第4話 ケモミミからは逃げられない!

「よぉお帰り! 久しぶりじゃないかぃヴェ……ヴェ……ヴェックショイ!」


 王都の町はずれ、スラム街の端にある『よどみときだめの寝床』と書かれた看板のかかる小さな宿屋で、くしゃみ混じりの老婆ろうばの声が響いた。


「ヴェノム、な。ツィガばあ、久しぶりだな。世話になるよ」

「アンタが帰ってくるってことはドジやらかしたのかい? それとも珍しく誰か殺したかい? 誰でもいいよぉ、ウチに泊まってる間は何も起きないからねぇ!」


 シワだらけの老婆は、ツィガばあと呼ばれるスラム街の顔役かおやくだ。

 人間なのかエルフなのか、はたまた別の長命な獣人なのかすらも不明な彼女は、かつて裏街で産婆を務め、それによりあらゆる裏の有名人から中立の存在として生きているらしい。『イイ女は奪い合いだからねえ。アタシみたいなアイドルがいねえとこの街は華がねえだろ?』と豪語ごうごしているのを、ヴェノムは聞いたことがある。


「安心だよ。俺の部屋いじってないよな?」

「誰がいじるかい、あんな趣味の悪い部屋。あ、でもこの間顔の溶けた女がここまで転がって来たねぇ!」

「……肌に合わなかったんだろ、が」

「ヒッヒッヒ! 怖い怖い……」


 アンタのほうが毒より怖ぇよと内心で思いながらヴェノムは二階へ上がり、寝転がる酔っ払いをまたいで三階へ上がる。

 その中で一番奥、通りに面した大きな窓がある『最高級の部屋』で、荷物を下ろしたヴェノムは、粗末なベッドに寝転がった。


「この部屋も久々だな……」


 昔は安宿を泊まり歩いていたヴェノムだったが、ここだけは安心できる。

 ギルドを追放された今、とりあえず安全を考えての行動だったが長居するような場所ではないのでまずすべきは……


「……金がねえんだよなあ」


 体を起こしてリュックに部屋のものを詰めるが、有名化粧店の瓶に詰めた劇毒のビンは、床に落ちて空だった。他にもいくつかそれなりに値の張るポーションが盗まれている。

 顔が溶けたコソドロ女がどうなったかは知らないが、しっかり金目のものは盗んでいったらしいことにヴェノムはまたため息をついて、荷物の整理を続けた。

 ここは一晩程度泊まる分には安全だが、厄介者やっかいものとバレれば明日からの宿泊費が百倍になるので長居はできない。


(久しぶりに森暮らしか……あっちも無事だといいけどな)


 最悪またここに戻るのかよ、と嫌な想像をしながら、立ち上がる。

 すると窓の外から、


「たすけてー! ご主人様ー!」


 と、スラム街の風物詩のような声がした。

 その声に聞き覚えがあることに肩を落として、ヴェノムは窓から顔を出す。

 すると宿屋の前の大通りの角で、見覚えのある解放奴隷が、見飽きたようなチンピラに絡まれていた。


「ちょ、待てよお嬢ちゃん! 俺たちはまだ何も……」

「ご主人様って、お前鎖がねえじゃねえかよ! いい子だからオレたちと来い!」


 と、慌てた様子の二人組の背後について、ヴェノムが声をかける。


「うっす」

「あん? なんだおま……ひぃっ、ヴェノムさん!」

?」

「ご主人様!」

「お前なんでここにいんの……あーでもツィガ婆くらい知ってるか」


 もっと早く出ていけばよかった、と思いながら、期待のこもった瞳でヴェノムを見てくるコロラドに、さらにヴェノムは気が滅入った。


「ヴェ、ヴェノムってあの、恐ろしい【ポイズンマスター】の!?」

「馬鹿野郎さんをつけろ! す、すいやせんヴェノムさん!」

「ひぃっ! すいやせん!」


 慌てて頭を下げるチンピラに、逆にヴェノムは戸惑う。


「……あのさ、俺はお前らを知らないんだけど、なんで俺を知ってんの?」


 ヴェノムがそう問うと、兄貴分らしきチンピラがヘコヘコと頭を下げる。


「へ、へへへ、ご冗談を……ポイズンマスター様を知らねえ奴なんていませんや、大王トカゲを殺して森に住み、ツィガ婆のところの部屋を借りたと思えば女強盗団の頭目の顔を焼く、『不可侵ふかしんのヴェノム』様じゃないですか……で、ですからどうか命ばかりは……」

「あ、そう」


 裏町の噂を否定するほどヒマでもないが、

(俺、不可侵ふかしんなのか……)

 という妙な寂しさは拒否したかった。

 それと強盗団の頭目なら、他人の化粧水(偽)を盗まないでほしい。


「ご主人様! 探しましたよぉ! どうして置いていくんですか!」

「こ、こいつのご、ご主人様ってヴェノム様!?」

「いや、違……」

「そ、そうとは知らず大変なご無礼を! お許しくだせぇ! どうか!」

「あのな、だから……」


 否定する間もなく、チンピラ二名は風のごとく去っていった。


「……はわぁ……さすがですご主人様。名前だけで人が逃げるの、初めて見ました!」

「俺も初めてだよ。で、お前どうやってここまで来た?」

「えっ。普通にスラム街のことならツィガ婆の宿に行けって聞きましたけど」

「誰に?」

「さっきの店の店主さんに……ですけど」

「……まあ、妥当なとこか」


 スラム街を何も知らずにうろつくなど一晩生き残れただけで奇跡だが、ツィガ婆さんの宿だけ教えたのはスペークなりの優しさだったのだろう。これで怪しい素振りでもあれば、嘘を教えてそれで終わりだ。

 そしてこれ以上ほっとけば、コロラドがまた危険な目に合うのはわかりきっていた。


「はぁ……奴隷を持つシュミはねえんだけどなあ」

「えっ、ご主人様になってくれるんですか!?」

「……使い道があるならな」

「わーい、ありがとうございます!」


 その能天気な様子に頭を抱えつつ、ヴェノムは色々とあきらめて、この解放奴隷の使い道を考えることにした。風俗店に放り込むのは論外で、かといって助手も要らないよなぁ、と思考をめぐらす。

 とりあえずツィガ婆のところには泊まれないので(連れ込みは別料金)、別の宿ないし今日の宿を探す必要があるのだった。


「ところで趣味がどうとか言ってましたけど、私の使い道って趣味じゃなくて実益じゃないんですか? お金儲けしましょうよ、私、ご主人様のためなら何でもがんばりますよ?」


 適当に歩き出したヴェノムに付き従うように、首輪がついたままの獣人、コロラドが歩き出した。

 ピコピコと揺れる黒い尻尾は上機嫌そうだが、だからと言ってなんの役にも立たない。


「そっちのほうがもっとねえよ、俺は一人で生きてきたんだ」

「ギルドに属してませんでしたっけ?」

「それはガンビットの奴に無理やり……それはいいとして、お前このあとどうすんの? したいことがあるなら今のうちに言えよ」

「え? 私が決めていいんですか?」

「他人が決めるわけないだろ」

「うーん、何にもないですねえ」

「何もない?」

「私、売られてこの街に来ましたし。したいこととか何にもないですよ」

「……」


 そりゃそうか、と内心納得するヴェノム。

 コロラドは平然としているようで、その瞳の奥は夜の砂漠よりも虚無だ。

 だから奴隷って気味が悪いんだよなあ、と内心だけで呟いて、ヴェノムは方針を変えることにした。


「あ、でもご主人様のためになることなら何でもします!」

「……じゃあ俺が稼ぐ手伝いでも……って言ったところで、金を稼ぐアテもないんだよなあ」

「無いんですか?」

「そりゃそうだろ」

「ソロ冒険者とか……」

「お前ねー、吟遊詩人ぎんゆうしじん英雄譚フィクションじゃないんだから、ソロで冒険者なんかやっても大した仕事クエストなんてできねえよ」

「でもご主人様はミノタウロスを倒したじゃないですか! お一人で!」

「……お前、それ本気で言ってんのか?」


 足を止め、真剣にあきれた表情でヴェノムは言った。

 その表情を受けて、笑顔だったコロラドが困惑したような表情に変わる。


「え……あの、申し訳ありません、私、何か失礼なことを言ってしまって……」

「いや、失礼ってことはねえけど……まあ誤解されがちだしなあ。言っとくけど、毒ってのはからな?」

「え、でもあんなに大きなミノタウロス倒したのにですか!?」

「そりゃミノタウロスに毒耐性が無くて、周りに他の連中がいたからだよ。毒耐性があれば詰み、俺一人なら逃げ切れるわけもなくてよくて相打ち。わかったか?」

「……はい」


 英雄譚フィクションに毒使いなどいるわけもなく、せいぜいが有効なポーションの伝説くらい。

 決して英雄的ではなく、別にそれを目指すような熱い心は持っていない。それが毒使い【ポイズンマスター】だと、ヴェノムは師匠の言葉を思い出していた。


「だからまあ、俺たちで金を稼ぐ方法を考えないとならんのだが……」


 再び風俗店が頭をよぎるが、それを振り払ってヴェノムは考える。


「……前のご主人様がやろうとしてたことなんですけど」

「うん」

……って、ご主人様は興味あります?」

「……配信者? ってああ……『映像魔法宝珠えいぞうまほうほうじゅ』の?」

「それです! 一個だけですけど、それを持ってるんですよ私!」

「へぇー」


 ごそごそと布小袋を探るコロラドが、中から紫色の映像魔法宝珠――通称・魔珠まじゅを取り出す。


「……興味ないです?」

「うん。詳しく知らんし……儲かるの?」

「最近いっぱいお金稼いでる方がいるらしいですよ。これでも十分ほかの配信は見れますし」


 フォン、と音もなく宙に浮かぶ、板のような映像。

 本来は録音録画した内容を録画し、再生するかしないかしか選べないが、最近は魔法技術の発達で録画再生だけでなく編集や加工までできるという話だった。

 しかし根なし草の冒険者からしてみれば腰を落ち着けて見たい動画などそうあるはずもなく、冒険の役にも立たないそんなものを買うくらいなら安いナイフの一本でも買ったほうが百倍役に立つというのが冒険者全体の総評だった。


「配信者ねえ……ま、やることもないし調べはしてみるか」


 ヴェノムたちは知る由もなかったが、この時のこの判断が後にこの王都を巻き込む大騒動の発端になるとは思いもよらなかったのである。



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