第91話 ざまぁの始まり

 時間は少し遡って、マサラが泣きながら席を立ってしばらく後。


「ごぷっ、ごぷっ……かーっ! 流石にっ、酔いが、回ってきたわ……何百年ぶりかの酒……やはりさかなは涙に限る♪ ふひひひひ……あぅう」


 ――樽を一つ空にして、くらくらとし始めたコクリを見たヴィルデフラウはこっそりと席を立った。


「コクリ様、そろそろ寝所へ行きましょう。コカトリスの羽毛を使った布団ですよ」

「ゴモちゃんのやわらかモードで運ぶデスよ、もちろん全自動デス」


 背後で仲間がおべっかを使うのは読んでいた。だから自分は、酒宴の片付けをさせられる前に席を立つ。そうすればちょうど良い下僕がいるわけで、上手くすればまためそめそと泣きながら散らかした宴を片付けるだろう――その想像だけでほくそ笑みながら、悪魔・ヴィルデフラウは自室に戻って適当な『武器』を探す。


「ふんふんふーん、ボクはあくまー♪」


 歌いながら酔った頭で選んだのは、黒い革のムチ。それをぴしりと軽く鳴らして、その使い心地を確かめる。


「ひひっ……さーて、どんなをしよっかなー」


 この時を、待っていたのだ。

 仲間とコクリが酒宴に浮かれ、自分とアレがフリーになるこの時を。


「野性バカもぬいぐるみデス子も、チャンスを甘く身過ぎなんだよん。チャンスってのはそれを見つける目ざとさがないとダメなのさ〜」


 お気に入りの片眼鏡をつけ、『仕事場』に向かう足取りは軽い。

 すでに酒宴の前から部下に命じて猛獣用の檻を掃除させ、準備も整っている。あとは自分の邪魔をしないよう部下に命じようとして角を曲がったとき、ヴィルデフラウは異変に気がついた。


「なっ……なにコレ!?」


 通路にまで漏れ出した、桃色の煙。

 そして倒れ伏した部下達は、皆うっとりとした顔で寝入っていた。


「おい、何があった!?」


 慌ててヴィルデフラウは悪魔の翼を生やし、桃色の煙を払う。そして倒れた仲間に情報を聞き出そうとするが、


「うひ、うひぇ……ぐう」


 そのまま寝入ってしまい、それ以上のことは聞けなかった。


「睡眠薬……っ! 一体誰がボクの研究室に!!」


 言いつつも、心当たりなど一つだけ。

 口に布を当てて煙の中を駆け抜け、最悪の想像……自分の研究室の、一番奥へ向かう。部下達が集まるそこ、『薬品保管庫』にいたのは勿論、先程泣いて逃げ去ったはずの、悪魔マサラだった。


「ようヴィルデフラウ、先刻はよくもやってくれたのう」

「ヴィルデフラウ様……」

「ヴィルデフラウ様……申し訳ありません……!」


 まだ意識のある部下はいるようだったが、地面に伏せて震えるばかりだ。


「マサラ……っ!! こんなことをしてお前、分かっているのか!? すぐにコクリ様が来てお前は死ぬ!」

「ふん、貴様がここへ来た時点で彼奴きゃつが今動けないことは明白よ。そして食らえ!」

「っ! しまっ……!」


 狭い廊下に、酔った頭。投げられたボールのような何かをヴィルデフラウが避けると、背後からは煙が湧くような音がした。


「おやおや、なかなか良く逃げるではないか」

「バ、バカにするな!」


 酔った頭におぼつかない足取り、そして倒れた部下たち。

 ヴィルデフラウも現状の不利は分かっているが、悪魔としての本能がそれ以上の危機を分からせる。


「ほれ、避けよ避けよ」

「こっ、この……!」


 投げつけられる煙玉を避けるうち、ヴィルデフラウは嫌でも気づく。


 ――自分は、遊ばれていると。


 投げつけられる煙玉は、躱せるギリギリの速度。それを理解すると、酔った頭が怒りに燃えて、さらに現状を把握していく。


「いやぁ、それにしてもお主の研究室には大したものがないのう?」

「ぐっ……この!」


 挑発されている。それは理解している。

 乗ったら負けと分かっていても、怒り、あるいは酔いに支配された頭と身体が言う事を聞かない。


 ――であれば、取れる手段は一つだけだった。


(殺す……! 絶対に殺してやる!!)


 怒りが、スイッチを入れる。

 ヴィルデフラウを中心に紫色に輝く魔法陣が発生し、その身体に魔力の鎧が張り付いて、戦闘態勢に切り替わる……はずだった。


「ヴィルデフラウ様ぁ……」

「なぁっ!?」


 がばっ、と誰かに背後から抱きつかれ、魔力が霧散する。

 抱きついてきたのは、さっきから床に伏していたはずの自分の部下だった。


「つーかまえたあ……」

「な、何をする!? 僕はお前の上司だぞ! 邪魔をす……ひいっ!」


 気づけば、周りの部下がゾンビのように立ち上がり、自分に迫っていた。


「こっ、この!」


 パン! と軽い音がして、頬を叩かれた部下が目を覚ます。


「あ……」

「目を覚ませ! みんなでアイツを……」

「いやでーす」

「……は、はぁ?」

「私達……気づいちゃったんですぅ……」

「気づい……た?」


 目を覚ました、はずだった。


「いつも私達をこき使うヴィルデフラウ様がぁ、最高に可愛くなるのはいつかなって……それってもう、私達にめちゃくちゃにされた時しか無いじゃないですか……」

「めちゃくちゃに、って、何を言ってるんだ!? ま、待って、お前ら、まさかボクを……!」


 ヴィルデフラウの顔が、絶望に青ざめる。


「あはは、ヴィルデフラウ様、かしこーい。そうでーす。私達、ヴィルデフラウ様を裏切っちゃいまーす」


 気づけば、周りを部下に囲まれていた。その目は発情したように桃色に輝き、武器を手にして、舌を垂らし、獲物をいたぶる捕食者の顔をしている。

 薬で何かされた、と気づいたときには、既に状況は絶望的だった。


「ま、待って……い、今はダメ、よっ、酔ってるし、力が出ないから……」

「そんなの知りませんよお。それに、だからこそチャンスなんですよ? マサラ様が、教えてくれました……」


 ちくりと小さな痛みが首に走り、全身に麻痺毒が広がっていく。

 どさりと膝をついたヴィルデフラウの顔は、これから起こることを全て察して絶望していた。


「ま、マサラ……! どこだ! どこにいる!?  取引しても良い、だから……だからこんなのは……」

「あはは、まだ舌は回るんだぁ。ヴィルデフラウ様可愛い……」

「すごい……こんなヴィルデフラウ様見るの初めて……」

「あ……あ……」

「いつも調子に乗ってたのに……」

「ヴィルデフラウ様、ずーっと私達を雑魚だ雑魚だってバカにしてましたよね?」

「ち、違うよ……謝る、謝るからやめてぇ! 来ないで!」


 マサラの姿すらもうなく、発情した部下に囲まれ、自分はもう動けない。

 卓越した悪魔の頭脳で何度考えても、逃げ道は無かった。


「ざまぁ見ろ、ですね? ヴィルデフラウ様♡」

「ねーねー、誰か撮影用の魔珠持ってない? みっともないヴィルデフラウ様の様子、撮っちゃおうよー」

「あ、私持ってる!」

「私もー!」

「ひっ……!」


 武器を掲げ、一斉に自分を狙う部下……


「や……嫌だ……こんなの嫌だあぁああああああぁああ!!」


 ……ヴィルデフラウの絶望の叫びは、しばらく洞窟に響き続けたのだった。

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