきた。


 「おいクソ親父、たろ坊に意地悪をするために来たの? ならもういいじゃない、早く帰ってくれない?」


 「五月蠅い娘じゃのう。お前と会すために連れてきてやったではないか、お前の夫となる男を。のう義元殿」


 えっ? 承芳さんが夫、って事は結婚するの? 頭の処理が追い付かず、隣にいる承芳さんを問い詰める事も出来なかった。しかもその張本人である彼すら、多恵さんの顔をまじまじと見つめ驚いている。ただ彼女が驚いている様子が無いところから見るに、事前に知らされていたのだろう。だから最初に出会った時、義元の名前に反応したのか。

 多分だけど、さっきの部屋での会議がこの結婚についてなのだろう。僕の知らないところで、ものすごいスピードで事が進んでしまっている。


 「結婚は10日だ。その日をもって、我が武田家と今川家の同盟が結ばれるのだ。我ら手を取り合い、この乱世を乗り越えようぞ」


 知ってる、これは政略結婚というやつだ。だから多恵さんも嫌そうだったのか。大嫌いな父親の手駒にされるから。


 「なんで……どうして……」


 ふと晴信くんの呟きが聞こえた。その時の晴信くんの悲痛な表情が、僕の頭の中から離れなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る