第28話 ともだち
練習会までは二時間ある。
僕とサムエルは、彼の行きつけだというバルに腰を下ろしていた。
ソーセージとドイツビールが美味しいと評判のお店。
この後、練習会があるからビールは飲めそうにないけど。
サムエルは慣れた様子で店員さんに声をかけた。
多分、ドイツ語だ。
少し小柄な黒人の店員さんが笑顔で近づいてくる。
二人はなにやら楽しそうに話し込み、とうとうハグを交わした。
日本語以外の言語は高校まで勉強した英語しかわからない僕には、なんの事だかさっぱりわからなかった。
「かれ、おなじドイツ人。ぼくよりちょっとおじさん」
サムエルはドイツ語がわからない僕にさらりとフォローを入れてくれた。
僕とサムエルはジンジャエールとゼロカロリーのコーラ、そしてソーセージの盛り合わせを頼んだ。
運ばれてきたソフトドリンクで僕達はささやかに乾杯をした。
「タロ、ビールだめよ」
サムエルがイタズラっぽく笑う。
本当はサムエルが飲みたいくらいなんだろう。
彼は無類の酒好きだ。
僕達はソーセージが運ばれてくる間、僕達はとりとめのない話に花を咲かせた。
出会ってから今日まで、色んな事があった。
僕達の会話は、ここ数日のことが嘘のように盛り上がった。
やがて香ばしい香りと共にソーセージが運ばれてきた。
ソーセージを前にして僕達は感嘆の声をあげる。
とても美味しそうだ。
「いただきます」
サムエルが手を合わせて小さく礼をした。
その作法はとても様になっていた。
僕も彼にならう。
一口かじるとソーセージはぷちっと弾け、濃厚な肉汁が飛び出してきた。
「おいしい!」
思わず大きな声をだしてしまった。
サムエルが嬉しそうに笑う。
ソーセージとドリンクを囲みながら、彼は自分の話を聞かせてくれた。
小さい時から運動が苦手だったこと。
勉強が好きでドイツで有名な大学を卒業したこと。
キャプテン翼が大好きだということ。
10年前に日本に初めてやってきた時からナルカミスポーツジムに出会うまでのこと。
そして、それからの事。
アルコールも入っていないのに、サムエルはいつもより饒舌だった。
「日本人はみんないい人。いつも親切にしてくれた」
僕はドサムエルが日本を愛してくれている事が素直に誇らしかった。
「でも、やっぱり私は外国人。日本人と同じにはできない」
サムエルが少し苦笑いを見せる。
故郷から遠い異国の地での10年。僕には想像できないが、彼の日本での生活は常に孤独との戦いだったのだろう。
「ナルカミにはいってよかった。はじめて本当の友だちができた。タロは私を本当の友だちにしてくれた。サーヤたちもおなじ」
僕は静かに頷いた。僕もサムエルを本当の友だちだと思っている。
人種、肌の色、言語、文化、歴史。
そんなものは関係ない。
僕と彼は親友だ。
「だから、タロ。聞かせて?」
サムエルは僕をまっすぐに見つめた。
彼は僕がなぜバスケットトスから逃げたのか、なぜ皆を避けてしまっているのかを聞きたいのだ。
親友として、その質問に応えないわけにはいかない。
なぜかサムエルには話してみたいと思った。
レスリングを始める中学生の頃。
僕は野球少年だった。小学生の頃から一生懸命練習し、中学2年生の時には正捕手の座を射止めていた。
将来の夢は生意気にもプロ野球選手。
九州にあるプロ野球チームの強打のキャッチャーが憧れだった。
バッテリーを組むのは幼馴染みの左利きのエース。
彼とは高校生になっても、同じチームで甲子園を目指すつもりだった。
中学最後の試合。
僕たちは地区予選の3回戦を戦っていた。
暑い日だった。
その日はなぜか打撃の調子が良く、僕は3打点をあげていた。
でも、その時はやってきた。
2点リードの試合終盤。
それまで好調だった幼馴染みが突然リズムを崩した。
連続フォアボールでピンチを作り、打席には相手の4番打者。
痺れる場面だ。
幼馴染み以上の投手のいない僕達の命運は彼の左肩にかかっていた。
そんなピンチの場面に、僕はなぜか次の自分の打席の事を考えていた。
青い顔の幼馴染みがクイックモーションでストレートを投げ込む。
投じた渾身のストレートは相手バットの上っ面にあたった。
気がつくと打球は僕の頭上に高くあがっていた。
僕は慌てて立ち上がり、ボールを追った。
このキャッチャーフライを捕ればピンチを脱する事ができる。
僕は懸命にボールを追った。
こんな所で負けるわけにはいかない。
しかし、ギリギリの所で僕のミットはボールを捕まえる事ができなかった。
振り向くと幼馴染みが茫然と立ちすくんでいた。
僕が謝ると彼はすぐに笑顔を作り、左手を軽くあげた。
その顔色は青いままだった。
結局試合は相手の猛攻撃を抑えることができず、そのまま逆転され、負けてしまった。
僕達の中学野球が終わった。
試合が終わりベンチに帰ると幼馴染みが泣いていた。
自分の力不足で負けてしまった。すまない。
彼は何度も何度も僕達チームメイトに謝罪した。
そのしゃがれた声を聞きながら僕は絶望していた。
なぜ、守備中に自分の打席の事を考えていたのか。
守備に集中していればあのキャッチャーフライは捕れたのではないのか。
なぜ、青い顔をした幼馴染みのためにタイムをかけなかったのか。
少し間を取れば展開は変わっていたのではないのか。
僕がしっかりしていれば、幼馴染みを泣かせることもなかった。
チームメイトともっと野球ができたのに。
なのに、僕は誰からも責められる事はなかった。
それがすごく辛かった。
いっそ激しく糾弾された方がいくらかはマシだった。
それ以来僕はチームプレーというものに恐怖を感じるようになった。
そして野球を辞めた。
そんなある日、テレビで総合格闘家の須藤元気選手と出会った。
レスリングをバックボーンに持つ彼は、変幻自在の戦い方で並みいる強敵たちと戦っていた。
時には自分よりも遥かに大きい選手にも臆せず立ち向かった。
そんな姿に憧れ、高校からは須藤元気選手と同じレスリングの道に進んだ。
野球と決別し、誰にも迷惑をかけない個人競技の道に。
「ほんとはナルカミで踊るのもギリギリなんだ。僕のミスで皆に恥ずかしい思いをさせないか心配なんだ」
我ながら力のない笑顔だと思うが、僕は懸命に微笑んでみせた。
サムエルは黙って聞いていた。
僕が話終えると彼は自分の鞄からペンとメモ用紙を取り出した。
「ベースボールは詳しくないけど」
ごそごそと何やら文字を書き始める。
「もしタロがミスしても、誰も迷惑だなんて思わないよ」
そう言いながらも必死でペンを走らせる彼の眼差しは真剣そのものだった。
「タロが大好きだから」
サムエルと目が合う。青い瞳はまるで僕の事なら何でも知っているかのように深かった。
「多分、昔のチームメイトたちも同じ」
サムエルがメモ用紙を手渡してきた。
メモ用紙には辿々しい文字で「友達」と書かれていた。
「漢字、難しい。全然書けないけど、これだけは書けるようになったよ」
不恰好な文字だけど、はっきりと努力を感じる力強い文字だった。
「タロは大丈夫。だから、一緒にやろう。大丈夫。僕がついてる」
堪えきれず、涙が溢れてきた。
サムエルがどんな気持ちでこの漢字を練習してくれたのか、考えるだけで胸が熱くなった。
所々違和感のある彼の漢字が、いかに僕達を大切に思ってくれているかを雄弁に語っていた。
「一緒にやろう?」
サムエルがまた微笑んだ。
彼の優しさに僕は強く勇気づけられた。
永遠に溶ける事のないと思っていた心の氷がゆっくりと溶かされていく。
泣いてしまった事が照れくさくて僕は細やかな反撃を試みた。
「ちょっとだけ間違えてるよ」
サムエルが慌ててメモ用紙を確認した。
僕達はおかしくなって大きな声で笑い合った。
その日の練習は少しだけ遅刻してしまった。
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