第39話 ソーラン

 右手を空に掲げる。

この動作を何度行ってきたことか。

私が右手を挙げると音楽が鳴りはじめて、全員が踊り出す。


センターを任されてからこれまで、私にとってこの瞬間は最も恐ろしい瞬間だった。

私のミスで全てが無駄になるかも知れない。

そう思うだけで右手は石のように重くなる。


でも、今日は違う。

タロの言葉が私に力をくれた。

チームで一番下手くそ。しかも少し気が弱い。

でも、誰よりも勇敢で一生懸命。

ソーランを舞う私の体は、嘘みたいに軽い。


タロがキャプテンで本当によかったと思う。

もう少し歳が近ければ惚れていたかも知れない。


ダンス冒頭はソーランパート。

太鼓と笛の響きが、私を昂らせる。

ソーランで大切なのはメリハリだ。誰よりも強く、高く飛んでみせる。

そうする事で全員を引き上げられる。

自分の役目は皆を連れていくこと。そして守ること。

それがセンターの務めだ。

私は誰かに庇護されるような存在じゃない。


皆、練習通りに踊れている。

もしかしたら練習の時よりも動きがキレているかも知れない。

私は去年のチームを勝たせることはできなかった。

真ん中で踊りたいという気持ちは本当だったけど、富山達の圧力に悩むメンバー達に寄り添うことが私にできなかった。

富山に担ぎ上げられた、という形に隠れて私は自分のエゴを通した。

辞めてしまったメンバー達の姿は今も目に焼き付いている。

たくさん後悔もした。私も辞めようとすら思った。

でも、私の居場所はやっぱりここしかないと確信している。


やっぱり私はセンターで踊るこの時間が一番満たされる。

振り付けが進む度に観客達の心がこちらに向かうのをはっきりと感じる。

いくら謝ってもあの人達は帰ってこないと思う。


私は本当に罪深い。

あの時、センターを任せてほしいと自分の言葉で言えたなら。

他のメンバーともっとコミュニケーションを取れていたのなら。

後悔の念は繰り返し、尽きることがない。

でも今の私ははっきり胸を張って言える。

チーム鳴神のセンターは私しかいない。私が皆を連れていく。

私が皆を勝たせてみせる。

ほら、ノッてきた。



気に入らないことはある。

俺はついこの間までジムの主だった。

金と発言力さえあればすぐに周りに人間は集まった。

邪魔な存在は排除すらしていた。

誰よりも尊重され、全員に顔色を伺われる男。

それが俺だった。

そのためには多少の虚勢も張った。

全てが変わったのはタロとマーヤのせいだ。


奴らの存在がゆっくりと俺のメッキを剥がしていった。

気がつくとあれだけ金を遣ってやった取り巻き達も離れていった。

最後の意地で直前にチームを抜けてやろうと試みたが、あろうことかタロの野郎は追いかけてきやがった。リエまで連れて。

あの時のリエの顔ときたら。


遺憾ではあるが俺はチームに残り、今こうして踊っている。

リエは俺の気持ちに気づいている。

その気恥ずかしさは、正直耐え難い。

本当に気に入らない。


しかしなぜかここは前よりもずっと居心地がいい。

取り巻き達も変わらず俺の周りで踊っている。

観客達よ、俺達のソーランを見ろ。

おっさんの力を見せてやる。

こんな景色も悪くない。

リエの踊りも去年より遥かに凄まじい。

気づいているのなら、もう少し真剣に口説いてみようか。

タロとサーヤには今度焼き肉でも奢ってやるとするか。




なにも考えなくても体が勝手に動く。まるで羽のように体が軽い。

振り付けの所々で目に入る旦那もとても楽しそうに踊っている。


私は本当に満たされた気持ちになる。

私達夫婦には子供がいない。

今月もまたリセットだった。

結婚してから10年。私も旦那ももうすぐ40歳だ。

もう、あまり時間がない。

結婚したのが、少し遅かったから?

運がないだけ?

レスの期間が長かったから?

色んな可能性を探ってみたけど、まだまだ私達に結果は出てない。

妊娠には運動がいいらしい、ってことで入会したジム。

いつの間に古参メンバーと呼ばれるようになってたね。

このジムで知らないことなんてなにもない。

ジムの会員さんの個人的な情報から、スタッフの間の人間関係も。

そして、私はアナタの事で知らないことなんてなにもない。

アナタが半分諦めていることも、私が悲しまないように毎日ジムに連れ出していることも。

自分だって不安でたまらないくせに。

今日は本当に体が軽い。皆と一つになれている感覚を初めて味わっている。

このジムは私達にとってなんなんだろう。

ここで踊って、私たちに何かいいことがあるのかな?

正直、わからない。

やっぱり不安はある。それを紛らわせているだけなのかも知れない。

でも、さっきのタロの言葉はさすがに響いた。

私は大好きなんだ。

このジムが。そしていつも一緒にいてくれるアナタが。


もうすぐソーランパートが終わる。

このあとはアナタの好きなズンバパートだよ。

知ってる?

アナタ、ズンバそんなに上手くないんだよ?

知ってる?

私、そんなアナタが大好きなのよ。

知ってる?

今、最高に楽しいの。

それになんだかわからないけど、いい予感がするの。

来月こそはって本当に思う。

ほらソーランパートが終わる。

いつものズンバを一緒に踊りましょう。

私、一生アナタについていくから。



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