第3話 約束を果たしに
お通夜の晩にばあちゃんと交わした『ばあちゃんの家に一人で行く』という約束は果たせないまま気が付くと二か月もの時間が経っていた。それほど時間がかかったのには訳があった。葬式が終わった後、僕は深い『じいちゃんロス』に陥り、なかなか立ち直る事が出来なかったのだ。それでも少しづつではあるが心を整え、やっと今日ばあちゃんとの約束を果たすために電車に一人飛び乗ったのだった。
ばあちゃんの家に着くと、僕は玄関のチャイムに手を伸ばしたまま、押すのを一瞬ためらった。なかなかばあちゃんの家を訪ねることができなかった事で、ばあちゃんに怒られるのではないかという考えが浮かんだからだ。しかしここまで来て帰るわけにもいかず、僕は一度引込めかけた手を伸ばしてチャイムを鳴らした。ばあちゃんは玄関の扉を開けると満面の笑みで迎えてくれた。僕の不安は霧散した。
家に入った僕をソファーに座らせると、ばあちゃんは台所に向かった。ふと見ると居間の隅に小さな仏壇があり、じいちゃんの写真が飾られていた。その写真はちょっと照れたような、僕の大好きなじいちゃんの笑顔だった。「じいちゃん、久しぶり」僕は心の中でゆっくりとじいちゃんに挨拶をした。
「どう?いい写真でしょ?私が大好きな
背中からばあちゃんの声がした。仰ぎ見ると、ばあちゃんがお盆の上から氷を入れた麦茶のグラスを僕のテーブルの上に置いてくれるところだった。暑い中歩いてきた僕は「ありがとう、いただきます」と言うと〝ゴクゴク〟と一気にグラスを飲み干した。
「暑かったろう?それにしてもよく来てくれたね。裕太は約束を忘れちまったかと思ったよ。」
コップを置いてばあちゃんを見ると、ばあちゃんは悪戯っぽい笑顔を湛えて僕を見下ろしていた。
「なんか学校の事やら何やらで忙しくて…ごめんなさい。」
僕はここに来る前から、なかなか来れなかった事を先ずはばあちゃんに謝らなければと思っていたので、それだけ言うと頭を深々と下げた。
「裕太、顔を上げなさい。私は怒ってなんかいないよ。」
そう言われて僕は顔を上げた。
「それより良く約束を忘れずに来てくれたね。実はね、賢司さんから『もし裕太が私の遺言だと言っても我が家に来なかったら、秘密は封印するように』って言われていたの。」
「じいちゃんの秘密?」
「そう、賢司さんの秘密。」
「えっ?何秘密って??」
予想もしていなかった『秘密』という言葉が飛び出し、僕の頭は混乱していた。そんな僕の様子を楽しむかのようにばあちゃんが話を続けた。
「私の言葉では説明するより、あなたが心で感じる方が理解をするには近道なの。賢司さんの部屋に行ってみて。あなたが自分で見つけなければならないの。賢司さんは言っていたわ、『裕太なら、きっとその扉を開くだろう』って」
「じいちゃんの部屋?」
「そう賢司さんの部屋。あなたが小さい時に賢司さんと過ごした大切な場所。覚えているでしょう?」
「じいちゃんの部屋に入っていいの?」
「もちろんよ。そしてどこかにあなたへのメッセージが残されているはず。それを探してみて。」
僕はグラスの中で融けた水を、小さくなった氷ごと一気に口に入れると立ち上がった。何か突拍子もない展開のように思いつつも、どこかこういった日がいつか来ることを予感していたような気もした。
じいちゃんばあちゃんの家は少し変わっていて、上から見るとカタカナの『ロ』の字に居間や洋室が配置されていた。そしてじいちゃんの部屋はその母屋からは切り離された『ロ』の字の内側、中庭の中央にポツンと建っていた。
離れになったじいちゃんの部屋の前に立つと、幼い頃の記憶が蘇った。本を読んでくれたじいちゃん、若い頃の話を聞かせてくれたじいちゃん、そして不思議な手品を見せてくれたじいちゃん。じいちゃんの想い出は尽きなかった。そんな思い出たちを搔き集めながら僕はじいちゃんの部屋の扉を開けた。
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