第36話 ある暑い夜に
本番まであと一週間。
チーム鳴神が出場するよさこいソーラン祭りは二日に渡って開催される。
初日は前日祭となっており、出場チームが順番にチーム紹介を行ったあと、演舞を行う。
そのあとは練り踊りといって、町中の至る所でパフォーマンスを披露することになっている。
前日祭なので、ここでの演舞に順位はつかない。
肝心なのは二日目だ。
本踊りと銘打たれた二日目の催しで、いよいよ優劣をはっきりとつける。
今年の優勝候補筆頭は地元チームである「風龍」。
昨年優勝した本格的なソーラン踊りのチームだ。
厳しい戒律がある事で有名で、一糸乱れぬ迫力ある演舞が最大の武器と聞いている。
その他にも大学生のチームやダンススクールからの参加チームなど、全15チームが参加する予定だ。
僕達チーム鳴神もその中の一つだ。
去年は予選落ちという結果に終わっているが、今年のチームはセンターのリエさんを中心に去年以上の仕上がりとなっており、なにより鳴神にはマーヤがいる。
優勝争いに食い込める可能性を秘めた僕達にとって、この時期はとても大切な期間だった。
それなのに、僕の気持ちは不安定なままだった。
どうしても心のベクトルがチーム鳴神よりもモンスターハウスに向いてしまう。
木澤さんとトイレで話したあの日から僕は戒めのようにモンスターハウスから足を遠ざけていた。
それなのに不思議な焦燥感がいくら時間が経っても拭うことができない。
あれだけ好きだったナルカミスポーツジムの景色はどんどん色褪せていく。
マーヤとサムエルはそんな僕の様子に気がつく気配がない。
佐伯さんだけが、時折優しい言葉を投げかけてくれた。
練習は日々、加速していく。
充実した表情のメンバー達の顔を見るたびに僕の胸は押し潰されそうだった。
僕はキャプテンなのに。
僕のチーム鳴神への熱量はメンバーの誰よりも低いものになっていた。
そして、ついに最後の練習が終わった。
僕はどこか悶々とした気持ちのまま最後のポーズを決めていた。
練習が終わり、メンバー達から大きな歓声があがる。
監督の青木さんから、キャプテンとして練習の総括と明日への意気込みをスピーチするように促された。
促されるまま全員の前に出る。皆、僕がなにを話すのか期待した表情で一同に押し黙った。
「皆さん、お疲れさまでした」
半年に及ぶチーム鳴神の活動もあと二日で終わる。
本番が終わればチーム鳴神は一旦解散だ。
大切な話をしなければいけないのに、どうしても頭が回らない。
「本番もケガなく、頑張りましょう」
当たり障りのない内容を語り、僕のスピーチは終わった。
自分が一体なにを話しているのか正直あまり理解できなかった。
サムエル達とシャワーを浴び、ナルカミスポーツジムの外に出ると辺りはすっかり暗くなっていた。
まだ夏には遠いのに、今夜はうだるように暑い。
マーヤが明日は頑張ろう!と意気込んで颯爽と帰っていった。
サムエル達も彼女に続き、帰宅していった。
まだ閉館作業中のナルカミスポーツジムの明かりだけか煌々と宵闇を照らす中で、僕は一人になった。
家路につく為に自分の車に乗り込む。
ナルカミスポーツジムに入会した時は、一人帰るこの時間をとても寂しく感じたものだ。
いつの間にか何もかも違っている。
ナルカミスポーツジムに対する想いも、自分自身も。
大切な仲間がいる。
それなのに僕は変化している。
野球を諦めてレスリングに転向したあの時のように、僕はまた大切な物から逃げ出そうとしている。
無我夢中でエンジンをかけた。
聞き慣れた駆動音が車中に鳴り響く。
「君はボディビルダーだ」
テツさんの言葉が頭の中にこびりついて離れない。
振り払うかのように車を発進させた。
愛車はぎこちない動きで僕を駐車場の外に運んだ。
家路への道中も僕の逡巡は一向に収まらない。
退屈な日常、怠惰で中途半端な自分を変えたくて入会したナルカミスポーツジム。
ここでマーヤ達と出会い、チーム鳴神に参加した。
だらしなかった体も引き締まり、避けていたチームワークも克服できた。
今はキャプテンまで任されている。
なのに、なぜこんなに迷うのか。
狂おしいほど切ない気持ちになるのか。
テツさんの言葉が今も鳴り響いている。
気がつくと僕の愛車は僕をモンスターハウスに連れていっていた。
深夜にも関わらず、モンスターハウスにはまだ明かりが灯っていた。
誰かがまだ自分の限界に挑戦しているのだろうか。
さ迷うようにおり車から降り、モンスターハウスのドアを開けた。
テツさんが丁寧にマシンを磨いていた。
テツさん以外には誰もいなかった。
「どうしたんだ、こんな時間に」
テツさんが手を止めて目を見開く。
つい最近出会ったばかりのモンスターハウスの匂いがなぜか狂おしいほど懐かしかった。
「コーチ」
僕の掠れるような声を聞いたテツさんは、少しだけ何かを考えたあと、一度だけ深く頷いた。
何もかも見透かされているようだった。
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