第20話 センター争い⑤
僕と貴島さんが話をしたいと持ちかけると、リエさんはあっさり対話を了承してくれた。
さすがに少し緊張する。彼女ともあまり話したことはなかった。
春に咲く赤いアザレアのような妖艶さと、芯の強さを感じさせる不思議な女性だった。
「センターの話?」
いきなり核心をついてくる。
「はい。マーヤの事は抜きにしてリエさんがセンターに拘る理由を教えてほしいんです」
リエさんは軽くため息をついた。
「マーヤちゃんに言われてきたの?」
「違います」
貴島さんが強く否定する。
「去年の話を聞きました」
僕がそれだけ言うと、リエさんは納得したように頷いた。
「わかった。ちょっとしっかり話そう。この後、時間はあるかな?」
僕とリエさんは連れだって食事に向かった。
リエさんは、知り合いのお店だという割烹居酒屋を予約してくれていた。
古民家風のインテリアと、香ばしい香りがなんとも気持ちを落ち着かせる。
店内は小柄な女性店主さんが一人で切り盛りしていた。
店主はリエさんとは旧知の間柄だそうだ。
貴島さんも勤務あがりに合流することになっている。
「さて、なにから話そうか」
席に着くなりリエさんが口を開いた。
「去年のチームの話からお願いします」
彼女は少しうつむき、目を細めた。
長いまつげが少し震えている。
「私のせいなの。去年のチームが最悪だったのも、皆が辞めちゃったのも」
長い話になりそうだ。
僕はウーロン茶、リエさんはハイボールを注文した。
「私の所に来たってことは富山の話も聞いてるよね」
富山。
彼女の声に、どこか愛憎入り混じった複雑な感情が籠っているような気がした。
「3年前このジムがオープンした時、私は結構どん底だったの」
リエさんはポツポツと語りだした。
ここからは要約だ。
ダンサーとしての仕事を離れ、彼女は町外れの飲食店で働きだした。
しかしそこでの仕事がうまくいかず、彼女の精神状態は不安定になっていた。
常に心の奥にはダンスへの渇望があり、日々満たされない思いを抱えていた。
踊りたい。
その欲求に駆られるが、もう自分に踊る場所はない。
そんな時、ナルカミスポーツジムのオープンを知った。
プレオープン日に見学に来た彼女はスタジオプログラムと出会う。
ここでなら踊れる。すぐに入会した彼女はスタジオプログラムに参加し続けた。
来る日も来る日も踊り続けた彼女の姿は、ジム内である種カリスマ化されたものになっており、女性会員の憧れの存在になっていた。
そんなある日、一人の男が話しかけてきた。
男は富山と名乗った。
富山は顔を合わす度に自分を食事に誘った。
当初は断り続けていた彼女だったが、状況が少しずつ変わっていった。
「富山がね。取り巻きを作りだしたの」
恐らく、今の富山軍団の黎明だ。
富山の周りには常に複数の女性がいる。
「一人、また一人と増えていったわ。それから富山の態度はどんどん増長していった。」
今の富山の姿を鑑みるに容易にその光景は想像できる。
「あいつね。話す度に経歴が変わるの」
リエさんが呆れたように苦笑する。
「元プロボクサーだったり、俳優だったり、経営者だったり色々ね。でも実際は親から受け継いだ財産で生活してる無職のおじさん」
話が飛躍したので、少し戸惑った。
そうしていると貴島さんがやってきた。
彼女は挨拶を済ませると、僕と同じくウーロン茶を注文した。
リエさんの話は続く。
「富山がお金を持っていたのは事実なのね。彼は毎週取り巻きの女達と宴会を開いたわ。もちろん彼の奢りでね」
貴島さんは途中参加だが、素早くこれまでの経緯を飲み込んだらしく、神妙な顔つきでリエさんの話を聞いていた。
いつもの制服姿と違う私服姿が新鮮だった。
「皆、家族もいるのに。毎週毎週集まっていたわ。そのうち富山軍団って名乗りだした。そんな歪な形で集まった人間達って何を始めると思う?」
僕は首をかしげた。
僕にもジム仲間と呼べる存在はいるが、僕達と富山軍団とは何か根本的に違うような気がした。
「自分達以外の人を攻撃し始めるの」
リエさんは少し寂しそうな目をした。
「相手や理由はなんでもいい。とにかく誰かを皆で攻撃するの。陰湿に、しかもしつこくね」
スケープゴートという概念がある。
人間は集団を形成すると、共通の敵を作りだし結束を固める習性がある。
その対象はなんでもいい。とにかく集団で自分以外の誰かに矛先を向ける事で普段の鬱憤や、苛立ちを発散することに悦びを感じる。
そしてその淫靡な快楽を得るたびに感じる罪悪感を集団で共有する。
その集団はそんな自分達を正当化するために、より強く結束する。
そういう悲しい習性を、僕達人間は残念ながら本能的に持っている。
「標的にされた人達はどんどんやめていった。その度に富山達は人数を増やしていったわ」
リエさんは再び苦笑する。
「そのうち、私もその中の一人になった」
彼女のグラスの氷が悲しげにカランと音を立てた。
リエさんはグラスについた水滴を指でなぞりながら話を続けた。
「あの男がジムの中で存在感を増すごとに怖くなった。彼に逆らえばここに居づらくなるんじゃないか。ここで踊れなくなるんじゃないか。今度は自分が標的にされるんじゃないか」
少し目眩がした。
ここは学校でも職場でもない。スポーツジムだ。
会員全員が自由意思で入会し、同じ会費を毎月支払っている。
なぜそんな場所でこんな状況が生まれるのか。
「富山軍団に入った私はまるでお姫様のように祭りあげられた。チーム鳴神の中でもそれは同じ。彼は私を中心に立たせることによってチーム鳴神を支配下に置こうとしたわ」
僕と貴島さんが口を挟む隙間がない。
恐らくリエさんさんは、富山軍団の都合のいいアイコンにされていたのだろう。
リエさんの語り口はまるで懺悔をしているような悲哀に満ちていた。
「去年のチームが分裂することだって最初からわかってた。誰だってあんな理不尽、我慢できないと思う」
グラスの氷がもう一度音を立てた。
リエさんの瞳が薄く濡れていた。
「その上、負けた原因をあの人達のせいにするなんて。
あんな状況になっても最後まで頑張ってくれた人達なのに。本当に負けたのは私なのに。」
ついにリエさんは声を殺して泣き始めた。
その件に関しては本当に後悔しているのだろう。
貴島さんもつられて泣いている。
「私は今年もセンターで踊らないとならない。富山の言う通りに。そうしないと今度は私が狙われる。踊る場所がまたなくなっちゃう」
両手で顔を覆い泣きじゃくるリエさんに僕はどうしても共感することができなかった。
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