第86話 壊走

 赤紫の闇の中心、禍々まがまがしい星のようなその球体の中から這い出るように、『それ』は降り立った。それだけで場の全員が動きを止め、その威圧感に全身の細胞が気圧される。

 朝だったはずの空間は球体を中心にして闇色のドームに包まれ、空気がどろりとよどんだ気すらした。


「結界、じゃと……!?」

「初めまして、と言うべきかの? あれはコクリ……この不届きもの共の、おさじゃ♪ いやはや、今回はつまらぬマネをした……ここまで見事にやられてはな、流石のあれとて恥すら感じぬ。これはもう、退かざるを得ぬなあ」


 九本の狐の尾を広げ、悪魔は黒い着物を着崩して、笑う。

 ただそれだけで、全員が動けなかった。


「あっ、ぎ、ぎゃああああああ!」

「ほれ、謝罪するのじゃマーラよ。申し訳ありませんでした、と心から言えば、許してくれるやもしれぬぞ?」

「は、はぎっ、あああああああ!」


 九尾の悪魔は倒れた悪魔の胸に手を添え、心臓を抉るようにその手をかき回す。

 それが血を吹き、ぐちゃぐちゃという水音が混じるころに、


「……飽いたわ、消えよ」


 冷たくそう言い放ち、石化した蛇の悪魔は粉になって消えた。


「ふっ……。さて♪ 敵に囲まれ、あれは孤立。これはこれは困ったのう? 哀れに涙の一つも流せば……なんとかなるか?」


 すい、と目の下を人差し指でなぞる悪魔。

 するとそこには赤い化粧のような筋が描かれ、指でつまむ程度に小さな粒があった。


 そしてそれを舞うように投げると、その小さな粒は立ち尽くしていた女騎士の額に当たる。


「ひっ……ひああああああ!」

「イセラ!?」

「なにっ、何なのこれぇ!? 涙が、止まらない……! 助けて、誰か止めてぇ!!」

「あはははははは、もらい泣きか? 優しいことよのう!」

「や、やだ……こんな、」

「イセラあ!」


 スカーレットが叫ぶが、膝をついて倒れた女騎士は、血の涙を流して動かない。


「それ♪」


 そして次に、適当な女騎士と目を合わせる。


「ひっ……む、虫!? なんで、こんなのさっきまでいなかったのに!」

「カナン! 落ち着け! 貴様……!」

「おやおや? 吾が何かしたとでも?」

「ふざけるなあああ!!」


 大剣が振られ、火の鳥が狐の悪魔に向かって飛ぶ。


「おっと……ん?」

「森のエルフを侮るなよ!」

「ほう♪」


 それを尾で受け止めようとして、その全てに木の根が絡まっていた。

 そしてそのまま火の鳥が激突する瞬間、


「ふっ」


 その吐息一つで、鳥が消える。


「な……なんじゃと!?」

「くっ!」


 驚くエイルアースとスカーレット。

 しかし、


「全員退避ーーーーっ!! 馬車でも何でも良い、一人でも多くここから逃げろ!!」


 部下を抱えるスカーレットが、一番最初に撤退を選んだ。

 瞬間、半ば狂乱して女騎士達が逃げ出すが、倒れたイセラを回収したりとその行動にギリギリの理性は残っている。


「よく言ったスカーレット!!」

「加勢します、【聖域サンクチュアリ】!」


 村全体に光の波動が奔り、全員の狂乱がわずかに収まる。


「鬼ごとか? 懐かしいのう!」

「ヴェノム、コロラド! お主らも……」


 エイルアースのその言葉は、


「逃……げ……」


 まともに、続かなかった。


……お前!!」

「ごめんなさいね、ヴェノムさん。私、実は最初から裏切ってたんです……なあんてなぁ! アッハハハハ! その顔! 久しぶりに愉快よ!」


 そこにいたのは、九尾の悪魔の前に跪く八尾の猫の悪魔。

 その身体は明らかにコロラドの身体を乗っ取っていて、そしてその傍らには、地面に組み伏せられたヴェノムが苦悶の表情でもがいていた。


「お主……マサラか。久しいな。思い出したわその尾、その白い毛並み……吾が目覚めるまでは随分と遊んだのう? お互いに」

「……昔の話でございます」

「あ? お主そんな口調であったか?」

「身の程を弁えただけのこと……真逆まさか貴女様がそのようにお目覚めとは、つゆほども気づきませんでした。迸るその魔力……魔族の端くれとして、従いこそすれ邪魔立てしようなどとは考えられませぬ」

「クク……魔力が湯水の如くあったゆえな♪ 魔珠はほんに素晴らしい代物じゃ♡」


 そう言うと九尾の悪魔、コクリは難なくエイルアースの拘束を千切り、水色の魔珠を取り出して口に含んだ。


「この……裏切り者めが! マサラ! お主など信用したのが間違いだったわ!」

「黙れ。を殺されたくなければ、無様に逃げ帰るが良い」

「なっ……!」

「そこの聖職者もだ。を無視して来た挙げ句、恩も返せずここで死ぬか?」

「っ!」


 次の瞬間、コロラドを乗っ取ったマサラの背後にコクリが移動する。


「もう良い、マサラ。この魔力は移動に使う。……ただ最後くらい、華々しく去りたいものよのう?」


 にやにやと、悪魔が嘲笑う。


「……御随意に」

「そうか♪ では行くぞ、3、2、1」


 ――次の瞬間、朝の空に光が瞬いた。


 星のようなそれらは流星のように落下を始めて、色とりどりに輝くそれらは容赦なく森に近づき……


「逃げろーーーーっ!!」


 森を一つ更地にするまで、雨のように降り注いだ。


「アッハハハハ、アーッハハハハ! 愉快、これこそが愉快よ! なぁマサラ!」


 隕石のような着弾音の中、九尾の悪魔の高笑いが響く。


 ――こうして、悪魔との戦いは幕を閉じたのだった。

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