第3話

 薄暗くかび臭い。ジメジメとした空気感は梅雨時を思い出させる。湿気に身を包まれたかのように服が肌にひっつく。

「暑い」

 蒸し暑い。まだ夏にもなっていないのに非常に暑い。喉が渇きそうな気持になりながら手探りで周囲を確認する。一歩足を踏み進んだところ…ズボッ!?

 ぼくは不意に冷たい何かに片足を突っ込んだ。

 嫌な予感がしつつも、取っ手のようなものに手が届き、ギイィと音を立てながら戸を開けた。窓から差し込む月の灯りがうっすらと現状を把握させてくれた。

 和式のトイレだった。

「うわーきったねー、最悪」

 どうやら旧校舎のどこかのトイレだったようだ。本校は旧校舎と新校舎のふたつがあり、旧校舎は老朽化が原因で閉校してしまっている。新校舎は旧校舎からやや山を下りたところにあり、引率の先生と一緒にいない限り利用することはほとんどない。山の上にあるため、水道管を通すことが難しく設備費用が掛かることと、老朽化が伴っていまは、図書室と一部のクラブしか使っていない。もちろん、オカルトクラブもここを拠点に活動しているため、この場所をどこかのかという疑問は全くなかった。

 ぼくはトイレのドアを開き、外へ出た。床はきしみ、足音を立てないように進むもキシキシと床が沈み、音が鳴ってしまう。

「ひでーな。あー、せっかくの靴が…」

 キシキシと音と一緒にバシャバシャと水の音が聞こえてくる。靴に思いっ切りトイレの水がしみこんでしまったのだ。これでは鬼ごっこどころか、かくれんぼでも路線変更しない限り逃げ切れそうにない。

「静かすぎる。本当に、夢なのか?」

 自分のほっぺをつねる。うん、痛い。夢じゃない。

 夢じゃなかったら、ここは本当に”夢鬼さん”の世界なのだろうか。なら、その”夢鬼さん”はどこにいるのだろうか。窓から入ってくる月の灯りを頼りに学校を探索開始した。

「おかしい…夜の学校ってこんなにも暗くて静かなのか…」

 音が鳴らないようゆっくりと歩きながら周辺を探る。教室はどこも真っ暗だ。月明かりのおかげでぼんやりとだが、影が見える程度。目を凝らしながら、慎重に歩みを進める。

 キイキイ。床がきしむようになにかが歩いてくる音が聞こえてきた。その音は方向を変え、階段の方へと振り返る。上の階から下の階へと少しずつこちらの方へと向かってくるのが聞こえた。

「だ、だれだ!」

 ぼくは震えながら声をかける。

「よかったー、私1人じゃなかったんだ」

 そう言ってきたのは星野だった。普段は無口で話しかけても頷くぐらいの子だ。

「他のやつには会ったか?」

「いや、月木(ぼくの名前)さんが初めて。本当にここって夢のなかなのかな…すごく怖いんだ」

「夢にしてはすごいリアルだよな。でもいつもの学校と雰囲気が違うような気がするんだ。そうだ、星野さんはどこにいた? ぼくはあそこのトイレだった」

 2階の奥へ指さしながら

「私は2階の奥の図書室からだった。廊下を出ていくと、1階で足音が聞こえたから、もしかしてって思って、降りたら月木さんがいたの」

 どうやらみんなスタート時は別々の所かららしい。ということは他の友達もどこかにいるということか。

「まずみんなを探そう。そして鬼がいるかもしれないから静かにしていこう」

「うん、わかった。でも月木さん、さっきでかい声出していたよ」

「……きをつける」

 これからは静かに行動していけばいい。幸いにもぼくと星野さんしか近くにいないようで、足音や物音はしてこない。幸運だった。

 ぼくと星野は静かに進んだ。歩いていくうちに水が弾んでいた靴は次第と水が抜け、キシキシと床がきしむ音だけとなった。星野と合うまでは内心震えていたけど、出会ってからは少しだけ勇気が湧いてきたような気がした。

「ねえ、鬼って誰なんだろうね?」

 星野が小声でぼくの耳元で話した。

「分からない。熱海さんがいうには、鬼は最初からいるらしいけど、その正体はよくわからないんだ。熱海さんに会えば少しでもわかるような気がするんだけど…」

 廊下を進んでいると、真ん中で誰かが倒れている。

「え、人間…?」

 ぼくは勇気を振り絞り、倒れている人に触ろうとしたとき、「ひぃい!」と小さく星野が悲鳴を上げた。ぼくも続けて悲鳴を上げた。

 し、死んでいる。首に鋭利なもので刺されたのだろうか。そこには冷たく濡れていた。

「まさか…さつ――」

「そんなことはない。きっと誰かのイタズラだよ」

 ぼくは星野をなだめつつ、この人はいったい誰にやられたのだろうと思いながらその人を避けて奥の廊下へ行こうとしたその時、 チリーンと風鈴がなる音がした。その音はすぐそばだ。それもすぐ真下。

 まさか…ぼくが声を上げる前に、星野は悲鳴を上げどこかへと走っていってしまった。ぼくは風鈴を無意識に奪い取り、音がこれ以上ならないようがっしり掴み、星野の後を追いかけていった。

 後を追いかけると、星野は玄関の扉を叩いていた。

「出して、出してよ…!」

 思いっきり手で叩き、割ろうとしているようだ。

「だ、ダメだよ!」

 ぼくは星野を後ろから羽交い絞めにし、扉から遠ざける。

「なんで止めるの! 家に帰らせてよ!」

 ここまで感情を露に訴えてくる星野は初めて見た。普段は大人しく決して声に出さない静かな人なのに。

「こんなことをしたら、鬼に見つかる! それに――」

 ぼくはその辺にあった消火器に指さして「素手だと、割れたとき怪我をしてしまう。大事な人をケガさせたくない。だから、力仕事はぼくに任せてほしいんだ」そう言って、ぼくは星野を説得した。抵抗を止めると、ぼくはそっと星野と別れ、消火器をもって扉、窓を開けようと思いっきり投げつけた。

 ガン! ガン! ドカーン!

 力まかせにやったはずだ。なのに、どうして…傷一つつかないんだ。割れることもヒビが入ることもない。まるで鉄製の壁のようだ。外の景色は見えるのに。

「なんだよ! どうして開かないんだ。ぼくたち…閉じ込められてしまったのかもしれない…」

 弱音を吐露した。

 星野は泣き始めた。

 星野は最初から乗り気じゃなかった。みんなにいわれるまま頷いていただけかもしれない。みんな同意を求められ仕方なく参加しただけだったのかもしれない。

「大丈夫、鬼ごっこが終われば出られるよ。だから、最後まで頑張ろうよ」

 慰めが叶ったのか、それとも泣いててもどうにもできないと思ったのだろうか、星野は決心したかのように立ち上がり涙を拭く。

「そうだね、ただの鬼ごっこ。所詮夢なんだ。なんで泣いていたんだろ」

 そう、これはただの夢。

 鬼ごっこが終わらなくても目が覚めれば終わる夢。なにをそんなにも怖がる必要がある。梳毛思っていたとき、遠くの廊下から足音が聞こえた。

 段々近づいてきている…。カツカツと。その足音は少しずつ早くなっていく。走ってきているのだ。

 しまった! さっき扉を割ろうと音を立てすぎたか。

 星野を納得させるためとはいえ、大きな音を立ててしまった。あれだけ注意しようよと言いながら、これは失敗だったと気づく。

「星野さん、とりあえず隠れよう。鬼かもしれない。姿を確認したら声をかけよう」

「うん、わかった」

 ぼくは階段の下に隠れ、星野は玄関に置いてある掃除道具が入っているロッカーに身を隠した。ロッカーの隙間からちょうど外が見ることができる。玄関は幸いにも月明かりのおかげで他の所よりも明るい。だから、姿が確認しやすい。

 ぼくは、他に隠れるところがなかったため、階段の下に身を隠した。見つかってしまったらそばに置いてある椅子を投げれば少しだけ時間を稼ぐことができる。もし、捕まったら。そうなったら、思う増分に鬼を楽しもう。

 カツカツカツ。誰かが近づいてくる。もうすぐそこまで来ている。

 人影が見えた。

 思わず声を上げそうになったが必死に自分の口を両手で押さえる。

 キシキシ。

 月明かりに照らされ、初めてそれが人間ではないことを思い知らされた。

 姿は人の形をしているが全身が真っ黒く。まるで煤か灰に覆われたなにかだった。つかみどころがなにのかユラユラと揺れる度に粉のようなものが舞っている。もし、ここに隠れる場所がなかったら恐怖で動けなくなっていたのかもしれない。

 そいつはなにかを探しているようで周囲の様子をうかがっていた。

 転がる消火器に目を通したと思えば、それを無視し真っすぐある場所へと向かっていった。

(ダメだ)

 声が漏れそうになる。見つからないことを祈るも、そいつは星野が隠れているロッカーの前に立ち止った。ロッカーはかすかに震えるかのように揺れた。中にいる星野が動いたからだ。

 そいつは腕を伸ばし、ロッカーを開けようとした。そのとき、とっさに廊下に向かって風鈴を投げつけた。

 リリーン。風鈴の静かな音色が響く。すると、その音を聞いた瞬間、そいつは動きを止め、風鈴の方へと向かっていった。いまだと、言わんばかりにぼくは星野のロッカーを開けた。

 星野は震えていたが、急いで手を取り階段を駆け上っていった。見つかったのかもしれない。けど、あの場所にいるよりは広い場所へ逃げたかった。もう、チャンスは二度とないと思ったからだ。

 旧校舎を抜け、新校舎へとたどり着いた。息を切らせながら星野は気になることを言った。

「月木さんが私と一緒に逃げるとき、あの黒いのはうるさそうに両手で耳をおさえていたの」

 風鈴の音色は静かでとてもうるさくはない。あの黒いのはもしかしたら、その音がうるさく聞こえていたのかもしれない。ぼくは少し考え、あの道具が他にもあるのなら、いくつか持っていた方がいいのかもしれないと、「星野さん、話しがある」そう切り出し、風鈴のことを伝えた。

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