第93話 最後の一手

 ――トラソルテオトルは、その身に龍の力を宿している。


 血ではなく、龍を食ったことで龍の力を得て、力そのものを自分や他者に宿せる――そういう能力を持ったサキュバスだった。


 だから蛇の力を貸したマーラは決して嫌いではなかったし、力の源になるペット達は大切に飼っていた。

 力で従えた部下は今日もせっせとペット達の檻を掃除したり、エサをやらされたりとこき使われながらも、トラソルテオトルがもたらす力や食事には十分に満足していたのだった。


「お前ら異常ないか!?」

「はい、トラソルテオトル様♡ 今日もいつも通りの『魔物園まものえん』でございます♪」

「そ、そっか……なら良いや。リギー、オレは寝るから起こさないでくれ」

「は〜い♪」


 腹心の部下、リギー・ラヴにそう告げて、トラソルテオトルは奥へと向かう。

 大きな鉄扉をゆっくりと開くとそこは、猛獣や魔物モンスターたちが檻につがいで入れられた繁殖区画……の、はずだった。


「は……?」


 広がっていたのは、異常な光景。

 蜂蜜色のモヤがかかった繁殖区画で、狂ったような激しさでどの生物も交尾をしている、異常事態。


「ブモッ、ブモォ!」

「ピキィイイイイイイ!!」

「だ、誰だこんなことしやがったのは!」


 駆け出し、さらに檻が並ぶ中を走り抜け、モヤの出処を探す。


「♪」


 そこへ、歌声が聞こえた。


「っ!」


 戸惑いながらも、許さねぇ、という怒りがかろうじて勝つ。

 そして向かった先にいたのは、


「テメェ、一体なんの……つも……」


 全身から蜂蜜色の粘液を垂らす、かつての部下、エインだった。


「うわあぁああぁあーーっ!」


 とっくに死んだと思っていた存在が目の前にいたことに、つい叫んでしまったトラソルテオトル。


「あ、トラソルテオトルしゃま……」

「エイン、お、お前無事だったんだな、良かったよ……」

「……無事ぃ?」


 ぬちゃ、ぬちょ、とゾンビのように歩きながらトラソルテオトルに近づくエイン。


「くひっ……くひひひひひ! 無事!? ふじゃけにゃいでくだしゃいよトラソルテオトルしゃま! わ、わら、わらひ、あっ……ああ!」


 エインはすっ、と手を前に出し、その刹那、トラソルテオトルは逃げた。

 そして次の瞬間、エインの腕からカラスの羽が粘液をまとって射出される。

 壁に突き刺さった羽を見ても、そこにはサキュバスであろうと無事では済まない量が付着していた。


「ひっ!」

「待ってくだしゃいよ〜」


 間一髪、逃げたトラソルテオトルは空の檻が並ぶ区画を走る。

 普段であれば魔法なり暴力なりで反撃してしまえば簡単に倒せたであろう部下も、あの粘液を纏っているとなれば話は違う。

 サキュバスすら少量で頭を色欲に狂わせるコクリ特製の媚薬は、多少の耐性があるトラソルテオトルと言えど、まだ酒宴の酔いが残る中で食らったらひとたまりもないことは分かっていた。


(も、戻らなきゃ、自分の部屋に! それで、朝になればコクリ様が……)


 そんな目論見は、もふん、という足音で潰えた。


「えっ」

「トラソル、こっちデス!」


 巨大化した猫のぬいぐるみが、エインの前に立ちふさがって左ストレートを放つ。

 それを真正面から食らったエインの身体は檻にぶつかりながら吹っ飛んで、


「ソドム、ありがとう!」

「良いから逃げるデスよ! お前の部屋まで案内するデス!」


 2体の悪魔は、一応の危機を脱したのだった。


「はあっ、はぁ……」

「助かったデス……」


 扉にバリケードを作り、トラソルテオトルの部屋に逃げ込んだ2名は、水瓶の中の水をごくごくと胃に流し込んだ。

 それにより酔いも冷め、ある程度の安心感に包まれてへたり込んでしまう。


「なぁ、そっちは何があったんだ……?」

「ヴィルデがいたデス、それで、襲われて……アイツ正気じゃなかったデス! 身体中あの媚薬まみれで……!」


 カタカタと震えるソドムが、体育座りで涙を拭うように膝で顔を隠す。

 それを見たトラソルテオトルはソドムの肩に手を添え、なぐさめるようにさすった。


「……ありがとうな、ソドム。お前のお陰で、オレ……」


 助かったよ、と言おうとして、


「おい」


 目の前に現れた巨大なぬいぐるみに、悪態をついた。

 次の瞬間にはぬいぐるみの腕がバリケードごと粉砕するように殴りかかり、激しい音を立てて家具が粉々になる。


「テメェっ……ソドム!」

「あ、ご、ごめんデス!」

「ふざけんな、今更ごめんで済むか!」

「違うデス……済むとか済まないとかじゃなくて……」

「は?」


 ぷすっ、とあまりにもあっけなく、それはトラソルテオトルの足に刺さった。


「もうトラソルに逃げ場とか無いデス……」

「あ……あ……!」


 バリケードごと破壊された扉の向こうには、


「トラソルテオトル様? 大丈夫ですか〜? な~んちゃって♡」


 笑みを浮かべる、リギーがいた。


「お前、何で……何でオレを裏切ったんだよ……!」

「あーらら、バレてましたか♪ でもぉ、トラソルテオトル様が魅力的なのが悪いんですよぉ?」

「魅力、的……? お前、何言っ」

が教えて下さったんです! いつも偉そうにしてるトラソルテオトル様を檻に閉じ込めて、飼うことができたらどんなに楽しいかって! まさに悪魔のささやきでした……♡ それを聞いた瞬間、今しかない、って思ったんです……」

「ひっ、むぶっ!」


 柔らかいぬいぐるみの腕が、トラソルテオトルを殴る。

 身体が部屋の壁に激しく激突し、さらに追撃に来たぬいぐるみの腕をかろうじて両腕で抑えるが、その力の差、絶望的な状況は明らかだった。


「トラソルテオトル様の、必死で頑張る姿も素敵……♡ こんな絶望的な状況で、無駄に頑張っちゃうの可愛いです♪ せっかくだから撮影しちゃおっと」

「あ、わ、私もするデス……」

「や、やめてくれ! オレのこんな姿……むぐぅうっ!」

「はーい、静かにしてくださいね〜」

「むぐぅう!! うぅ! ううう!!」

「あはは、何言ってるか全然わかんなーい♪」


 ぬいぐるみの巨大な腕にじわじわと潰され身動きがとれなくなる中、悪魔は必死で龍の力を使って抵抗する。しかしずぼずぼとぬいぐるみを割いても、すぐに魔力で修繕されて身体が埋まるだけだった。


「良くやったぞお主ら。ほれ」


 そしてそこへ現れたマサラ。

 ふところから出した小さなつぼをリギーに渡し、中身は当然のように例の蜂蜜色の媚薬だ。


「あは♡」


 それで全てを察したリギーは、じたばたと暴れるトラソルテオトルのもとへゆっくりと近づいて……


「は〜い、とろとろ〜」

「むごぉおおおおおおおおお!!」


 ぬいぐるみの腕に染み込ませた媚薬で、容赦なくその理性を破壊した。

 そしてしばらく媚薬漬けにした後、ぬちゃっ……とその腕を剥がすと、後に残ったのは指一本動かせない、龍の翼と尾を持つ悪魔。


「やっぱり、最高に可愛いですよ♪ トラソルテオトル様♡」

「あぅ……や、やぇ……」


 その言葉を最後に、トラソルテオトルは意識を失った。


 ――それが、最後に残ったコクリの部下の姿だった。

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