第78話 現れた敵の尖兵

 ギィン! と金属音が響いて火花が散る。

 そこに照らされた2つの顔は、まだ頬に酔いの残ったジャックと真顔をしたカラスの悪魔。

 普通、鳥はフクロウなどの夜行性を除いて夜目が利かないとジャックは思っていたが、そんな常識は通用しないようだった。

 くん、と鼻を鳴らしたジャックは、


「うーん、裏町の香りって感じじゃないんですけどねぇ、カラスの悪魔さん」


 と、相手を挑発した。


「私はエインだ、覚えておけ」

「そうですか。ねぇエインさん、僕、何か恨みでも買いました? いやまあ心当たりはヤバいくらいありますけど」

「先日の『極悪貴族、まだまだ帝都で麻薬取引!? 取引潰します!』で日間ランキング1位再生、他にも週間ランキング、月間ランキング常連……十分に獲物としてふさわしいよ」

「……再生順位?」


 カラスの悪魔、エインは腰の袋から黒い魔珠を取り出し、軽く投げる。すると目玉模様が浮かんだそれは、路地裏の中空にふわりと浮いた。


「へぇ、貴女も配信者でしたか」

「ああ。貴様の敗北には需要がある」

「買いかぶりですよ、僕なんて……おわっ!!」

「その顔、その声、その態度! なかなか良い素材だ、そそるぞ美男子!」

「か、過激なのはちょっと……」


 爪を振るう悪魔をジャックがかわすと、建物の壁に三本の線が走る。そしてガラガラとレンガの壁は崩れ、倉庫らしき壁の向こうが見えた。


「建物の破壊に暴力、これで性的コンテンツ追加したら配信停止ですよ!?」

「ふん、ならまた新たにアカウントを作るまでさ!」

「迷惑なっ……!」


『枯れた世界樹』の無くなった今でも、魔珠による配信のシステムは変わらない。

 以前から『枯れた世界樹』に保存された動画が公序良俗に反する場合、各地の王都または帝都の特殊な魔珠によってその動画をアカウントごと消去できたが、今は帝都の闘技場・チャンピオンバースにあった巨大魔珠が代わりに役目を果たしている。


(時間を稼げばこの街の警備兵が来る可能性は高い……しかしあの爪の威力、あまり巻き込みたくはないですね)

「考え事か!?」

「分析ですよ」


 振るわれた爪をジャックは紙一重で躱して、


「なっ、ふごっ!!」


 当てたのは肘だった。

 鼻が凹むかと思うほどの衝撃に涙を浮かべるエインを、


「ごふぇっ!」


 さらに容赦ようしゃなく蹴飛ばして、その身体が路地裏にうつ伏せの状態で転がった。


「ふ、くく……やるな人間……」

「わざわざ配信して、恥を共有することも無いでしょ。降伏してもらえません?」

「ふん、バカめ! 油断したな!」


 転がったのは、反撃の布石。翼と手足、合計6つの加速を利用して弾丸のように迫る悪魔を、


「背負ってきてて正解でした」


 ジャックは、垂直に立てた大剣で待ち構えた。


「なあああ!?」


 危うく自分から両断されに突っ込みそうになったのを無理矢理軌道を変え、悪魔は壁や地面でバウンドしてゴミ捨て場に突っ込む。


「あの……まだやります?」

「ふざけるな、グロはNGだろ!」

「知りませんよそんなの……」

「黙」


 れ、と言おうとして、顔の横にナイフが刺さる。

 冷や汗を流すエインの視線の先には、冷たい眼をしたジャックがさらにナイフを手に自分を見下ろしていた。


「次は当てますよ」

「ふひっ、ひ……」


 力量の差は圧倒的。


「ひははははは、やっぱり甘い!」

「!?」


 けれどその『力』は、ジャックが完全に予想外だった『上』から来た。


「油断したな人間、既に再生数は十分だ!!」


 赤黒い魔力の奔流。

 それはジャックではなくエインに注がれ、その身体が明確に力を増していく。


「しまっ……!」


 黒い入れ墨のような模様が入ったエインの腕に、盾にした大剣ごと弾かれ狭い路地裏をジャックの身体がバウンドする。


「がはっ!!」

「良い声だぁ、気に入ったぞ! ……あの方々も、そして私も満足できそうだ! あの方々のような偏執狂マニアではないが、お楽しみの時間はここからだぞ人間……♪」

「!?」


 悪魔の空気が変わったと思えば、レンガの壁に埋もれかけたジャックの服が、カラスの羽に縫い付けられてはりつけになる。

 そしてどこから取り出したのか、いつの間にか極端に露出度の高い黒羽のドレスに着替えたエインの手にはあまりにも長い鞭が握られており、しかも何故か蜂蜜のような液体に濡れていた。


「ど、毒使いか!?」


 タイミングは妙だったが、既に逃げられないこの状況、自身が甚振いたぶられる想像に、ジャックは慌てる。


「毒? とんでもない……これは媚薬びやくだ。あと興奮剤と幻惑剤も少し混ざっている」

「待っ……てことは……待て待て待て待て待ってくれ! せ、せめて殺すならひと思いにやってくれないか!?」

「それはできない相談だな……♪ それに殺しはしない、ちょっと何年か飼うだけだ。肌の色ツヤ、毛の長さ、血の味に至るまでちゃあんと管理してやる……♡」

「あああ゛あ゛あああ゛あああ゛あああ゛あああ゛あ゛あああ゛むごっ!!」


 なりふり構わない絶叫、とはこのことだった。しかし何か布のような物を口に投げつけられ、絶叫が止まる。


「はあ……♡ そう怖がるなよ、イイ声が枯れちゃうだろ……?」

「んん゛ーー!!」


 この世の地獄を目の当たりにしたような絶望がジャックを襲う。

 ゆっくりと一歩一歩、その表情を恍惚こうこつの表情で見つめながら近づく姿は、まさに悪魔。


 ――ただし、


「ジャーーック!! 無事ですかー!?」

「!?」

「【聖寂サンクチュアリ】!!」


――神はまだ、ジャックを見捨てていなかった。


 叫び声が響いた瞬間、光の輪が風とともに吹き荒れてジャックの瞳が落ち着きを取り戻す。そしてオーバーヘッドキックの要領で壁を蹴り砕き、解放した手で口内の布を引きずり出した。


「おぇ゛え゛! た、助かり」

「まだです!」

穿うがて、『天穿つ龍の牙ドラグーン』!!」

「合わせてください、マサラ!」

「ちっ、仕方ない!」


 光線と爆炎が炸裂してエインの足が止まり、苦々しげな表情のまま翼を広げる。

 が、飛び立つ間際に片膝をついて、


「この矢……麻痺毒か!」


 脚に刺さった投げ矢に気づいた。


「こんの……!」


 そして最後に誰かが跳躍する音を聞いて、


「痴女がっ!!」


 天空から大剣を振りかぶったジャックが、エインの身体を両断した。

 しかしその肉体は全て黒羽になって、後に残ったのは一本の長い鞭だけ。


「うっ、うっ……」

「どうしたジャック、何だったんださっきの奴とお前の酷い叫びは!」


 ヴェノムが問うと、子鹿のように震える脚のジャックがどうにか剣を杖に立ち上がる。


「い……」

「い?」

「生きてるって素晴らしい……」


 そしてそれだけ告げて、気を失った。


「ジャック!? おい混乱してんのか!? ジャーーーーック!!」


 その叫びは夜闇に響き、何事かと集まった野次馬達は戦いで破壊された路地裏を見て、慌てふためく。


 ――その後次の日の昼になるまで、ジャックは目を覚まさなかった。

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