第5話 ほんとの気持ちと夜の宿屋

「いらっしゃいませ、『和気わき満腹亭まんぷくてい』へようこそ!」

「一泊で二名頼む」

「かしこまりました! こちらへどうぞ!」


 町の大通りに戻って宿屋を選び、さっさとベッドが二つある部屋に入ったヴェノムとコロラド。下の大酒場ホールに降りても良いのだが、今日有名ギルドを追放されたばかりのヴェノムにしてみれば行きたい場所でもなかった。


「さて、お勉強か……まずお前、使いかたわかるのか? とりあえずいくつか配信ってのを見てみたい」

「はい、大体は。これは放っておけば勝手に他人の配信動画が入っていくんで……」

「へぇー。魔珠まじゅの進化ってすげえなあ」


 またしても音を立てて空中に広がった画面をコロラドが指で送ると、何枚もの画面が横に滑ってくるくると切り替わる。

 そこに書かれている共通文字にヴェノムが目をやると、


「ニコニコ草(薬草)を限界まで煮詰めてみた、スラム街歩いてみた、黒の森縦断してみた……なんだこれ、自殺志願者のコミュニティか?」

「そんなのばっかじゃないですよぉ。例えばこれとか」

「これ?」


 コロラドが空中に指を躍らすと、それに反応した画面が切り替わる。


「リゴリの実からドラゴン彫ってみた……え? すごいな、リゴリの実ってこんな風に切れるのか?」

「面白いでしょ? この『モモ』って配信者の人、新人だし顔出しはしてませんけど再生数すごいですよ」

「顔出し……そういうのもあるのか」

「手だけは見えますし、声は聞こえますから結構太った人っぽいですけどね」


 見ると、『誰でもできる簡単なリゴリ彫り入門』と書かれた動画のわきに数字があり、どうやらそれがこの映像の再生回数らしい。

 そしてどうやらコメントも流せるようで、字幕による説明の上を白い文字が流れていく。その内容を見ると、『誰でもできる(大嘘)』『簡単(大嘘)』『入門(天界の門)』などと書かれている。


「ムチムチの手がつやつやでちょっと笑うな。菓子職人か? いやでもこの手はどっちかっていうと冒険者みたいな……」

「ご主人様ー。そういう考察はマナー違反ですよ」

「あ、そうなの……で、こんなのが何の役に立つんだ?」

「再生回数に応じて魔珠まじゅの制作会社からお金が入るんですよ。それか魔力払いってのもありますけど」

「魔力払い?」

「再生回数に応じて魔珠まじゅに魔力をチャージできるんです。だからそれをからの宝珠に移して、魔術師さんとかが買うんですよ」

「へー。使いきりの珠に移せるのか。それは普通に使えそうだな」


 使い切りだろうがなんだろうが、道具はその使い方次第だ。

 ヴェノムも仕組みは知らないが、魔力が込められた宝珠ともなればその使い道は多いことだろう、と、魔術師でなくとも察することはできる。


「これ、値段わかるか?」

「再生機能のあるものは金貨三枚とか……でも外付けの録画編集用魔珠ならもっと安いですよ」

「外付け? なんか面倒そうだな」

「一通りの使い方は前のご主人様に習いました」

「へーそう。そりゃ助かる」


 まぁ小遣い稼ぎくらいにはなるか……と判断して、使い方を手探りで理解していくヴェノム。


「ちなみにそれは録画も再生も編集もできるやつです」

「ふーん」


 そうして探るうち、この紫の魔珠の中に、一つだけ撮影した映像があることに気が付いた。そしてそのタイトルは、


『買った奴隷に未踏破ダンジョン歩かせてみた!』


 だった。

 それを見て、すぐに画面を切り替えるヴェノム。


「ご主人様? どうかしました?」

「いや……別に」


 いうまでもなく、この世界はどこまでも薄汚い。


「……なんか飲むか? 食いたいもんがあるなら言えよ。頼んでやる」

「えっ、いいんですか? じゃあ……」


 首に光る金属の首輪と、カタログを見ながら迷う無邪気な解放奴隷。

 それを見比べながらヴェノムは考えるのをやめて、今夜は食事を楽しむことにした。


 ――そしてそれからしばらくして。


「わぁ……」


 ずらりと並んだ料理を、小柄な従業員が運んできた。


「悪ぃ、頼みがあるんだが……」

「はい、なんなりと。なるほど、かしこまりました!」

「?」

「気にすんな、お前は食いたいだけ食え」

「はい!」


 コロラドが焼いた肉のパイや骨付き肉を頬張る向いで、ヴェノムは野菜のサンドイッチをかじる。先ほど耳打ちされた従業員は足早に去って、すぐに戻ってきた。


「大したものはございませんが……」

「買えればいいよ、ありがとうな」

「いえいえ、またどうぞ!」


 従業員が渡したのは、布の服。


「ご主人様、なんですかそれ?」

「いつまでもあからさまな解放奴隷ってわけにはいかないだろ。食ったら着替えろ。その首輪も服も捨てちまえ」


 ヴェノムにしてみればここまでしてきた新設の一環だったが、なぜかそこでコロラドの顔が固まる。


「……いいん、ですか? 私、奴隷ですよ?」

「いつの話をしてんだよ、それに奴隷はいらねえって言ってんだろ? しばらく頼むぜ


 そういった瞬間、コロラドの瞳が決壊した。


「ぐすっ……」

「は? おい……」


 そうとしか見えないほどの、大量の涙。

 ばたばたと料理に落ちる水滴を気にして、慌ててコロラドが皿をどかす。


「あ、ご、ごめんなさい……わたし、こんな、こと、してもらっ、た、のはじ、めて、で……ずっと、役立たずって、だから……」

「……あ、そう」


 コロラドはごくりと料理を飲み込んで、しかし涙は止まらない。

 粗末な布の服の裾を伸ばすようにして、彼女は何かに耐えていた。


「死ぬかと、思ってました……」

「うん」

「あの時、ご主人様が目の前でつぶされて、私が死にそうになって……ここ、天国じゃないですよね? だって、ここ、いつもの王都ですもんね?」

「……まだ寝ぼけてんのか?」

「いえ、起きてます……起きてるんです! 生きてるんですよ、私、私……!」


 さらに涙が流れて、床を濡らす。


「おい、お前……」

「コロラドです!」

「え」

「コロラドって、呼んでくださいご主人様……コロラド・アイト。それが私の名前です! お母さんからもらった、大事な……!」

「……わかったよコロラド。誰しも死にかけたらそうなるんだ……お前、自分がおかしくなってる自覚なかったのか?」

「知りませんでした……そうだったんですか?」

「あー……まぁ、な」


 生死にかかわる衝撃を受けたものが玉に陥る、ショック症状。

 ある程度慣れた冒険者ならそう起きる現象ではないが、生まれて初めて視線をくぐった者がショックで豹変するのはよくある話だ。

 スラム街に女一人、平気で現れたりする時点でヴェノムは確信していたが、一度薬で寝かせても治らなかったのは意外だった。

 ――つまりそれだけ、根の深い衝撃ショックだったということなのだが。


「ごめんなさい、ご主人様だって大変だったんですよね……あの酒場の店主さんから聞きました、私を助けたせいで追放されたって……」

「え? あのバカそんな言い方したの?」

「ち、違います! でも、ミノタウロスを毒殺したのは私が悪くて……」

「絶対違う。あの時の判断は仕方なかった。受付と経理のアホがわけわからん判断を下したせいだ」


 それはヴェノムの本心だった。

 多少の理不尽は耐えられる性格のつもりだったが、今日のことはどう考えても杓子定規しゃくしじょうぎなギルドが悪い。


「そう言ってくださって、ありがとうございます……ご主人様」

「ん?」


 ぽすん、と顔をヴェノムの胸に預けて、涙を浮かべたコロラドが甘えるように寄りかかる。


「……暖かいです」

「いや、まだお前その服で……」

「ご主人様が、ですよ」

「……」


 世界から、音が消えた気がした。

 見つめあう瞳が離れることなく、初めて二人は互いの顔をゆっくりと認識する。


(えっ……なにこれ、ここからどうしたらいいんだ?)


 故郷の森を出て、師匠に弟子入りして、それなりの年月を生きてきたヴェノム。

 その間にそれなりの『そういう経験』をしてはいたが、それは明らかに人並み以下。師匠も含めて色恋より研究に没頭するタイプで、それはもう一人の兄弟子も同じだった。

 だからこそこういう空気に免疫のないヴェノムは、今この時、何をすべきかわからず動けない。


「……とりあえず、服着替えて来いよ」

「そうですね。下着も……綺麗なものをいただきましたし」

「へ?」


 そういってぱらりとめくられた布の服の下には、わりと過激な新品の女性用下着が入っていた。


(あ、もしかして誤解されてたか!?)


 よくよく考えてみれば解放奴隷に首輪をつけたまま宿屋に連れ込んだのだから、

『そういう趣味』と思われても全く不思議はない。それで部屋に食い物と服を頼んだともなれば、ヴェノムは知る由もないが、現時点でとっくに従業員の間で『そういう噂』になっていた。


「シャワー、浴びてきます」

「あっはい……ごゆっくり」


パチン、と首輪が外れて、床に落ちる。


「……きれいに、してきますね」

(やらかした……のか!? そんなつもりは別に……! いやしかし!)


 脳内で、天使と悪魔の姿をしたヴェノムがせめぎあう。

 このままではパニックになった解放奴隷を手籠めにしたことになるぞ、と天使ヴェノムが言い、

 いいじゃんやっちゃえよ向こうはもうその気だぜ、と悪魔ヴェノムが言う。

 天使ヴェノムを蹴り飛ばそうとした悪魔ヴェノムが、カウンターパンチで吹っ飛ばされてふらふらと倒れた。


「コロラド」

「え?」


 ふと目を向けた先のコロラドは、服をすでに脱いでいた。

 彼女の体を隠すのは、備え付けのタオル一枚。そのほぼ裸の体を目の前にして、脳内の天使と悪魔が同時に爆発四散する。


「なんでもない」

「はい……それじゃあ」


 コンコンコン。


「……?」


 部屋の扉がノックされ、ヴェノムの視線がそちらに向く。

 そしてさっ、と顔を青ざめさせたかと思うと、


「コロラド」

「はい?」

「シャワー室にいてくれ」

「は、はい……」


 コンコンコン、とまたノックされて、ヴェノムはその音の出所を再確認する。

 どう聞いてもその音は従業員が叩く高さではなく、もっと『下』。


「お~いヴェノム~。いるんじゃろ~? 酒場にも来ないでな~にをしておるんじゃ貴様ぁ……」


 最悪だ酔ってやがる、と察した瞬間、ダンダンダン! と乱暴に扉が開かれ、解錠魔法によってたやすく扉が開いた。

 一応シャワーの音はするものの、あきらかにタオル一枚のコロラドが部屋をまだ覗いているこの状況で、


「今晩はお愉しみかぁ!? ヴェノム・ヴェネー!」

「お久しぶりですね師匠!! 会いたかったですうれしいなあ!!」


 ヤケになって、全力でヴェノムは叫んだのだった。








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