第76話 何の変哲もない平凡な1日

 王都カキョムに朝日が上って、今日も平和な1日が始まる。


「なぁ知ってるか? あのヴェノムが帰って来たんだってよ」


『北区画城壁増築工事 第2事務所』と書かれた看板の立つ小さな事務所の中で、屈強な男たちが普段着から作業着へと着替えていた。


「いやいや単なる噂だろ? バカ言ってねえで早く行くぞ」

「ちょ、マジだって、駐屯所で見たやつがいたんだよ」

「ならどうせまた誰か捕まえたんだろ……オラ行くぞ、魔術師ギルドはもう現場行ってる」

「いやあいつら魔珠でピカーッてやるだけで壁が生えるのズルいだろ……」

「バッカ、んなことしたらすぐ倒れるだろ。上が計算して、俺たちが補強しながら建てるから壁になるんだぞ」

「うるせーな言ってみただけだよ、いやゴメン、ホント待って……」


 事務所の前に何台も馬車が止まり、男たちが入れ代わりで工事現場へ向かう。

 魔珠に照らされて急ピッチで進む壁の増築工事はかれこれ3ヶ月続き、王都カキョムはみるみるその区画を広げていた。

 そしてその工事現場からは魔力の尽きた照明用の魔珠が回収され、作業員たちの馬車とすれ違う形で工事現場から離れていく。

 倉庫街に着いたその馬車から、手早く商会の従業員が箱に入った魔珠を下ろした。


『ブリージ商会・魔珠倉庫 関係者以外立ち入り禁止!』


 そんな看板がかかる倉庫の中では、一列に並んだ従業員が空の魔珠のチェックを行っていた。

 いくつかの欠けたり割れたりした魔珠が廃棄され、まだ使える魔珠は別の倉庫へ。

 そこにある大型魔珠の周りには作業員達が手作業で魔珠と大型魔珠を触れさせ、魔力が充填された魔珠がまた箱詰めにされて運ばれていった。


「皆さん、作業は慎重にお願いしますよ!? ケガなく、ミスなく、事故もなく! 魔珠は危険物です、忘れないように!」


 そしてそんな中、視察に来ていた商会の長、ブリージ・ジオスタの声がして、その隣に秘書らしきメイドが立つ。


「ブリージ様、次の予定が……」

「おっとそうでした。では弁当の仕入れ、明日からよろしくお願いしますよ」

「かしこまりました」


 メイドの後ろで倉庫の管理職たちが頭を下げ、それを見た従者のメイドが小声で訪ねた。


「しかしブリージ様、無料弁当の導入とは……かなりの予算がかかるのでは?」

「美味しい食事は仕事への活力です! 『ブリージのところは他の商会より気前が良い』、コレはとても重要! 分かったら次の視察へ向かいますよ!」

「な、なるほど。感服致しました」


 倉庫の責任者達に深々と頭を下げられながらブリージは馬車で去り、中でサンドイッチを食べながら書類に目を通す。


「しかし、なかなか『ヴェノムショック』の売り上げは超えられませんねぇ」

「帝都に彼を取られてから半年……魔珠は鳥でやり取りしていても、やはりお客様の要望はそこですね」


 ブリージがぼやくのは、今ひとつぱっとしない雑貨屋の売り上げだった。

 ヴェノムがデビューした直後は『あの店に行けばヴェノムに会えるかも』という期待が売り上げを爆増させたが、ヴェノムが帝都に行ってしまえばどうしても期待値は下がる。


「ああ、ヴェノムさんも戻……むおっ!」

「ブリージ様!?」


 馬車からころりと転がり落ちるように降りて、ブリージは丸い体でもふもふと走る。それを追うメイドと向かう先は、ブリージ商会の雑貨屋だった。


「あの旗……ふふふ、待ちに待った時が来ましたよ!」

「あれは……!」


 窓からはためく紫の旗。

 それは『ヴェノム来店中』の合図だった。


「……やりやがったなアンタ」


 そして今、最上階の応接室で、昼食を食べながらヴェノムがブリージを睨んでいる。


「いやいや、『口には戸も鍵もない』と言うじゃありませんか。何処かからご来店が漏れたんでしょうねぇ」

「俺の名前を連呼しながらここへ来た奴のせいじゃないか?」

「まぁまぁ、秘密の地下道をご案内しますからお帰りはご安心下さいよ。いやーいつ見ても大通りまで溢れるお客様は素晴らしいですな」

「……見返りは貰うからな」

「三つ星酒場の個室券でどうです? 私の名前を出してもらうことにはなりますが」

「ったく商売上手がよ……貰っとく」

「あはは……」


 メイドからチケットの束を受け取り、ペラペラと枚数を確認するヴェノム。


「それで、今回はどのようなご要件で?」

「普通に買い物。半年も帝都にいたしな、道具にガタが来てる」

「わかりました、部下に持ってこさせましょう。しかし……流石の帝都も復興中はモノが足りませんか。カキョムがもっと帝都に近ければ店を出したんですけどねぇ」

「カキョムはもうアンタの独占市場みたいなもんだろ」

「いやいやまだまだ……元スラム街も土地が高くてねぇ。新しい壁の内側も早く買いたいですよ」

「そうかい」


 そうして仕入れと食事を終えたヴェノム達は、それなりに世間話をしてから街に出た。


「待ち合わせって夕方でしたよね」

「ああ……そうだな」


 言いつつ、ヴェノムの目は周囲を気にするようにキョロキョロとしている。


「ヴェノムさん? どうかしました?」

「あ、いや……ちょっと視線を感じてな」

「え、変装、バレちゃってます!?」

「……駐屯所まで行けば大丈夫だろ」


 そのまま駐屯所に着いて、向かったのは昨日と同じく所長室。

 ノックしてから入ると、白衣を来てマサラと対面で座るサクラがいた。


「はい、べーってして」

「うえぇ、不味い!」

「唾液は普通、と。やっぱり肉体はコロラドちゃんベースっぽいねぇ」

「だからそう言っておろう」


 医者と患者の位置関係で、文字通り診察を受ける悪魔と言う図はかなりシュールだった。


「おや早かったね。ちょうど今、健康診断が終わったよ」

「どうでした?」

「苦い、つまらん、めんどくさい!」

「やっぱり完全に受肉してるね。キミがイビルアイから受けた攻撃ってのは分からずじまいだけど、どうやらもう完全に君たちは別個体だ」

「へぇー」


 平然と感心するコロラドを見て、ヴェノムは呆れてため息をつく。


「他人事かよ」

「う〜ん、それならそれで良かったかなって思って」

「まぁお前が良いなら良いけどさ」

「ただ……今は良くても、物理的に離れるのはオススメしないね。多分自覚できてないだろうけど、君たちは長いこと一緒にいたせいで『離れようと思わない』ようになってる。魔術的な精神の変化だとしても、年単位で消えないだろうね」

「あー、だから離れたがらないのか」

「ん?」

「いや前に一回話し合ったんですよ、無理に俺たちと一緒じゃなくてもって。でも嫌がったんで……」


 そう言ってヴェノムとコロラドがマサラを見ると、


「何で今更離れねばならぬ。お主の言いつけ通り家事はしとるし狩りも行くぞ」


 見ての通りに、まるで独りになろうとしない八尾の猫悪魔の姿があった。


「……なるほどね。まぁ落ち着いてるなら別に良いか……」


 調べれば悪魔とわかる存在が、ここまでの落ち着きを見せることにサクラは内心驚いていたが、それは表に出さない。


「あ、そう言えばなんですけどサクラ所長、今夜お酒飲みに行きませんか?」

「へぇ、キミが誘うなんて珍しいね」

「いや、今日ウチに客が来るんですよ。だからサクラさんにも紹介したくて」

「ますます珍しいね、誰だい?」

「知り合いの配信者なんですけど、多分知ってると思いますよ」


 言いながらヴェノムが取り出したのは、黄色い魔珠。


「『勧善懲悪ノブレス・オブリージュ』って知りません?」


 その言葉に、サクラの瞳が驚きで見開かれた。

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