第27話 逃げた
マーヤが空中で頭を抱えながら体を丸めた。
想定していたよりも高度が出たのか、それとも微妙なバランスの乱れか、彼女の体は真上ではなくやや後方に飛び上がっていた。
木澤さんが凄い形相で空を見上げている。
サムエルと佐伯さんも慌てて落下地点の修正に走り出した。
なぜか全てがスローモーションに見えた。
マーヤの小さな体が地面に向かってまっ逆さまに落下した。
幸い彼女が落下したのは、リスク管理用に敷いていた柔らかいマットの上だった。
「大丈夫か!?」
普段無口な佐伯さんの大きな声を初めて聞いた。
僕は身動きひとつ取れなかった。
「ごめん!」
数メートル上からマットに叩きつけられたばかりのマーヤが勢いよく起き上がる。
僕達は安堵のあまりその場に座り込んでしまった。
「上でバランス崩した。ちょっと気持ち弱かった」
どうやら失敗の原因は彼女の空中での姿勢によるものらしかった。
下から見ている分には全くわからなかったが、高度な空中感覚が要求されるのであろう。
「でも、なんかうまいこといったな」
木澤さんがやんわりと表情を崩した。
「びっくりした」
サムエルもあとに続き微笑む。
確かに凄いジャンプだった。これが決まればそれこそチーム鳴神の最大の武器になるだろう。
あとは練習を積めば。
誰もがこの大技の完成に期待を抱いた。
「でも、ごめん」
マーヤが申し訳なさそうに合掌をつくる。
「やっぱりこの三人では飛べない」
僕達は困惑した。
チームでもトップの屈強さを誇る三人。
彼らが発射台として不完全なのであれば、もうこのチームではこの技は完成しない。
「サムエル達を信じてないわけじゃないの。本当にごめん」
それだけ言うと彼女は急に黙りこんでしまった。
一歩間違えれば大怪我のバスケットトス。怪力自慢とは言え素人集団の発射台では不安も仕方ないだろう。
この技は諦めた方がいい。
僕は発射台三人と目線を合わせた。
すると三人はすでに見つめ合い、なにか納得したように頷きあっていた。
「タロも入り」
木澤さんが落ち着いた声色で言った。
「え?」
「タロも発射台になり。三人じゃなくて四人でマーヤ飛ばそう」
その言葉にサムエルと佐伯さんも静かに同調した。
瞬間、僕の中の嫌な記憶の扉が開く音が聞こえた。
「サムエル達が信じられないんじゃない。でも、上手く言えないんだけど心から信じきれない」
聞き慣れたマーヤの声が頭の中で反響していく。
「タロがいたら私は思いっきり飛べる」
頭の中でフラッシュバックが起こる。
青い空、空高くうち上がったキャッチャーフライ。
5対6のスコアボード。
泣き崩れるチームメイト。
そして、親友の笑顔。
僕の体が震えだした。
「無理だよ。僕は3人みたいに強くないし」
僕は必死に逃げ口上を続けた。
「なに言ってるねん。この前、ベンチ90キロあげたやんか」
違う。
僕はそんな責任を追える人間じゃない。
「タロじゃないと無理なの」
マーヤの声がどこか遠くに聞こえた。
いいや僕には無理だ。
「ごめんなさい。できない」
僕は震える体をなんとか落ち着かせながら声を振り絞った。
4人が顔を見合わせている。
「タロ」
サムエルの声に堪えきれなくなり、とうとう僕は逃げたした。
背中からマーヤの僕の名を叫ぶ声が聞こえた。
翌日からは地獄だった。
バスケットトス練習会を途中で逃げ出した僕だが、鳴神の練習まで休むわけにはいかない。
しかも僕は筋トレをしないと気持ちが悪くなってしまう。
僕にとって筋トレとは毎日の歯みがきと同じだ。毎日やらないと気が済まない。
そうなるとジムには行くしかない。必然マーヤ達とも顔を合わすことになる。
まるで鉛玉を飲み込んだような息苦しさを感じながらジムに通った。
一番つらかったのはマーヤ達の態度だった。
彼女たちはまるで昨日の事など何もなかったかのように自然に接してきた。
理由も言わずに逃げ出した自分に。
僕はあからさまに彼らを避けるようになってしまった。
僕はがむしゃらに体を鍛えぬいた。
弱い自分に対する苛立ちか、仲間達に対する罪悪感か。
まるで自傷行為のように体に負荷をかけ続けた。
骨の軋む音が聞こえる。
目は充血して真っ赤だ。
僕は何かに憑りつかれたかのようにレッグプレスを繰り返した。
「そんなんしたら体壊れるぞ!」
木澤さんの声で我に返った。
気が付くと僕の大腿四頭筋はピクピクと痙攣していた。
所々内出血もしている。
「タロ、なにしてるんや。お前最近おかしいで」
普段、飄々としている木澤さんが真顔で語気を強める。
多分、今の僕は異常なのだ。
「すいません」
僕は逃げるようにレッグプレスマシンから離れた。
「話は終わってないで。タロ!」
木澤さんの大きな声が聞こえる。
今は木澤さんと話をしたくない。
失礼だとは思うが、足早にジムエリアの外にでた。
木澤さんが追いかけてくるかな
そう思ったが、予想に反して僕を追いかけてきたのはサムエルだった。
僕が振り向くとサムエルは笑顔を作った。
「タロ。いらいらしてる?」
本当に彼は日本語が上手だな。
でも、いらいらはしてない。
「おなかへってるんじゃない?」
サムエルはジムの中で一番の友達だ。
いや、今となっては世界で一番かも知れない。
大好きなサムエルに気を使わせてしまってるという事実が耐え難くて、僕は返事をしなかった。
「ナルカミのれんしゅうまでじかんあるよ」
今夜の鳴神練習会はあと2時間後。
確かに時間はある。
「ごはんたべにいこうよ」
サムエルの笑顔はとても優しかった。
ひたすら彼らを避け続けていた僕だったが、なぜかとても断れる気がしなかった。
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