第87話 ポイズンマスター死亡説

『ポイズンマスター死亡?』の噂が伝わるのは、あまりにも早かった。


 犠牲者0でカキョムの都へ帰還したスカーレット隊は、森の消滅に驚いていた民衆から見ても明らかに疲弊しており、最初は作戦失敗の誤報が広がったほど。

 しかしすぐに号外がバラ撒かれ、スカーレット隊がサキュバスの集落を破壊し、捕らえたサキュバス達に不可侵の契約を結ばせて解放した事で、民衆は戸惑いながらも王宮の発表を受け入れたのだった。


 ――しかしそれも、当日まで。


 カキョムの片隅、【風とさかずきの香り亭】で、情報屋に銀貨を払う男がいた。


「……で、どうなんだい実際のところ」

「間違いねぇ、ポイズンマスター・ヴェノムは、南の森から帰ってねぇよ」

「本当か!?」

「声がデケぇって。でもこれは確かな情報だよ。城門の出入り記録を見ても、ヴェノムとその相棒が……つまりヴェノムチャンネルの全員が、行方不明だ」


 大快挙のはずが、意気消沈して帰って来たスカーレット隊。その謎を情報屋が解くのに、さほどの時間はかからない。

 既に街ではヴェノムがどこかに出かける予定で買い物をしていたこと、酒場のクエストも受けた形跡が無いことなどから、死亡説までささやかれ始めていた。


「よし、なら明日の朝刊はポイズンマスター死す!? だな。売れるぞこれは!」

「……ま、好きなようにしてくれ」


 そして一方で、ギルドでもその噂はもちきりだった。


「なあ、ガンビットさんが出かけたんだって?」

「ああ、急用とかでな」

「ダンジョン制覇したこんな日にか?」


 その日はダンジョン制覇の祝賀会で、見事に三つ首のミノタウロスを倒し、最奥の魔珠や財宝を手にしたギルド、『白き千片せんぺんの刃』はまた一つ名声を手にした……はずだったのだが、その感謝と喜びをスピーチしたギルド長、ガンビットはさっさとこの場を去ってしまったのだ。

 今や帝都の役職持ちとなったガンビットと話がしたかった冒険者達は仕方なくそれぞれ集まり、酒や食い物を手にパーティーは続く。


「なんでもほら、前にヴェノムさんってウチにいただろ、ポイズンマスターで配信者の。それが行方不明だってさ」

「え、それ確定?」

「そうでもなきゃあのガンビットさんがさっさと帰るわけ無いだろ」

「それもそうか……しかし配信者が行方不明って、何したんだ? ノコノコ危険地帯にでも行ったか?」

「どうやらサキュバスのダンジョンに向かって帰ってこないらしい」

「おいおい、サキュバスを甘く見たってことかよ素人じゃん」

「甘く見たっつーか……話が変なんだよな。サキュバスが森にいて、その森はもう焼き払ったってことなんだけど、普通森なんて1日で焼き払えるもんじゃないだろ。カキョムってそんなに沢山の魔法使いがいたか?」

「いるわけないだろ。え? じゃあ……サキュバスが、森を消したってことか?」

「何か話が変わってきたな……」


 冒険者としての嗅覚が強大な敵の予感を的確に察知し、どこか弾まない祝勝会の空気。そしてそれとは対象的に、裏の世界では宴が始まっていた。


 ――スラムにほど近い酒場、【血と涙と拳亭】の、その店内。


「あのヴェノムが死んだってマジか!?」

「ああ、確かな情報だ! だがこれ以上はタダってわけにゃ行かねえ、なんか買いな!」

「よし、じゃあ肉三本と酒だ!」

「あいよ!」


 殴り合いの賭け試合を背景に、屈強な男がカウンターから骨付きチキンと酒のコップを受け取り、勢いよくチキンにかぶりついた。そして一気に酒をあおり、


「ふーっ……さぁ親父、話して貰うぜ!」

「へへっ、良い飲みっぷりじゃねえか。じゃあ教えてやるが、どうやらサキュバスの討伐に行って森ごと焼かれたって話だ」

「サキュバス!? あー、最近出てたらしいな。それでこの騒ぎか?」

「そりゃあそうさ、なんたってあのヴェノムだぜ? あいつが消えたとなりゃカキョムで怯えてた裏社会の連中も動き出す! 奴隷廃止なんて流行りのせいで踏んだり蹴ったりだったが……こりゃ流れが変わるかもだな」

「カカカ、良い知らせじゃねえか。あ! そうだ! ヴェノムが消えたってことなら例の小屋も狙えるんじゃ……」

「あーそりゃ止めとけ、同じこと言って向かった奴がまだ帰ってねえ。『鍵開けのチッピー』ならどうにかなると思ったんだがな。今日中に帰らなきゃ賭けは負けだ」

「ぎゃはははは、考えることは同じだな!」


 品のない笑いが響き、殴り合う男たちを中心にして歓声はやまない。

 それはそのままヴェノムが消えた裏社会の喜びを示すようで、彼らは邪魔者が消えた歓喜に浸っていた。


 そんな風に街に不穏な空気が広がり、配信者たちはこぞってポイズンマスターの安否を煽る動画を乱立させる。

 それを見る視聴者たちの間でさらに不安が広がり、同時にサキュバスがいかに恐ろしい悪魔かということが、『ヴェノムを行方不明にした』という衝撃とともに広まって行った。


 ――そして、ヴェノムの家では。


「すまない……私のせいだ、私がもっとちゃんと人員を回せば……」

「……その話はもうええよ、サクラ」

「けれど、」

「良いと言っておろう。……2度も言わせんでくれ」

「……はい」


 ヴェノムの家にいるのは、エイルアース、サクラ、ガンビット、サレナの4名。

 空気はあまりにも暗く、夜の森に静寂だけがあった。


「サクラさん、失策と言うならむしろ私だ。ウチからちゃんと手伝いを出すべきだったんだ……」


 同じく落ち込むガンビットがそう言った途端、隣に蝙蝠コウモリが飛んできて、煙とともに少女の姿へと変わる。


「只今戻りましたわ、ガンビット様」

「メーアスブルク……クーラは?」

「ダンジョン攻略で疲れてましたし、寝ております。後で褒めてあげてください」

「そうか……しまった、まだ声もかけてなかったな……」

「仕方ありませんわ、お友達がこんなことになれば……」


 うなだれるガンビットの肩に手を置き、彼女はそっと慰めた。それを見たエイルアースは、またすぐに視線を窓の外に戻す。


「ところでエイルアース様、一つ伺っても?」

「……なんじゃ」


 そこへ、強い目線でサレナが言った。


「ヴェノムさんって……?」

「……」

「ん?」

「どうしたんだいいきなり。ヴェノム君は別に唯一ってわけじゃ……」

「サクラ」

「え?」

「……誤魔化さないでください。貴女、もう気づいているでしょう?」


 その言葉に、場の空気が変わった。


「何故、あの方々がサキュバスの下にのを止めなかったんですか?」

「……」


 エイルアースが、サレナの視線に応じる。


「……誤魔化せんか」


 ため息をついてそらしたその目は、うっすらと虚無を映していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る