第2話 彼女にとって最も幸運な出会い
――運命の出会いなんて、どこに転がっているかわからないものだ。
神様は何種類かいるらしいが、運命はたった一つ。
であれば、どうせ祈るなら私の運命を決める女神様に願ってみたい……というのが、彼女、コロラド・アイトのポリシーだった。
そしてそんな彼女は頭に生えた黒いケモミミをぴこぴこと揺らしながら、踊りだしそうなほど軽い足取りで王都を歩き、軽やかなステップを踏む。
「あはー、世界が輝いて見えます!」
黒い尻尾に黒い耳、猫の獣人に見える彼女の首と、手首と、足首にはくすんだ鈍色の金属の輪。
鎖のついていないそれは、彼女が『解放された奴隷』であることを示す姿だった。
ナイフと水筒と布袋に布の服、という最低限の装備を与えられた彼女は、周りから見れば逃げてきた奴隷そのもの。しかし鎖がついて無いということは彼女の身は自由であり、あとはどこかのギルドにでも助けを求めればそれで彼女が奴隷であった証は消え、行動の自由が保障されるということが一目でわかった。
だからまずは不名誉な証を取り払うのが優先だろう……普通なら。
「でも……やっぱりまずはあの人に会うのが先決ですよね!」
格好なんかよりも、彼女は『彼』との出会いを優先する。
スキップするような足取りで彼女がたどり着いたのは、ここ王都の中央にある『
「まぁでもすぐ会えるとも思えませんし、ちょっとここで待てば……」
と、コロラドは腰を下ろして待つことにしたその時だった。
「くそっ、ふざけやがって石頭が!」
「?」
即座に、運命の時は訪れる。
怒りに任せて足を動かしていたせいか、コロラドとぶつかりそうになる一つの人影。
「きゃ」
「あ、失礼……すいませ」
「あー!!」
「ん……あ?」
指を向けて驚くコロラドの、指の先には『彼』がいる。
あの時死を待つだけで震えていた自分を
ところどころ紫色の房が混じった髪に、沼のような生気の無い眼。冒険者にしては細身の体躯……それらがコロラドの目には今、どんな英雄よりも輝いて見えた。
「ヴェノム様!? ヴェノム様ですよね!?」
「様……って呼ばれる覚えはないぞ、アンタ見た感じ開放奴隷か?」
「はい、今はそうです!」
満面の笑みを浮かべるコロラド。
それに対して何やら考えているヴェノムの頭に、何かが閃く。
「あー思い出した、お前ダンジョンにいた……誰の奴隷だったっけ。確か死亡リストに名前が……」
「ズック・ズー様です。前のご主人様ですね。残念ながらお亡くなりになりました」
「そうだったよな……まぁ、でもアンタこれで自由の身だろ?」
「はい! だからですね……」
「だから?」
「私を買ってください、ご主人様!」
その言葉に、周囲からの目が集まる。
素直に驚く者、ヴェノムを軽蔑の目で見る者、コロラドを値踏みし、羨ましそうな視線を向ける者など様々だったが、奴隷を持つ趣味のないヴェノムは顔面を片手で覆って赤面した。
「……今日はなんなんだ? 厄日か?」
「はい?」
「あー、あれだ……とりあえず、酒場行こう、酒場」
「ここも酒場ですけど」
「色々あるんだよ! 黙ってついて来い!」
その言葉をどう解釈したのか、コロラドは表情を輝かせて、
「はい、ご主人様!」
そう高らかに、宣言した。
――それからしばらく王都を歩いて、小さな酒場に二人は入る。
「よぉ【ポイズンマスター】! 噂になってんぜ! 追放されてやんのーぎゃはは!」
「うるせぇよスペーク! 食い物出せ!」
「はいよ、マイハニー、なんか出してやってくれ!」
「は~い」
ヴェノムが金貨をサイドスローで放り投げると暗い酒場の奥にいた熊の獣人が毛深い手でそれを受け取り、近くにいた小柄な熊の獣人が上機嫌に
「はぁ……」
「ここがご主人様の行きつけの店なんですか?」
「そうよ~? いつでも来てね、猫……猫? ちゃん?」
「はい! 素敵なお店ですね!」
「そう見えるんならお前の目は節穴だよ」
最低限の採光窓しかないこの小さな酒場は街からの位置も悪く、店内がただでさえ狭いのに酔っ払いが何人か転がったままだ。
「酒は安くてまずい、これでスパークさん……アレの嫁さんの飯がまずけりゃあの熊野郎は用心棒に逆戻りだろ。ま、下戸の俺には関係ないけどな」
「あら、アンタが褒めるなんて珍しいじゃない?」
ドコッ、と音を立てて、細腕の上にギリギリまで乗せた皿が小さなテーブルの上に運ばれる。沼ガエルの丸焼き、丸鳥の丸焼き、雑草と薬草の炒め物……見ただけで質より量とわかるメニューだった。
「俺は嘘は好きじゃない。つくけどな」
「へへぇ~性格悪ぅ~。お嬢ちゃん、変な男捕まえたわねぇ」
「ご主人様は良い人ですよ? クエスト中のダンジョンで助けてくれました!」
「あらそうなの。実はウチの旦那もね~」
「その話そろそろ五十回目だぞ、更年期もがっ」
「うるさいわね、お邪魔様。……気は遣いなさいよ」
「んぅ」
去り際にフォークに刺さったカエルを口に突っ込まれ、最後の一言はヴェノムにしか聞こえない音量だった。
「食べてもよろしいですか?」
「んぅ」
カエルの軟骨を噛み砕きながら、ヴェノムは記憶の糸をたどる。
確かに今回、ミノタウロスの討伐開始時の『
「……今回は、災難だったな」
「そうですね」
「名前は?」
「コロラドです!」
酒や料理があっても、失敗したクエストの跡の食事はどこか暗い。
魔術隊が睡眠魔法をかけ、効きを確認してから
それにより目を覚ましたミノタウロスが討伐隊に気づき、暴れ、バフが不完全な状態で三名の脱落者が出た。しかもその中にリーダーのアレックがいて、戦場から逃がそうとしたタイミングで指示の空白が生まれてしまったのだ。
暴れ回るミノタウロスを前に、撤退か戦闘かの指示もない。死者も出たそのタイミングでパニックは目の前だったが、誰かが放った火薬タルが爆発して、その音に全員の意識が戦闘に切り替わった。
そしてそのタイミングでヴェノムが毒ナイフを用いてミノタウロスを毒殺した……というのが、今回の
「あの火薬タルが無かったら危なかったよ」
「アレ、誰がやったんです?」
「さぁ。火薬使いもあんまりいないからな……毒使いほどじゃねえけど」
「そーですね! 流石マスターです!
「……
「それです!」
「はぁ……」
たぶんコイツかなりアホだな、とヴェノムは思った。
奴隷が命懸けのクエストから帰り、しかも主人がいないのだから好きに生きれば良いのに、と思いつつ、それが難しいことはヴェノム自身も知っている。
生きる術を知らない奴隷を解放してやってもまた戻ってくるというのは有名な話で、
『やっぱりご主人様のところが最高です』
と言わせるためにわざと自由を与える変態貴族もいるらしい。
「凄く美味しいです! マスターも食べ」
どすん、と音を立てて、コロラドの顔がサラダに沈んだ。
「ぐぅー……」
唐突に眠りに落ちた彼女を、不審に思う者はここにはいない。
かと言って『お持ち帰り』されない程度には安全なのがこの酒場だった。
「……追加でカエル3匹持ち帰りで。
そう言うと、スパークがまたテーブルに戻って来た。が、料理に突っ伏した彼女を助ける様子はない。
「あら可哀想。拾ってあげれば良いのに……あなたの兄弟子さんもそうしたし、あなたの師匠もあなたを拾ったんでしょ?」
「師匠が拾ったのはガキの時の俺だよ、こいつは成人してんだろ。アニキは……なんかハーレム作ってるっぽいけど詳しくは知らん」
「精力剤作るのやめちゃったんでしょ? 惜しかったわね」
「一切惜しくないし今それ言うのやめろ。何にせよ追放されたんだから、俺はしばらく身の振り方考えるよ。騒がせたな」
「どこ行くの?」
「しばらくはどっかの安宿に泊まるさ」
「黙って町を出たりしないでよね? 大切な常連さんなんだから」
「……どうだかな。しょせん冒険者なんて野垂れ死にが当たり前で……」
「あなたのお師匠さんに居場所聞いちゃうかも」
「そんな時は必ず言うよ、長い付き合いじゃないかハハハ」
乾いた笑いとともに、席を立つヴェノム。
「そう。なら良いけど。じゃああと銀貨二枚寄越しなさい」
「なんで?」
「迷惑料。ウチの料理に眠り薬なんて混ぜないでよね」
「そりゃ失礼」
「ぐぅー……」
寝息を立てる獣人を置いて、去り際に投げられた丸焼きカエル入りの紙袋を受け取って、ヴェノムは去った。
「ったくあのお人好しめ、金貨投げておいてろくに食わずに帰りやがる」
それを見て、不服そうに腕を組むスペーク。それを傍らで見上げて、妻であるスパークもため息をついた。
「流行りじゃないけど、別に奴隷持ちなんていくらでもいるのにねぇ。カモられるわよ、ああいうのは」
「違ぇねぇ。2階に部屋用意しておくよ」
「あら、お代は?」
「今お前が隠した銀貨一枚」
「バレたか」
「……と、あいつが忘れた釣り銭からだな。ウチがぼったくりになっちまう」
「アンタのそう言うところ、好きよ私」
「おお、マイハニー! 俺はお前の全てを愛してるぞ!」
「あなた!」
「ぐぅー……」
ひしっ、と熱く抱き合う夫婦の下で、未だに寝息を立てるコロラド。
しかしその鼻先にサラダの葉が触れて、
「くしゅん!」
「あ」
「……?」
目を覚ますと、コロラドの横では酒場の夫婦が抱き合っていた。
「あ……その、おじゃましました……じゃなくて! ご主人様はどこですか!?」
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